前回に引き続き、『今昔物語集』(12世紀前半成立)から1話お届けします。ちょっと長いので前中後編になる予定です。内容的には純粋な男色譚とは言えませんが、13歳の美少年をめぐる、オトナたちの陰謀と葛藤をお楽しみください。
◎今昔物語集 巻第二十六 第五話 (前編)
今は昔、陸奥の国に、富と権力を持った兄弟がいた。兄は何事においても弟に優っていて、国の介(国司の次官)として政(まつりごと)を行っていた。いつも国の館(たち:政務を行う場所)にいて、家に居ることは稀であった。その家は、館から百町(約11km)ほど離れたところにあった。兄は通称、大夫の介と呼ばれていた。
この兄は、若い時には子どもが無く、自分の財産を継がせる子がいないと言って、熱心に子どもを欲しがっていたが、そのままだんだんと年老いてしまった。その妻の年も四十余となり、今は子を産むことも思いがけないことになっていたのだが、ついに懐妊した。夫婦はこれを喜び、やがて月が満ちると、端正美麗な男の子が産まれた。
父母はこれをいつくしみ愛して、目を放さず世話をしていたが、その母がまもなく死んでしまった。嘆き悲しむことは甚だしかったが、どうしようもないので、これ以上涙を流さないことにした。
父・大夫の介は、「この子が物心ついて成長するまでは、継母を見ない(再婚しない)つもりだ」と言って、妻をもらわなかった。また、大夫の介の弟にも子どもが無く、その上、この甥の児(ちご)がきわめて可愛らしかったので、
「私もこの子を、わが子として頼みたい」
と言うと、大夫の介も、
「母も無く、私一人でこの子を育てようと思ったが、身の忙しさに、常には面倒を見られないのが気がかりだった。お前が同じように思っていてくれたのは嬉しいことだ」
兄はわが子を弟に預け、弟もその子を家に迎え入れて、可愛がって育てた。
時がたって、児は十一、二歳になった。成長するにつれて、姿が端正なのに併せて心栄えまで厳しく(いつく…:品があって美しい)て、人に対して無理にあたることも無く、教えた文(漢籍)などをすぐに理解して身に付けたので、親たち(実父と叔父)が慈しみ愛するのは当然のこと、仕える従者たちに至るまで、この児を愛し、傅いた(かしず…:大切に育てた)。
さて、この国に、男に先立たれた寡(やもめ)女がいた。女は、大夫の介も妻を亡くしているということを聞いて、
「この子の後見をしましょう」
と、人を介して熱心に申し入れた。しかし、女の心が怪しく、恐ろしく思われた上、自身も忙しく、いつもは家にもいないので、大夫の介は、「妻の用は無い」と言って、取り合わなかった。
しかし女は、すぐにでも妻になろうと思っていたので、
「私も娘を一人持っていますが、男の子はいないので、この子を老後の頼みにもしようと思っているのです」
と言って押しかけてきた。そしてただ、この児だけをかまって可愛がるので、大夫の介は怪しいと思って、しばらくは寄せ付けなかったが、鰥(やもめ)男の許に寡女が来て、しいて家のことなどを取り仕切るので、仕方が無いと思って、夫婦の交わりを持つこととなった。
その後、女はいよいよこの児を可愛がり、親子のあるべき姿のように(理想的に)に見えるので、父・大夫の介も、「こんなことなら、どうして今まで近づけなかったのか」と思って、すべてを任せることにした。女には十四、五歳の娘がいたが、この子も児を可愛がってくれるので、大夫の介は、この娘もわが子のように大切に養育した。
こうして、この児が十三歳になる年、継母は、大夫の介の物をみな心のままに扱えるようになって、思った。
「この男は年もすでに七十歳になって、今日明日も知れない命だ。この息子がいなければ、こんなにも多くの財産が、私と娘のものになるのに……」
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この季節、学生の皆様は部活動やサークルなど、なにかしらの勧誘にあわれているかと思います。新入生の方は特にでしょう。かく言うワタクシは、また今年も新入生に間違われて声を掛けられています(
もう4年生なのに……)。
さて、そんな勧誘の中には、ちょっとアレレと思うようなものもあるわけでして。こんな話を聞かされたら、あなたはどう思いますか?
