とりあえず学習机と言う名の物置は片付いた(別の所に移動させただけ、とも言う)ので、次は本棚を作ります。夢の壁一面本棚! 床が抜けないか心配……。
さて、ついに『松帆浦物語』最終回です!
**前回まで**
藤の侍従(通称・若君)の美しさと聡明さに興味を持った左大将は、若君の兄を脅して若君を我が許に呼び寄せ、若君の恋人・宰相の君を淡路へと島流しにした。宰相を恋しく思う若君は、岩倉の法師・伊與と共に人目を忍んで淡路へ向かった。道中、須磨の浦での夢に宰相があわられる。翌日、淡路についた二人は、雨宿りのために立ち寄った御堂で宰相の行方を知る老僧に出会った。
◎『松帆浦物語』 その五
老僧に宰相のことをそれとなく聞くと、
「その方ならあの松帆の浦にいます。この夏ごろからこの嶋へいらっしゃいました」
と言う。
「くわしく話してください。聞きたい訳があるのです」
「その方は松帆の浦からいつもこの庵までお出でになり、都の恋しさなどを語っていらっしゃいます。その中でもある殿上人の御事を、明け暮れ恋泣きなさって、心に思うことすべてを隔てなく語ってくださいました。その思いのためでしょうか、ご気分が優れなくなり、その病が日々重くなって、この庵へもいらっしゃらなくなってしまいました。
付き添う方もいらっしゃいませんので、お可哀相に思って毎日参上いたしましたが、ついにお亡くなりになってしまわれました。今日はそれから七日にあたります。お弔いもこの僧がいたしました」
若君と伊與は、老僧の言葉を聞きながら正気ではいられなかった。ふたりはうつ伏して泣き焦がれた。老僧は、
「これはこれは、さてはあの方に所縁のあるお方たちでしたか」
などと言って、自分も涙を流した。
しばらくして伊與法師が申し出た。
「今までは隠していましたが、あの人がもはやお亡くなりになった上は、世にはばかることもないでしょう。このお方こそ、かの人が恋し泣きなさったとおっしゃる殿上人です。このような賤しい山賊の姿になっていただいたのも、道中人目を避けるためです。
それにしても、あの方にそのように気を使っていただいて、御跡までも弔っていただいた御志には、いくら感謝しても言葉が足りません」
老僧は、
「あの方は今わの際に、"心ざしのほどありがたし"とおっしゃって、小さな法華経念珠などを下さいました」
と言って、取り出して見せた。それがまさしく宰相が生前愛用していたものだったので、いよいよ目がくらむような心地がした。
また、巻き固めて細かくしたためてある文の上に、「四条殿へ」とあって、青侍(公家に仕える六位の侍)の名を書いてあるものがあった。
「これも今わの際に、"よき便りがあればお尋ね申し上げてくれ"とおっしゃいました」
「この文こそこのお方へ当てたものです」
と伊與が言うと、若君も、
「ああうれしい。それならば確かに頂戴いたします」
と言って、文を開いた。そこには岩倉の人々、そして侍従の君へ当てたものである皆が書かれており、都を出てからこの嶋に住む有様、今わの際の有様などがかき集められていた。その文字は鳥の跡のように見えた(文字が続かずに一文字づつ離れていた)。そして、
くやしきはやがて消ゆべき憂き身とも知らぬ別れの道芝の露
などと書かれていた。
在りし夜、須磨で見た夢も、今では思い合わせられてひどく悲しかった。
翌朝、老僧の道案内で松帆の浦に向かった。
【“『松帆浦物語』 その五”の続きを読む】
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どうも、まだまだ部屋の片付けが終わらない管理人です。今度は本(主に漫画だ)とかフィギュアの置き場所に困り果てております。もーいっそ、図書館とフィギュアミュージアム作りたいです。
では、『松帆浦物語』のつづきをどうぞ。
**前回まで**
藤の侍従(通称・若君)の美しさと聡明さに興味を持った左大将は、若君の兄を脅して若君を我が許に呼び寄せ、若君の恋人・宰相の君を淡路へと島流しにした。これに心を痛めた若君は病がちになり、許しを得て実家に戻った。なおも宰相を恋しく思う若君は、岩倉の法師・伊與に頼んで共に淡路へ向かった。道中、須磨の浦での夢に宰相があわられる。朝、二人は舟で岩屋という浦に着いた。
◎『松帆浦物語』 その四
都では、「侍従が身を投げた」という噂が立っていた。左大将殿は慌てふためきながら、
「無用な荒び事(気慰みの遊び)をして人の恨みを受け、さらに惜しい人までなくしてしまった」
と悲しみなさった。
世の中の人もこの殿をよくは思わず、若君の母上は若君の書置き(内容は嘘でした:その三参照)を顔に引き当ててそのまま起き上がりもなさらなかった。若君の兄・中将も、我が子のように育てた甲斐もないように思われ、惜しみ、悲しみなさった。
さて、岩屋にお泊りになった若君は、かの人の居所をはやく問いたいけれども気恥ずかしく、取次ぎもないのでどうしようかとためらっていた。宰相は松帆の浦というところにお行きになったという噂を京で聞いていたので、まずその浦の場所を尋ねた。すると、絵嶋が磯の向かいだと言うので、若君は、京極中納言(藤原定家)が「やくやもしほの(来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ)」と詠んでお眺めになったのも、この浦のことだろうか、身が焦がれるというのも理だなぁと思った。
