では、今回のお話に参りましょう。今回はありがちといえば、ありがちなネタなんですけどね。
◎「あけて悔しき文箱付義に軽き命」(『新百物語』巻一の(三))
東海道のあるところに、禅林寺という寺がある。弘法めでたく見えて(空海が建てたお寺)、僧徒は多く、小姓も大勢いる中で、美野部庄之介という少年は、男色の魅力があり、顔ばせはとくに優れていた。昔男(=在原業平)が初冠した姿、鉄拐(隋の仙人)が吹き出した美童もかくやと思われ、参学の窓に蛍を集め、その才知は院内でも優れていたので、老和尚の覚え憐れみは殊に深かった。
その同じ寺内に、真悔という浪人がいた。ある仔細があり、弓矢の家を出て、竹林院という母方の伯父につき、顕正成仏の心法を学んでいた。
しかしやめがたいのは情の道。「若きも老いたるも」と書かれるのも、もっともなことである。真悔は、ある夕暮れ庄之介を垣間見てからというもの、思いの火を胸に焚き、夜はすがらに(夜通し)寝ることもせずやるかたなさを感じていた。
このまま思い死んでしまうのもさすがなので、ほんの少しでもこの思いを知らせようと真悔は、日ごろ世話を頼んでいる同宿の僧に事情を話した。同宿の僧はすぐに承知してくれた。
真悔は限りなくうれしく、ある時は詩に思いを述べ、ある時は和歌の文字を連ねて恨み託ちて文を送った。そのうちに庄之介も、この上なく哀れに思うようになり、このときから、見(まみ)え初めて、限りなき情を重ねるようになった。
ある夜、真悔は庄之介の部屋に忍び入って、雨のつれづれを語り合っていた。そんな中、庄之介が言った。
「この日ごろ、このように御情けが深いので、この身をお任せしていましたが、私は実は明日をも期せぬ身の上なのです」
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