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梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

「あけて悔しき文箱」(『新百物語』より)

 お久しぶりです。このごろは雨続きの上、台風もやって来ましたが、こういうときこそ読書三昧、ネット三昧ですよね(←洪水と雷には注意が必要ですが…)。

 では、今回のお話に参りましょう。今回はありがちといえば、ありがちなネタなんですけどね。


◎「あけて悔しき文箱義に軽き命」(『新百物語』巻一の(三))


 東海道のあるところに、禅林寺という寺がある。弘法めでたく見えて(空海が建てたお寺)、僧徒は多く、小姓も大勢いる中で、美野部庄之介という少年は、男色の魅力があり、顔ばせはとくに優れていた。昔男(=在原業平)が初冠した姿、鉄拐(隋の仙人)が吹き出した美童もかくやと思われ、参学の窓に蛍を集め、その才知は院内でも優れていたので、老和尚の覚え憐れみは殊に深かった。
 その同じ寺内に、真悔という浪人がいた。ある仔細があり、弓矢の家を出て、竹林院という母方の伯父につき、顕正成仏の心法を学んでいた。
 しかしやめがたいのは情の道。「若きも老いたるも」と書かれるのも、もっともなことである。真悔は、ある夕暮れ庄之介を垣間見てからというもの、思いの火を胸に焚き、夜はすがらに(夜通し)寝ることもせずやるかたなさを感じていた。
 このまま思い死んでしまうのもさすがなので、ほんの少しでもこの思いを知らせようと真悔は、日ごろ世話を頼んでいる同宿の僧に事情を話した。同宿の僧はすぐに承知してくれた。

 真悔は限りなくうれしく、ある時は詩に思いを述べ、ある時は和歌の文字を連ねて恨み託ちて文を送った。そのうちに庄之介も、この上なく哀れに思うようになり、このときから、見(まみ)え初めて、限りなき情を重ねるようになった。


 ある夜、真悔は庄之介の部屋に忍び入って、雨のつれづれを語り合っていた。そんな中、庄之介が言った。
 「この日ごろ、このように御情けが深いので、この身をお任せしていましたが、私は実は明日をも期せぬ身の上なのです」


 思いしおれながら語るのを聞いた真悔は、
 「どうしてそのように、心細そうにおっしゃるのですか。私がこうして兄弟の契約をして、二世をかけてあなたをお思いするからには、たとえ一命が和君のために朽ち果てようとも厭いません。南無弓矢神大菩薩、決してこの思いを変えることはございません。どのような大事であっても、それほどにお隠しなさるのは情のないことです」
と言って訴えた。すると庄之介は、実に快げに、
 「なんてうれしい。頼もしゅうございます。今は何をお隠ししましょう。私は実は長らく大事の親の敵を狙っているのです。敵がこの国に住んでいるということを知って、朝夕探していますが、私が五歳の春の暮れに父が討たれたものですから、敵の顔も定かではなく、むなしく月日を送っているのです」
 庄之介は袖に涙を余らせた。真悔は、
 「そうでしたか。私がいるからには安心してください。それで、その敵の仮名は」
 「決して他言しないでください。敵の名は竹尾武右衛門、今は名を変えて隠れ住んでいるそうです。どうしようもない次第なのですが……」
 そういう庄之介に、真悔は微笑み、
 「その武右衛門という男、少し聞いたことがあります。この上は、どんな謀をしてでも、もう一度彼にめぐり合わせ、本望を遂げさせて差し上げます。信じていてください」
と、たいそう頼もしいことを言った。そうするうちに、山寺の嵐がことさらに激しくなり、鐘の声が吹き過ぎるまでに聞こえるので、真悔は暇乞いをして我が宅に帰った。


