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梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

謡曲『谷行』 (後)

 やっと大掃除&年賀状書き、終わりました~。今年も本棚一台増えました(ほとんど漫画のせい)が、あいかわらずモノが溢れかえってます……。

 そんなわけで今年最後の『梅色夜話』は、前回の『谷行』にオチをつけて、すっきりさっぱり終わらせたいと思います。え~……中世人になりきって読んでください;


◎謡曲『谷行(たにこう)』 (後)

 *前回まで*
 母の風邪平癒の祈祷のため、師匠・師の阿闍梨(そつのあじゃり)とともに、峯入(みねいり:山にこもっての修行)に出かけた松若だったが、なれない旅のせいか、体調を崩してしまう。山伏たちの間には、「谷行」すなわち、峯入の際に病にかかった者は仏罰を受けたものとして、生き埋めにしなければならない、という厳しい掟があった。同行の山伏から「松若を谷行にするべきだ」と言われた阿闍梨は……。


 師の阿闍梨(以下「師」)
 「なんと言う。松若を谷行に行うというのか!」

 小先達(=一行の副リーダー)
 「そうです」

 師
 「厳しい掟だから是非もないが、それではあの子の心中があまりに可哀想だから、この掟のことをよく言って聞かせようと思うが」

 小先達 「それは尤もなことです」

 師
 「ああ松若、よくお聞き。この峯入にてこのように病気をするものは、谷行といって、すぐに命をとってしまうのが、昔からの厳しい掟なのだ。私がそなたの身に代わってやれるのなら、何の命が惜しかろう。だが、どうしていいか分からないのだ」

 松若
 「お言葉はよく分かりました。峯入に出て、そのために命を捨てるのは、私の一番望んでいたことですが、ただお母さまがお嘆きになることが、それがとても悲しいです。それからしばらくでも共に過ごした方々にも、前世からの縁があればこそと思うと、お名残惜しゅうございます」

 こう言われては、誰も何とも言い慰める術もなく、皆声を上げて涙に咽んだ。
 阿闍梨は面を伏せて泣き、一行は悲しみ憐れんだが、これも是非のない世の習い。特にこれは厳しい掟で、神仏の照覧遊ばす(御覧になる)、自分勝手にまげることのできないものである。よってとうとう、谷行が行われることとなった。

 阿闍梨は松若とは師弟の関係であるから、この悲しみを慰める術もなく、ただ心がくもり、目が見えなくなるほど流れる涙を止めることもできない。

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謡曲『谷行』

 今回は謡曲、すなわち能の脚本です。能ではBLそのものよりも、美少年を描いたもののほうが多く存在するような気がします。
 そういうわけで今回の『谷行(たにこう)』も、「子方(こかた)」が登場するお話です。少年と言うよりは、ちょっとショタに近いかも。


◎謡曲『谷行(たにこう)』

 京都今熊野の山伏・師の阿闍梨(そつのあじゃり)には、松若という一人の弟子がいた。松若の父は亡くなって、母親と共に暮らしていた。
 阿闍梨は近いうちに峯入(みねいり:山にこもっての修行)することを決め、松若の私宅に暇乞いに向かう。(←舞台上では阿闍梨のセリフ)


 師の阿闍梨(以下「師」)
 「もうし、お取次ぎを願います」

 松若 「どなたですか。まあ。お師匠さまでございましたか」

 師  「これ松若。どうして長い間寺へ参らなかったのだ」

 松若 「はい、お母さまが風邪気味だったので、参らなかったのです」

 師
 「それは驚いた。少しもそのようなことは知らなかった。まず、私が来たことをお母さまに申し上げておくれ」

 (母の前で)松若
 「お母さま、お師匠さまがいらっしゃいました」

 ……部屋へ招かれた阿闍梨は松若の母に向かい挨拶をした後、風邪の様子を尋ねる。母親はずいぶんと良くなったと言う。

 師
 「それはよかった。ところで、私は近いうちに峯入を致しますので、お暇乞いのために参ったのです」

 母
 「いかにも峯入というのは、大変難しい修行だそうですね。それでは松若もお供するのですか」

 師 「いえ、幼い者が供のできる道ではありません」

 母 「では無事に、早くお帰りください」

 師 「はい、またすぐ帰って参ります」

 阿闍梨が挨拶をして帰ろうとすると、松若はこれを引き留める。

 松若 「あの、お師匠さま」

 師  「どうした」

 松若 「松若も峯入のお供がしとうございます」

 師
 「いやいや、今もお母さまに申したように、この峯入は難行苦行の大変な修行で、幼い者には思いもよらぬものだ。その上、お母さまのお風邪を見捨てて置いてはいけない。どちらにせよ、行くことはならない。思いとどまりなさい」

