◎謡曲『花丸』(つづき)
筑波に戻った花丸は、雨の日の寂しさに、かの俳諧を口ずさみながら、
「ねえ、清次。今日もお師匠はお出でになりませんか」
「いまだお出でになりません」
「ああ、胸が痛い。仮初の睦言に、壁生い草のいつまでも…と約束したこともむなしくなって、無駄になってしまう恨めしさ。ああ、恋しい、胸が苦しい」
「どうしてそのように仰るのですか。きっとお出でになるはずです。お心強くお待ちください」
清次はよく慰めたが、待つその甲斐もなく、花丸の声は次第に枯れ、その露の身は消えてむなしくなってしまった(亡くなってしまった)。
「在りし日の春の頃、旅人にお宿をお貸しし、そのことがあまりに懐かしく思われるので、かの人を訪ねに行こう」
僧は世捨て人である。だが今は人の心の思うままに、殊更はるばると遠い道を迷い行く。かの人を思うととても急がれた。
「急いでいたら、早くも筑波に着いた。日が暮れてきたので、この草堂で一夜を明かそう」
すると、
「秋風と吹く笛の音のうたかたの哀れはかなき身の行方かな…」
「これは不思議だ。まどろむ枕のほとりまで、笛を吹いてきたのは誰ですか」
「誰などとは言うまでもなく、花丸、ここまでやって参りました」
「これは夢だろうか! 現実だろうか!」
僧と花丸は、互いに手と手を取り合った。嬉しいと感じるより先に、涙が流れ出た。
花丸は言った。
「まずは我が家にお入りください。なんと言っていいのか…、嬉しくも御目にかかりましたので、とにかく一会始めたいと思います」
「それはもっともなこと。では発句をなされませ」
「いえ、まずはあなたから発句を」
「いやいや、お稽古のためですから、お受けできません」
「そうでございますか」
「吟じてお聞かせください」
花丸は発句を吟じた。
「夜嵐は明日見ぬ花の別れかな」
「面白うございます。では料紙にお書付けください。愚僧は脇を仕りましょう」
そのとき、花丸の父・何某が供の者に
「おい、誰かいるか。仏前に勤行していたら、花丸の閨(寝室)から人の声が聞こえた。見てきなさい」
「畏まりました。(…しばらくして…)不思議なことがあるものです。なんと言えばよいか…御閨の中に、客僧(旅の僧侶)と思われる人が寝ているのが見えました」
「なんだって!? それは本当か」
「はい」
「それならば私が行って尋ねてこよう。」
「いかに御僧。どうしてこの閨に伏していらっしゃるのか」
僧は答えた。
「花丸殿に誘われて、旅宿していたのでございます」
「花丸は十七日前にむなしくなってしまいました。失礼なことを仰らないでください」
「それではあなたは何某殿でございますな。まず心を静めてお聞きください。私は叡山の傍らに住んでいる僧でございますが、仮初に花丸殿にお宿をお貸しし、そのことが名残惜しく思われましたので、ここまで尋ねてきたのです。日が暮れてしまったので、あそこの草堂にまどろんでいたところ、花丸殿がお出でになり、一緒にここへ来たのです。例の一会を行い、そのとき発句を自筆なされました。愚僧も脇を案じ、旅の疲れに眠り込んでしまったのです。これ、これをご覧ください」
僧は例の料紙を見せた。
「まさしくこれは花丸の筆跡です。おそらく師の御坊に名残を惜しみ、花丸の亡霊が来たのだと思います。あれが花丸の"しるし"です。弔ってやってください」
「わかりました。思いもよらぬ無常の真に、涙が出ます。しかし、こうなってしまっては仕方の無いこと。ただ弔うほかはありません」
僧は涙を流しながら夜もすがら念仏を唱えた。
「ああ、有りがたい弔いだなぁ。恋しい人の経の声だ」
「不思議なことだ。かすかに声が聞こえるのは花丸殿か、はっきりとはしないが……」
「よくよく聞けば我が子の声」
「土中に聞くは父の声」
互いに言葉を交わし、声は聞こえるが、面影の見えないことがたいそう悲しい。
これを菩提の種として、開くる法(のり)の花心、悟りの道に入ろうよ…(おわり)
はい、テンプレでしたね。出会って、離れ離れになって、恋しさのあまり死んでしまい、亡霊となって再会する……。そして最後はお決まりの、仏門入信のススメ。よくある話です。
今回の特色としては、稚児側の心理描写がわりと細かかったというところでしょうか。どうしてこの僧侶を好きになったのかや、離れ離れになったときのさみしさがよくわかります。
それから、「稚児の方が僧侶が好き」というところも特徴だと思います。多くの話は、稚児の美麗さに僧が惚れるというパターンですが、今回は僧の博識なところに花丸くんが惚れた、ということになっています。先生に憧れる生徒みたいな感じですね。
二人が一夜を共にしたという描写はありませんでしたが、花丸くんは、「むつごと」とか「約束した」とか言って、やや暴走気味? ちょっと「ヤンデレ」入ってる?(実際病んで死んでしまったわけだが……)
あと、個人的に"めのと"の清次さんが気になります。花丸くんが「清次」って呼び捨てにしてるのがなんかいいよね。ちっちゃいころからずっといっしょの、保育係のお兄さんって、なんかいいよね。
というわけで、今回はこれでお終いです。つぎこそ長編はじめられるといいなぁ。
『梅色夜話』5年目も、どうぞよろしくお願いします。
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