 翌日の明け方、庄之介の元に、「真悔から」と言って、文箱に封をつけたものをあわただしく持ってくる者がいた。心ならず開いてみると、文にはこう書かれていた。


 + + + + + +

  書置申一通

 あだしのの露、とりべ山の煙。立ちさらぬ世のためし、一代教主だにのがれ給はぬこの道、まゐて愚かなるこの身においてをや。
 誠にいかなる縁があったのでしょうか。かりそめに見初めてから、心も空になり、あわぬつらさをとやかくと嘆き、だんだんと心も白雪のように溶けて互いに愛おしむようになり、こんなことは二度とあることでしょうか。ああ、どのような不思議があったとしても、命を君に捧げようという私の日ごろの思いが、川のように深いということを、おそらくは誰も知らないでしょう。
 夕べお聞きした和君の親の敵・武右衛門は、今は真悔、私なのです。根を断って葉を枯らす敵の末のあなたですから、あなたをお討ちすることは、籠の鳥のようにたやすいことです。しかし、我が手にかけて、どうして君を殺すことができるでしょうか。
 誠に人の多い中で、敵と敵がめぐり合い兄弟の約をなす事など、ためしなき因果の道理と言えるでしょう。そのうえ、我が命にかけても、敵を討たせ申さんと誓いを立てていました。それゆえこのように思い定めたのです。急ぎこの首を討って親の教養に手向け給え。そして実に兄弟の契りが朽ちないならば、一返の回向をも、世の方の百千にも勝ると言うものです。
 
 このことを、少しもお知らせしなかったお恨み、鏡にかけ覚えて降ります。しかしこうと申していたら、おそらく私の望みは叶っていなかったでしょう。そのことをどうかわかってください。

 もはや思い残すことはありません。見苦しいものはすでに処分しました。大小と小袖は住持へお遣わしください。自筆の歌仙一巻と黒髪はあなたへお送りします。「朽ちぬは筆の跡」などと聞いたまま、あなたに差し上げます。 以上。

 春の花秋の紅葉の一葉だにうき世に残る色は非じな


 十月三日夜之染む  真悔
 美野部庄之介どのへ

 + + + + + +

 庄之介はこの一通に驚いて、真悔のもとに走った。着いてみると、甲斐甲斐しく腹を十文字に切り、心もとを貫いて伏していた。
 あたりの僧が出てきて、事の次第を聞くので、庄之介はこうこうと語り、
 「私が夢にでも知っていたら、こんなことにはならなかったのに」
と、死骸に抱きついて嘆き悲しんだが、もはや帰ることはない。「命は義によって軽し」というのはこういうことだと、僧たちは各々墨染めの袖を濡らし、その夜集まって、おごそかに葬式を執り行った。

 その後、十七日の夕方、庄之介は仏前に押し肌を脱ぎ、すでに自害に及ぼうとするのを、同宿の者たちが見つけ、取り押さえると、和尚もお出でになって、さまざまに教訓あそばした。
 庄之介は惜しいことに、十六の秋のその日、発心して亡き人の跡、父の尊霊菩提、ともに一蓮托生の追善回向をなし、その後は世に類なき道人になったという。






 敵同士が恋に落ちる――
 ま、ありがちなネタなんですが、某西鶴先生のなさった「心中」あるいは「正体を隠して討たれる」というオチではなく、「自害する」というところにオリジナリティーがありましたね。

 さて、悲恋の原因となった美濃部父殺人事件ですが、庄之介くん、真悔さん、それぞれの言葉からみると、庄之介くんのお父さんは、庄之介くんの目の前で殺されたみたいですよね。一方、真悔さんは、美野部一族を根絶やしにしようとしていたようで、悪いのは美野部父なのか!? とも思われます。 なんというか、両家の代々続いてきた憎しみの連鎖が愛によって終わりを迎えた……みたいな? かわいそうだけどドラマチック。


 今回のお話は「命は義よりも軽い」というのがテーマでしたが、真悔さんって、もーやさしすぎだよ!って感じです。「君のためなら死んでもいい」とか「自分がいるから安心しなさい」とか、受が言われたいセリフ上位にランクインしますよ、これは!! しかもそれを有言実行(悲)。庄之介くんの敵が自分だと知った時も微笑めるなんてッ! 仮名からして「真」に「悔」だしなぁ。ホントは殺人なんてヤだったんだよね。運命とは残酷なものだなぁ。
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