うぉぉ~おひさしぶりです。
気付いたら11月も終わりですね; まだ長編の準備が出来ていないので、とりあえず、HDDの中を漁って、載せれそうなモノを探してみました。
『人倫訓蒙図彙』より、お手伝いする反物屋の子です。

かわいいでしょ。ちゃんと男の子ですよ~。
こんなに可愛い子が女の子な(ry じゃなくて、髪形が「若衆髷」だからです。
耳の後ろに髪の毛(前髪をポンパにしたあまりの毛)を垂らしているのは、元禄あたりの流行らしいです。
この子、絶対看板息子だよ。番頭さんとか手代さんとか、ほかの大店の若旦那とかから狙われているに違いないよ。んでこの子をめぐってラブバトルが勃発したらいいよ。でも本人はぽ~っとしてて何も知らないんだな。
はぁ~ひさびさに時代劇的妄想を書き連ねたぞっ! とりあえず満足。
こうやって、ビジュアル的な解説(というか萌語り)もいっぱいしたいんですが、画像の準備に手間がかかるるるr ・・・
とりあえず、先日見つかった師宣先生の肉筆屏風が載ってるという雑誌買ってきます。で描かれている人物の男女の鑑定でもして楽しみたいと思いま~す。
ぎゃーっ!! 旧重陽からも一週間経ってしまったぁぁぁぁ... orz↓↓↓
もう、不甲斐なさすぎて何も言えません><
この状況はなんとかしたいので、今、長編の準備をしています。もう少ししたら始められるかな?と思います。
下の記事やサイトの方でコメントくださった方々、本当にありがとうございます!!
閉めなくてよかった…。これからも自縛霊のようにweb上に在り続けてやろうと思います。
このままではさみしいので、いろいろファイルを探っていたら、1年くらい前に作ったらしきアイコンが出てきたので、載っけてみます(当時ドット絵作るのがマイブームだったらしい…)。
つたないモンですが、なんか使えそうなら使ってやって下さい~。

ちなみに、←から 若衆(桃)、若衆(青)、稚児、若衆 のつもりです。
小さいのはまだいいとして、大きいのは着物の色がすごいな…。あーなんか色違いとか作りたくなってきた…ヤバィ...
4月です。いきなりですが、管理人は人生における新たなるステージのスタートラインに立ってしまいました! まずは準備運動に研修合宿なので、ただ今ネット落ち中です; これからはガンガン稼いで、あの本とかこの本とか買ってやるんだ!
そしてこのブログも4年目に突入です! 3年もこんなことやってたんですね、ワタクシ(←毎回言ってますね;)。途中から更新頻度ががっくり落ちましたが、男色文学に懸ける愛は常に燃えたぎり続けています!
さて、そういうわけなので何か特別なことでもやろうかなぁと思ったのですが、大体毎回「春」になっているので、今回はマジメに行きます。
今回は謡曲『花小汐』です。いちおう去年手に入れた資料の中でもかなりレアな方に入るモンかなぁと思うので、これで。というのも、図書館で探して「なかなか見つからないな~」と思ったら、背表紙がはがれ落ちていたという……。一冊一冊確かめて良かった。あきらめなければ夢は叶う!
そんな感じでようやく見つけた『花小汐』。春にぴったりの桜にまつわるお話です!
