服部新五郎遁世捨身 巻の五
服部新五郎(上杉家家人)×名草徳之丞(14→17)
上杉憲政(のりまさ)の家人、服部新五郎は、能書家で、和歌を好み、情けの深い武士であった。色を好むことはなく、「心の合う人がいれば、契りを結んで、後の世までも心を離さないでいたい」と思っていたので、まだ妻もいなかった。
久我の住人に名草徳大夫という、気立ての優しい男がいた。その息子の徳之丞は14歳。田舎の子とはいいながら、見目美しく育ち、心やさしく、立ち振る舞いも上品であった。
新五郎はこの子を見初めて、なんとかして縁を求めて近づいた。手習いの指南に通じていたので、徳之丞に、四書五経までしっかりと教えてやると、父親も大切なお客さまだ、と思って、随分と親しくした。
そうしているうちに、ふたりは互いに深く想いつめて、徳之丞は、新五郎と親しく語り合うようになった。そして弥生のころ、家の軒端に忍(シノブ)という草が生えているのをみて、新五郎はこう詠んだ。
「言の葉に出でてはいはじ軒(のき)におふる忍ぶ計(ばかり)は草の名も憂し」
徳之丞は、敏感に感じ取って、
「我もかく人も忍びていはぬまのつもる月日をなどかこつらん。言の葉の末の松山いかならん波の下にも我ハ頼まん」
長く語らい、深く契って、徳之丞はすでに17歳になっていた。(つづく)
つづきますよ!!これで終わりません。「怪奇説話」ですから。
これは…「家庭教師」ものか!?お互いに想いあっているのに言い出せないで、三年間も片思いし続けてたのね~。毎日のようにくっついて、手をとって、教え教わりしていたのに(妄想)、新五郎はやさしいのかオクテなのか…。下心ありありでかてきょになったのに、よくぞ無体をしなかった。
歌の部分は、現代語のセリフにすると
「言葉に出しては言わない…。だが、このまま隠しているだけなのは嫌なんだ」
「わたしもあなたも想いを告げないまま、長い間すごしてしまったのですね…。でも、そんなことを嘆いたりはしません。なにがあっても末永くこの身をおまかせします」
てなトコロか?…ああぁ~!やっぱりダメだ。この微妙な心情は和歌でしか表し得ないよ。単に文才がないだけ?それも一理あるが。
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