◎『今昔物語集』 巻第十七 第四十四話
今は昔、比叡の山にある僧がいた。尊い学僧ではあったが、非常に貧しかった。ちゃんとした檀家なども持っていなかったので、山には居らず、後には京に下って、雲林院というところに住んでいた。父母もいないので、世話をしてくれる人もなく、生活に事欠くことが多いので、その事を祈り申そうと思い、年来鞍馬に詣でていた。
ある年の九月二十日ごろ、僧はさえない小坊主を一人だけ連れて、鞍馬に参った。その帰り道、出雲路のほとりで日が暮れてしまった。月がたいそう明るいので、僧は足早に道を急いだ。
一条の北の小路にさしかかったところに、十六・七歳ほどと思われる、容貌の美麗な童と道連れになった。いかにもふさわしい白い衣(きぬ)を、腰のあたりを紐で結んでしどけなく(無造作に)着ている。
「道行く童であろう。だが共に法師なども連れていないのは不思議だ」
と僧が思っていると、童の方からこちらに歩み寄ってきて、言った。
「御房(ごぼう:僧の敬称)はどちらへ行かれるのですか」
「雲林院と申すところへ帰るところです」
僧が答えると、童は、
「私を連れて行ってください」
と言った。
「童(←呼びかけ)、誰とも分からないあなたを、どうしてお連れできましょうか。和君(あなた)はどこへお行きになるのですか。お師匠のところへですか、父母のところへですか。「連れて行け」とおっしゃるのは、嬉しいことではございますが、あとで悪い噂が立っては大変です」
そう言うと、童は、
「そう思われるのは当然ですが、長年なじみだった僧と仲違いをして、この十日ばかりさすらい歩いております。親であった人にも幼い頃に先立たれてしまい、「大事にしてくれる人がいたら、付き従ってどこへでも……」と思っているのです」
と言った。
「それはとてもうれしいことです。後の噂があろうとも、法師(自分のこと)の罪にはならないでしょう。しかし、法師の住む房には、賤しい小坊主一人のほかには誰もいません。とても侘しくお思いになるでしょう」
それから僧と童は語らいながら歩いていった。道行くほどに、童があまりにも厳(いつく)しい(神々しく美しい)ので、僧はすっかり心を奪われてしまった。
「もうどうなってもかまわない。連れて行ってしまおう」
そのまま連れ立って、雲林院の房に着いた。
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みなさま、新年度いかがお過ごしですか? 当ブログはこの4月から3年目に突入します。今回はその記念ということで、祝い事といえば恒例の、BL春本『男色山路露』より「まぼろしの恋」というお話をお送りしたいと思います。
残念ながらエロ度は低いですが、オメデタ度は随一です。
◎まぼろしの恋(『男色山路露』より)
唐土の東坡(とうば:北宋の詩人)は李節推の美貌に惚れて、多くの詩を作って口説き、わが国の弘法大師は若衆の恋文を読みやすくしようと、いろは四十八文字を書き始め給い、女まで恩恵にあずかることとなった。
ここに山本重八(じゅうはち)といって、隠れない男色の達人がいる。おそらく日本中を巡り歩いて、国々で衆道の修行をし、常は都の片隅に行いすまして暮らしていた。重八には秘蔵した松太郎という美童がいたが、その子が無常の煙と消え去った時からは、世をはかなむようになっていた。
あるとき徒然のあまりに、前栽の花を眺めつつ髭を抜いていると、向こうの井筒の中から、さも美しい若衆が現れた。そして重八のそばへつかつかと近寄り、
「お寂しそうにしていらっしゃる愛しさに、お伽に参りました。髭を抜いてあげましょう」
と、にっこりと会釈する。
重八は「これは怪しい」と思いながらも、
「何にせよ、若衆とあるからには恐るべきではない」
と、そのまま抱き寄せ、まず口を吸った。その味わいは甘露のようである。
たまりかねて、尻をまくり取り掛かると、たいそう快くあてがい、さても松太郎(↑参照。重八の前若衆)も顔負けの旨さである。
祭り渡して(絶頂に達して)ようやく気がつき、
「それにしても、そなたはあそこの井筒から現れて、私に契り給う不思議さよ」
重八が尋ねると、若衆はにっこと笑って、
「ご不審はごもっとも。御身はひとえに衆道を信じ、生まれてから女の道を知らぬ心ざしを感じ、近頃の憂さを晴らさせようために、仮に契りを込めたのである。我こそは衆道大明神の使徒、十五童子の化神である」
と、言うかと思うと、しみじみと消えうせてしまった。
重八は奇異の思いをなして、いよいよ女の顔は見向きもせず、一生男色を立て通してこの世を去った、というのは嘘ではないぞ。
最後、なんか偉そうですが、原文通りですので。
いや~何とも、春の陽気のように頭がぽかぽかするお話でしたね。幸せです。幸せすぎです。ちなみに、冒頭の東坡と李節推のエピソードは本当ですが、弘法大師の方はウソですからね~(ホントだったら面白いけど)。念為。
しかし、ワタクシもこの重八と同じような気持ちです。一生男色文献を追い求めていきたいなぁ、と。衆道大明神さま、どうか良い男色文献を御遣わしくださいませ!!