この日はこの浦を訪ねて、ここかしこに休みつつ、日が暮れてくると、荒々しく時雨が振ってきた。波の音も高い。海士の家ばかりが立ち並んでいて、ここがどこかも分からなかったが、灯の光がほのかに見えた。それをしるべに行くと、板葺きの堂があった。「海士のとま屋に泊まるよりは、ここに」と言って尋ねてみると、かたわらに小庵があった。立ち寄って見ると、松の葉を燃やして老僧が一人いる。
「案内申さん(ちょっとお尋ねします)」
と言うと、ひからびた声で「誰ですか」と言う。
「我々は津の国から来た者です。四国へ渡ろうと思うのですが、便りの舟に遅れて困っているのです。この御堂のかたわらに雨宿りさせてください」
老僧はあやしく思ったのだろう、歩み寄って灯明の光でふたりを見た。すると、やつして(変装して)はいるがこの若君を只者ではないと見たのだろう、「ああ、おかわいそうに」などと言って、庵の中に呼び入れた。
老僧は寂しげに暮らしていた。達磨大師の書像を一幅かけ、助老(座禅のときにひじをついて休む台)、蒲団、麻の衾だけが置いてある。しばらく物語などをしながら、かの宰相の行方を問いたいとは思うが、あまりに突然のことなので言い出せなかった。すると老僧がこの若君をつくづくと見て、
「思うにあなたは都の人ではありませんか。私も昔は都の人間だったのです。二十ばかりのころ、人をあやまつ事があり、京にも住めなくなりましたので、やがて髻(もとどり)を切って江湖山林にさまよい歩きつつ年を重ね、どのような縁があったのか、このような漁屋の隣に住み、紫鴛白鴎を友として、三十年あまりを送っているのです」
などと語るのも哀れだった。しかしそれを頼りに、この流され人のことを尋ねると、
「その方ならあの松帆の浦にいます。この夏ごろからこの嶋へいらっしゃいました」
と言う。
「くわしく話してください。聞きたい訳があるのです」(つづく)
この先ちょっと長くなりそうなのでキリのいいとこで次回に引きます。すみません;
今回は、若君が淡路に着いて宰相さんを探す話でした。と言いつつ、すべての手引きをしたのは伊與さんだと思いますが……。
あまり話が進まなかったのですが、若君のお兄さんがガチでブラコンだということでお許しください。
次回はちゃんと最終回です!
【“『松帆浦物語』 その四”の続きを読む】
またまた間があいてしまいました; ちょっと部屋を片付けようかなと思ってはじめたら終わらない~! 学習机の中は小学生のときから溜め込んだガラクタ(当時はなにか重要なものだったらしい)でいっぱいでした。
ということでつづきです。いきなり新キャラ登場です。
**前回まで**
藤の侍従(通称・若君)と宰相の君が、北山の花見で出会い、交際を始めてから三年がたった。ある時、若君の美しさと聡明さに興味を持った左大将(世の中を意のままにしている大臣の子息)は、若君を呼び出そうと使いを送ったが、宰相は「若君はご病気」と偽って渡そうとしない。しかしこれを嘘だと知った左大将は、若君の兄を脅して若君を手に入れ、宰相を淡路へと島流しにした。若君はこれに心を痛め病がちになり、これを心配した母親の強い希望で左大将の許から我が屋敷へと戻った。
◎『松帆浦物語』 その三
さて若君は、かの岩倉に留まっていた伊與という法師をこっそりと呼び寄せ、床近くに控えさせて言った。
「あの宰相が我が身ゆえに遠い島へ、と聞きましたので、悲しくてこのように気分が晴れないのです。それにどれほど"まろ"を恨めしく思っていらっしゃるでしょう……」
涙に咽びつつおっしゃるので、聞く伊與も言いようのないほど悲しく思った。
「そうお思いになることこそが、宰相さまにとっては類まれなく喜ばしいことでしょう。どうしてお恨みになるでしょうか」
などと慰めているうちに、はや夜も更けた。若君はなおも伊與を枕元に近づけ、ささやくようにおっしゃった。
「どうにかして宰相のいらっしゃる島へ、忍んで私を連れて行ってください。もしも左大将殿のお耳に入って罪になるならば、その島に送られて一緒に過ごしたい。それこそ願いが叶うというもの」
すると伊與は、
「おかわいそうで、仰せはかたじけなくは思いますが、若君がそのようなことを仰るのは、お心がまことにいとけなく(幼く)ていらっしゃるからです。かの淡路へお行きになれば、隠し通すことはできません。やがて左大将殿がお知りになれば、なお憎しと、さらに深い罪に問われることになるでしょう。お志があるのなら、文をお書きください。必ず忍んでお持ちしましょう」
しかし、若君はなおも嘆きながら同じようにおっしゃる。伊與はあわれにも不思議にも思えて、つくづくと案じていたが、思えば自分もこの宰相に先立たれて心ならぬ世に長らえるのも本意ではない。それにこの人(若君)がこのようにおっしゃるのも否定はできない。もとより惜しからぬ命、世に悪い噂が聞こえたとしてもどうだろうか。それならば若君を伴って、今一度二人を対面させてさしあげよう……。
「では左大将殿をたばかる方法があります。左大将殿へもお母上にも、文をお書きください。”罪なき人を我ゆえ遠き国へつかわされたる恨めしさ。とにもかくにも生きる心地がいたしませんので、身を投げます”と、このようにお書きください。ゆゆしき事ですが、ともかくもこうしなければ始まりません」
伊與が姿に似つかわしく(?)申すので若君はうれしく思ったが、また思い返して、
「母がお嘆きになって、ご病気にでもなられたら……、これだけが気がかりじゃ」
「それは後にこっそりとお心一つにお知られすれば、お慰みになるでしょう」
若君は納得して嬉しく思った。
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