アレなものをtopに放置してから1ヶ月以上……、もう11月も終盤ですが、11月といえば、ギムナジウム!! つーわけで今回は、日本のギムナジウム・寺子屋に通う稚児たちの、「恋歌」大特集です! (うぅ、強引)
今回ご紹介する『続門葉和歌集』は、1305年成立。内容は醍醐寺の僧や稚児たちの詠んだ和歌を集めたものとなっております。この和歌集の編集には、門主の他、稚児たちも関わっているそうで、学校文集のノリを感じてしまいます。
さて、さっそく稚児たちの歌をみていきたいと思うのですが、和歌を現代語に訳したり説明したりするのは、私の力では当然無理&情緒を失ってしまいますので、感じたままの感想を述べる程度にして、あとは皆様のご解釈にお任せしたいと思います。(紹介順は原典掲載順とは異なる場合があります)
* * * * *
ではまずはこんな歌。
◇ 涙こそ我が心より先立ちて言わぬに袖の色を見せけり (観心院有夜叉丸)
なんだか繊細ですね。うれしい状況なのか悲しい状況なのか気になるところです。
続いて「待つ恋」というお題で三連発。
◇ 待てといひしその兼言は空しくて契らぬ月ぞ袖に宿れる (寂静院孫鶴丸)
◇ たのめつつ来ぬいつはりに習いてもまた懲りずまに夕をぞまつ (大智院幸乙丸)
◇ 頼めしもいつはりぞとは知りながらせめても今日の暮れを待つ哉 (妙法院幸若丸)
いつまで経っても来ない恋人を待ち続ける心情。来ないことを知りながらどこかで信じているなんて、切ない!!
一つ目の歌にある兼言(かねごと、予言)とは、約束のことです。兼言にまつわるこんな歌もあります。
◇ かねことの行末知らぬ習ひとは思ひながらもなを契るかな (三宝院千手丸)
千手丸くん、すごい恋愛体質みたいですね; 分かっているのにやめられない、みたいな……。
と、今までの歌からすると、稚児たちばかりが切ない目に会っているかのように思われますが、こんなこともあります。
◇(いつまでも変わるまじき由など申しける人に、心ならず疎くなり侍りければ申し遣わしける)
かくばかり思ふにも似ぬ身の果てをいかに頼みし心なりけん (大智院月光丸)
相手から自分から、愛を告げたり別れを告げたり。物語に描かれる僧と稚児の恋は、悲恋であっても一途で永遠的なものですが、実際の寺内の恋愛模様はそうとう入り乱れていたようです。ドロドロとかあったのかな……。
◇ つらさをも身のことはりと知りながら何をかこちて涙おつらん (釈迦院宝喜丸)
「身のことわり」というのは、「自分のせいで」ということでしょうか。困難な恋をしてしまったのか、失恋したのか分かりませんが、思い通りにならない状況を嘆いているようです。
◇(年頃同宿し侍りける僧に思ひの外に離れてあつつ(?)に住みけるかたよりにつけて申し送り侍りける)
荒磯のいまはの波のうつせ貝くだけてもまた逢瀬ありせば (大智院月光丸)
同宿=兄弟弟子ってことですか!? ロマンですねぇ。 って、あッ! この大智院の月光丸くんって、上の歌で恋人を振った子じゃないですか! 振られたのはこの同宿の僧なのか、また別の人なのか……。あらゆる可能性を考えはじめると、とまらないッ!!
さて、次は「僧×稚児」ではなく……
【“『続門葉和歌集』 ~稚児の恋歌~ ”の続きを読む】
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