■おまけ■
「まぼろしの恋」の挿絵です。→→
■ 若衆>>「ひげぬいて上(あげ)ませう」
重八>>「うれしうござる 口々」
↑童子、完全に役得って感じですね。
衆道大明神&十五童子って設定はすごく面白そうです。ラブコメ(?)にしたいなぁ。衆道大明神のチカラを受け継ぐ主人公が、十五人の童子と…云々という感じで(笑) というわけで、今年度もいろいろなお話をご紹介していきたいと思っております。更新が遅かったり、需要がなかったりするかも知れませんが、もはやライフワークなので(^^;)
お付き合いいただければ幸いです。
長々とお送りしてきた稚児物語『鳥部山物語』もいよいよ最終回です。
*前回まで
宮中で行われる御修法(祈祷)のため、師である和尚とともに都に上った武蔵国の学僧・民部卿は、都で中納言の一人息子・藤の辨と深い仲になった。しかし民部は武蔵へ帰ることとなり、ひとり都に残された藤の辨は、恋しさと悲しさのあまり寝込んでしまう。見かねた"めのと(男性)"は、父・中納言の命を受けて武蔵へ向かい、民部を連れ帰るが、藤の辨は彼らの到着を待たずに帰らぬ人となっていた。
◎『鳥部山物語』 其の六
君の父はいうまでもなく、母も普通の人にはお会いになることがないというのに、几帳の苫(とま)まで走り出て、民部の袖におすがりになった。"めのと"などは傍らに垂れ伏し、「つらい、情けない」と嘆く声は、当然のことだがこらえようがない。
ややあって、父の中納言は"めのと"である男に向かって仰った。
「先日そなたがここを出立した時には、あの子も少しは心が慰んだようで、悩みもいささか軽くなったように見えたが、また日に日に重くなり、はや薬なども意味がなくなって、息絶えてしまった……。何度も呼び立てて起こそうとしたのだが、情けなくも思い出話となしてしまった。今際の際の心の闇、母の嘆きのやるかたなさ。ただ思い返せば、嘆いても帰らぬ道であると、鳥部山(現京都、平安時代の火葬場)の傍らにたった独り葬送して、むなしき煙となしたのは……」
と、またむせかえりなさるのを見ると、すぐに人々も大きな声をあげて泣き出すのだった。
民部は君のお部屋に入ってみた。そこには、むなしくぬぎすてた衣や、朝夕手馴れた調度などもそのまま残っていて、たいそう涙を誘う。また傍らを見ると、使い慣れた扇に、「こひむなみだの色にゆかしき」などというような古歌が数々書いてある。その中に、
日影待つ露の命は惜しからで逢はで消えなんことの悲しき
と書いてある筆の跡も、いたく弱っていらっしゃる時のものと思われて、文字も定かではない。
民部の胸はふさがり、在りし日の君の姿がそっと身に添う。いつの世であろうと忘れるはずもなく、今はただ、惜しくもない命を亡き人のために捨てる事だけを、ひたすらに思い願っていた。
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