(つづき)
徳之丞は卯月の初めより、なんとなく患い出した。様々に治療をしたけれども、まったく効目がない。
新五郎も、気を揉んで、いろいろな手当てをし、薬を用いるばかりでなく、神仏に願を懸け、祈りを捧げたけれども、とうとうその験はなかった。
今はもう、助かる見込みもなく、「その時」を待つしかなかった。親一族は徳之丞の手を握り、何をしようと思うこともできなかった。
そのとき、徳之丞はむくと起き上がり、苦しい中にも新五郎の手をとって
「末の露浅茅(あさじ)がもとを思いやる我が身ひとつの秋の村雨…」
と言うかと思えば、息はすでに絶え果てていた。
新五郎は悲しく、寂しく、心惑い、「すぐに跡を」と嘆いたけれども、それも叶わず、野辺の送りをして、徳之丞を墓へ埋葬した。新五郎はその墓の前で髻(もとどり)を切り、家にも帰らず、すぐに出家した。
「のがれてもしばし命のつれなくハ恋しかるべきけふの暮かな」
そう詠んで、足に任せて旅にでた。
西国のはずれまで赴き、噂に聞き知る霊仏、零社を残りなく拝みめぐっていると、しだいに年も改まり、卯月の末に故郷に帰ってきた。人知れず、徳之丞の塚に行ってみると、草は茫々として、露ばたりが豊かにあるだけだった(親は管理しないのかね?)。
「ああ、たとえ過去のこととなっても、面影は忘れられない」 涙ながらに念仏を唱えていると、塚の向かいに、徳之丞の姿が現れたのだった。影のように静かに立っている。新五郎は「あれは!」と思い、近づいてみたが、かき消すように見えなくなってしまった。
新五郎は心を落ち着け、経を読み、跡をよく弔ってやった。そしてまた、泣く泣く旅立ち、こんどは東国へ行ったものの、世の中は戦乱の最中である。行く末も悟られ、もう命を永らえてもしょうがないと思い
「露の身の置所こそなかりけれ野にも山にも秋風ぞふく」
と書いて松の枝に結びつけて、池に身を投げて死んでしまった。
一部始終を見ていた人がいて、彼の屍を水から引き上げ、徳之丞の塚の前に、一緒に埋めてやったという。
戦国の中心で愛を叫ぶ!!(←違ッ)しかも、親公認(たぶん)vまたしても死にネタでした;怪奇譚としては、「幽霊が現れる」というところだけでしたね。徳之丞はなぜ姿を現したんでしょうか?この世に未練があったのか。それとも新五郎を呼びにきたのか。
それにしても、卯月=旧暦四月の話なのに、歌では「秋」といっています。「飽き」にかける、という見方もあるけど、なんか違う。「悲しさ、寂しさ」のイメージからかなぁ。あの世で一人の寂しさに耐えかねて、徳之丞は新五郎を呼びにきたんだったらかわいいなぁ~。
しっかし、「手をとる」ってなんだかえろちっくな行為ですね。
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