◎「抜けば玉ちる菖蒲刀」(『今様二十四孝』巻二の(二)より)
昔、ある国の家中に、谷村儀平太という若侍がいた。一人の母親に常々孝行して、その噂は家中に隠れなく、隣国にも伝わっていた。人の子はかく有るべきだろう。
儀平太は御家柄ゆえに武の道に心掛けが深く、さらに情けの訳も浅からず申し交わした人がいた。同じ家中の花崎房之助という若衆で、念着(念若?)のちなみ、互いに心底をみがき、この二年の契りであった。月も花も一人では眺めず、しばらくの間も公用の外は立ち離れる事はなかった。
そのころ、藤川峯右衛門という男が、大島流の鑓を申し立てにして新参した。峯右衛門は、殿様をはじめ一家中の若い衆を一流の弟子にして世にときめいていたが、ある時から房之助の美しさに執心して、心底浅からぬ思惑を書き尽くした文を送っていた。だが房之助の返事には、
「数ならぬ身をかくも思し召しよせられ下さる段は、まことにかたじけなく存じますが、お断り申す理由がありますから、どうぞお許しください。なおまた御懇意の儀は頼み奉ります。諸事お引き回しくださりますよう」
これを見た峯右衛門は、
「さてはこの若衆には念者がいるに違いない。それは何者だろうか」
だが尋ねるまでもなく、弟子の中に、儀平太の従弟の浅澤佐右衛門という男がいて、今までのあらましを語った。
「どれほどご執心をかけられても、房之助はなかなか合点致しませんよ。儀平太も色こそ白いですが、戸田流の允可(いんか:許可)までとって、少しは心に覚えのある者です。無理に仰せられては大変な事態になります。どうかご無用に」
そう言って、佐右衛門は峯右衛門をなだめたが、峯右衛門は気をもって時をうかがっていた。
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