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梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

「抜けば玉ちる菖蒲刀」(『今様二十四孝』より) 後編

 暑中お見舞い申し上げます。遅くなりましたが後編スタートです。

 *前編のあらすじ*
 ある国の若侍・谷村儀平太は、武勇に優れ、一人の母親に常々孝行する男であった。その若衆・花崎房之助とは公用時以外は片時も離れることがないほどの仲であったが、ある時、家中の若者に武道を教えている藤川峯右衛門という男が、房之助の美しさに執心して恋文を送った。しかし、念者のいる房之助の返事はつれなかった。そこで峯右衛門は儀平太を呼び出し、房之助を自分によこすように言った。すると儀平太はあっさりと「房之助を任せる」と答えた。峯右衛門は儀平太が自分の強さに恐れをなしたと思い、弱虫な儀平太と彼を念者としている房之助を軽蔑するようになった。
 このやりとりを伝え聞いた房之助は、儀平太と峯右衛門をうらみ、まずは儀平太を殺そうと屋敷を訪れた。しかし、自分の姿を見てもうろたえていない儀平太を見た房之助は、なにか思惑があるのだろうかと、儀平太の話を聞くことにした。


◎「抜けば玉ちる菖蒲刀」(『今様二十四孝』巻二の(二)より)

 儀平太は言った。
 「されば、武士が命を捨てるのは、朝夕の俸禄をいただいて身を安く暮らすご主人のためか、あるいは親のために命を捨てるのか、思案分別の及ぶところではない。その外のことにおいては、思慮をめぐらせて惜しむべきは命である。命がなくては、忠孝の二つを何を以って尽くせようか。私が峯右衛門に恥辱を与えられたことは、そなたと念着した色道のあやまり、その情におぼれて軽々しく命を捨てるのは、誠の武士ではない。たとえ腰抜けと笑う者がいても、そいつらは同じ無分別者であるから、さらさら私は恥ずかしいとも思わない。侍は必ず、恥辱も誉れも事によって、道理に暗いという例も世に多い。
 必ず峯右衛門に意趣を残さず、主人への奉公を大切にしなさい」
 言葉を尽くした儀平太の言い分に、房之助も、
 「とかく御料簡あって命を惜しませなさったと承った上は、さえぎって私が申すべきことはありません。何といっても御愛しさのあまりに申し上げたのです」
と、いつもよりもむつまじく語った。しかし儀平太は、
 「そなたとは懇ろを切る。私は所存あってとは言えども、峯右衛門に恥辱を取った上は、そなたの情の義理は欠けてしまった。しかれば、不心底の現れた私を、たとえそなたが只今までのように思ってくれるからといって、私は懇ろするべきではない」
と、思い切ったような様子に見えた。房之助は、
 (さては私を不憫に思し召すことは、ご心底に忘れてはいらっしゃらないのだろう。それほどに義理を思し召す身ながら、これほどにきたなくも命を惜しみなさるのは、よくよくのご思案の上なのだとは思うけれど…。最前からとかく未練のご心底のようだから、これからすぐに峯右衛門の方へ踏み込み、だまし討ちにして無念を晴らそう)
 気持ちを心底に納め、上辺に、
 「わかりました。ではこの上は何事も包まず仰せ開けられください」
と言った。しかし儀平太は、
 「とにかく命を捨ててはいけない。そのことは必ず理解しなさい」
と、ついに心底を語ることはなかった。房之助も心ともなく、
 (とにかく峯右衛門を訪ねてだまし討ちに……)
と心がけて月日を暮らしていた。

 そのうちに、儀平太の母親が日ごろの持病のつかえがさし重なり、いつものことと油断していたところに急に取りつめて、七月三日、桐の葉のさそう秋の初風の吹く頃、もろいものは露の命である。
 儀平太は野辺の送りを営み、心の限りを尽くして数多の僧を招いて作善の営みをし、十七日に仕上げの御経を結願して、何事も心静かに行った。

 今日は九日。幸い峯右衛門の方には弟子たちが集まり、稽古をしているという。儀平太は覚えある刀・左文字と二尺三寸(脇差)に目釘をしめし、供も連れずただ一人、峯右衛門の許へ向かった。

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