謡曲、つまり能の脚本ですので、
人名「せりふ」
という構成になります。謡の部分はそのままだったり(√で代用)、地の文に直してみたりです。
◎謡曲『花小汐』
社人(神社に仕える人)
「私は大原野(現・京都市西京区)の明神に仕え申す神職の者です。それにしても今年は神前の桜がいつにも増してすばらしい。これは堅く禁制(桜を取ることを禁止する)を申し付けなければ……」
大勢の都人
「花に移ろう峯の雲……。それはこんな心なのだろうなぁ」
忠広
「私は都に住む忠広の某という者です。大原野の花は今が盛りだと承ったので、少人(稚児)に御供申し、ただ今大原野に急ぐところです」
√面白や、いづくはあれど所から、花も都の名にし負へる、大原山の花桜。今を盛りと夕花の、手向けの袖も一入(ひとしお)に、色添ふ春の時を得て、駒も数ある大原や。小汐の山(小塩山=大原山の別名)に着きにけり。
忠広
「急いだので早くも小汐の山に着きました。心静かに花を眺めましょう」
稚児
「いかに忠広」
忠広
「御前にございます」
稚児
「あの花一本(ひともと)折りて来たり候へ」
忠広
「かしこまりました。
社頭へ申し上げます。あの花を一本賜わりください」
社人
「そのような簡単なこと、差し上げたいとは思いますが、今年は桜を折ることは堅く禁制となっておりますので、お受けすることはできません」
忠広
「禁制は禁制ではありますが、少人の御所望です。ぜひ一枝差し上げてください」
社人
「少人の御所望であっても、承知しかねます」
忠広
「惜しみなさるのはもっともですが、"見てのみや人に語らむ桜花、手ごとに折りて家土産(いえづと)にせむ"という歌(古今和歌集、素性法師の歌)もあります。ですからどうかただ一枝だけ、お許しください」
社人
「いいえ、できません。落花狼藉の人は決して逃しません」
√花も小汐の神慮(かみごころ)。花ゆえ身をば捨つるとも、折らるることは有るまじ……
社人たちは各々に太刀を取り直して立ち向かった。都人(忠広たち)は社人たちの花を許さぬという争いに、少人の御為にはよくないだろうとお思いになり、
「恐れたわけではない。今日は見逃すが、明日はこの花を雪のように散らしてやろうぞ」
と、罵り捨てて帰っていった。
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とりあえず学習机と言う名の物置は片付いた(別の所に移動させただけ、とも言う)ので、次は本棚を作ります。夢の壁一面本棚! 床が抜けないか心配……。
さて、ついに『松帆浦物語』最終回です!
**前回まで**
藤の侍従(通称・若君)の美しさと聡明さに興味を持った左大将は、若君の兄を脅して若君を我が許に呼び寄せ、若君の恋人・宰相の君を淡路へと島流しにした。宰相を恋しく思う若君は、岩倉の法師・伊與と共に人目を忍んで淡路へ向かった。道中、須磨の浦での夢に宰相があわられる。翌日、淡路についた二人は、雨宿りのために立ち寄った御堂で宰相の行方を知る老僧に出会った。
◎『松帆浦物語』 その五
老僧に宰相のことをそれとなく聞くと、
「その方ならあの松帆の浦にいます。この夏ごろからこの嶋へいらっしゃいました」
と言う。
「くわしく話してください。聞きたい訳があるのです」
「その方は松帆の浦からいつもこの庵までお出でになり、都の恋しさなどを語っていらっしゃいます。その中でもある殿上人の御事を、明け暮れ恋泣きなさって、心に思うことすべてを隔てなく語ってくださいました。その思いのためでしょうか、ご気分が優れなくなり、その病が日々重くなって、この庵へもいらっしゃらなくなってしまいました。
付き添う方もいらっしゃいませんので、お可哀相に思って毎日参上いたしましたが、ついにお亡くなりになってしまわれました。今日はそれから七日にあたります。お弔いもこの僧がいたしました」
若君と伊與は、老僧の言葉を聞きながら正気ではいられなかった。ふたりはうつ伏して泣き焦がれた。老僧は、
「これはこれは、さてはあの方に所縁のあるお方たちでしたか」
などと言って、自分も涙を流した。
しばらくして伊與法師が申し出た。
「今までは隠していましたが、あの人がもはやお亡くなりになった上は、世にはばかることもないでしょう。このお方こそ、かの人が恋し泣きなさったとおっしゃる殿上人です。このような賤しい山賊の姿になっていただいたのも、道中人目を避けるためです。
それにしても、あの方にそのように気を使っていただいて、御跡までも弔っていただいた御志には、いくら感謝しても言葉が足りません」
老僧は、
「あの方は今わの際に、"心ざしのほどありがたし"とおっしゃって、小さな法華経念珠などを下さいました」
と言って、取り出して見せた。それがまさしく宰相が生前愛用していたものだったので、いよいよ目がくらむような心地がした。
また、巻き固めて細かくしたためてある文の上に、「四条殿へ」とあって、青侍(公家に仕える六位の侍)の名を書いてあるものがあった。
「これも今わの際に、"よき便りがあればお尋ね申し上げてくれ"とおっしゃいました」
「この文こそこのお方へ当てたものです」
と伊與が言うと、若君も、
「ああうれしい。それならば確かに頂戴いたします」
と言って、文を開いた。そこには岩倉の人々、そして侍従の君へ当てたものである皆が書かれており、都を出てからこの嶋に住む有様、今わの際の有様などがかき集められていた。その文字は鳥の跡のように見えた(文字が続かずに一文字づつ離れていた)。そして、
くやしきはやがて消ゆべき憂き身とも知らぬ別れの道芝の露
などと書かれていた。
在りし夜、須磨で見た夢も、今では思い合わせられてひどく悲しかった。
翌朝、老僧の道案内で松帆の浦に向かった。
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