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梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

本朝御小姓列伝 一

 最近、めっきり寒くなってきました。もう冬ですね。
 さて、「冬」といえば、「冬将軍」ですが、「将軍」といえば、当然「御小姓」です。ですよね!?
 というわけで、今シリーズでは御小姓にまつわる逸話・伝説をご紹介。なかには、すでにみなさまご存知のものもあるかと思います。また、管理人の歴史観・史料の解釈の仕方について、嫌悪感を持たれる方もいらっしゃるかと思いますが、どうかご容赦ください。


 「御小姓」といって、まずはじめに浮かぶのは、やはり森蘭丸でしょう。腐女子ならずとも、多くの人の脳内に、「蘭丸=美少年」という式が成り立っているように思われます。かくいうワタクシも、郷土出身の美少年として、贔屓にしております。
 よって、今回は『常山紀談(じょうざんきだん)』より、森蘭丸のお話です。


-森蘭丸才敏の事-
 森蘭丸は、三左衛門可成が子にて、信長寵愛厚し。十六歳にて、五万石の地をあたへらる。ある時、刀を持たせ置かれしに、刻鞘(きざみざや:鞘の刻み目)の数を数え居たり。
 後に信長、かたへ(まわり)の人をあつめ、「刻鞘の数、いいあてなん者に、この刀をあたふべき」由、言はれければ、皆推し測りていひけるに、森は「さきに数えて覚えたり」とていはず。信長、その刀を森にあたえられけり。云々…


 このエピソードを、老武者の備忘録『武者物語』で補うと、蘭丸は信長公が、雪隠(トイレ)にいかれた折に、お刀をもってお供し、待っている間に鞘の刻み目を数えていたそうです。しかも信長公は、それをご存知の上で、このゲームを催したということです。みんながはりきって答える中で、ひとり黙っている蘭丸。そこで、信長さまの言うことには、
 「らんは、どうして申さぬのか。」
 私は先に数えて知っていましたので、と蘭丸が言うと、信長さまは感心してお刀をくださった、ということだそうで。
 
 結局、蘭丸がどんな答え方をしても、刀をあげるつもりだったんですね~。わざわざみんなの前で、蘭丸を持ち上げるところが、ニクい信長さま。蘭丸に対する信長さまの可愛がりっぷりが垣間見えるエピソードです。

 
 ところで、上の話にも出てきましたが、信長さまというと、蘭丸のことを「蘭」とか「お蘭」とか呼んでいるイメージがありますよね。これについて、『南方熊楠全集』に興味深い一節を発見しました。
 それは、熊楠氏が、男色研究家・岩田準一氏に送った手紙のなかのひとつに書かれていました。
 「お――と称することは、小姓に限らず。小児また少年を愛して呼ぶときの詞らしく候。」と始まり、また『信長公記』から「森乱御使にて岐阜御土蔵に…」などという例をだして、「これら蘭丸を"乱"とつづめ呼びしなり。故に信長よりは"蘭"と呼び、側のものどもよりは"お蘭"と愛敬して呼びしことと察し候。」と書いています。
 そして最後に、「すべて"お"の字を添うること、貴人の幼息や寵童を愛敬して下々より呼びしことと察し候。やがてはのろけきった主人も、その通りの称呼を使いしことと察し候。」とまとめています。
 これらは、あくまで南方熊楠氏の考えでありますが、挙げられた例を見る限りでは、なるほどな、と思えます。「のろけきった」という表現が可笑しくていいですね~。
 えーつまり、女性に限らず、少年の名に「お」を付けることはふつうにありえたこと、と思っていいんでしょうかね?ならば、みなさまお気に入りの御小姓・御若衆には、愛をこめて「お」をつけてよびましょうじゃないですか!
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