 松若
 「いえ、お母さまがお風邪なので、その御全快を祈るために参りたいと思うのです」

 阿闍梨は松若の峯入について、母親に相談した。

 母
 「わかりました。それは松若の申すように、峯入のお供をするのが一番望ましいことですけれど……。
 (松若に向かって)そなたの父が亡くなってからは、ただ独り子を唯一の頼りとして、こうして一緒に暮らしている時でさえ、しばらくでもそなたの顔が見えないと、心配になって忘れられないのです。私の思いを察しておくれ。どうか思い留まっておくれ」

 松若
 「仰せは尤もですが、私は難行苦行をして、お母さまの現世安泰をお祈りしたいと、そう思い立っただけです」

 松若のかきくどく様子に、阿闍梨も母親も深い孝行の心を感じ、涙を流しながら峯入を許した。
 母との別れを惜しみつつ、阿闍梨と松若は峯入に出かけた。

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歌舞伎十八番『毛抜』

 先日、映画『王の男』を観に行ってきました~。感想等を日記に書きつづってみましたが、イマイチ頭の中が整理されていない文章なので……///。映画自体はとてもよかったと思います。

 それはさておき、このごろ演劇関係のコトをちょいちょい調べておりまして、するとどうでしょう、「やおい」なお芝居がざくざくと出てきてしまったんです。その一部は前回・前々回にもご紹介しましたが、もう少し、この演劇シリーズ続きそうです(しかし、時代的にも内容的にも順不同になると思います;)。


 今回ご紹介する『毛抜』は、現在でも上演されている演目で、あらすじ等が解説されている本やWEBページも多いと思いますので、くわしい話はそちらにお任せしたいと思います(というか、もはや周知だったり!?)。


◎歌舞伎十八番『毛抜』

 *前略*
 主人公の粂寺弾正(くめでらだんじょう)は、主人・文屋豊秀の使者として小野春道の館に向かう。そこで、豊秀と小野家の姫君・錦の前との婚礼が延期になっていた原因が、姫の「髪が逆立つ奇病」のためであると知る。

 ……弾正が春道への取次ぎを頼むと、姫や腰元、小野家の家臣たちは退出する。一人残った弾正は、姫の奇病について思案する。


 弾正
 「……御顔立ちはいつもと変わらず、ご病気のようには見えない。さすれば全く五臓(内臓)のなすところでもなし。あの薄衣(薄衣を被っていると毛が立たない)のことも合点がいかない。
 ハテ、いぶかしいご病気だなぁ」

 弾正が腕を組んで考えていると、小野家の小姓・秀太郎が煙草盆を盛ってやってくる。煙草盆を弾正の前に置くと、お辞儀をして

 秀太郎
 「御使者ご苦労に存じまする。わたくしは秦の民部(小野家家臣)の弟、秀太郎と申す者でござりまする。民部が申しますには、弾正様はさぞお退屈でございましょう、すぐに(春道は)ご披露仕り、お目にかかるでございましょう、とのことです。今しばらくお控えくださりませ」

 弾正
 「これはこれはご丁寧な。そなたが民部殿の御舎弟。ハテよい器量(容姿)ですな、御才子(才知の優れた人)とお見受けします。末頼もしい。おそらくは弓鎗のお稽古をなさっているのでしょう?」

 (以下、いちいち両手をついて答える)秀太郎
 「鎗(やり)はしつ流、弓はなすの流(共に架空の流派)を稽古いたします」

 弾正
 「それは、二道とも結構な流儀でございますね。精進いたしなされ。そして馬は、どの流儀をお稽古なさるのかな」

 秀太郎 「いえ、まだ稽古にはかかりません」

 弾正  「馬はまだ稽古なされん」

 秀太郎 「左様でござりまする」

 弾正
 「それは、弓馬の道と申せば、武士が最初に稽古いたさねばならぬことでございます。すこし御油断に思われます。
 (秀太郎を見つめて)それではさっそくながら馬の乗り様を、拙者がご指南申そう」

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「氏神詣」(『芸鑑』より)

 前回に引き続き、お芝居におけるBLをご紹介しましょう。
 『芸鑑』は狂言作者(脚本家)が「昔」の狂言(=芝居)の内容をメモしたものです。ここでいう「昔」はおそらく1600年代後半、元禄時代くらいのものと思われます。

 さて、そこに記された「氏神詣」ですが、紹介しといていうのもなんですが、かなりしょーもないっす。まあ、史料的価値があるということで……。


◎「氏神詣」(『芸鑑』より)

 昔の狂言には、多く衆道の趣向があった。若衆形(若衆の役をやる役者)の立者(スター)は若女形より高給銀(たかきゅうきん)である。その時分(万治・寛文頃)は町々にも衆道がはやっていた。
 昔の狂言をまた書き付ける。氏神詣とかいう外題(タイトル)を言い伝えている。(以上、著者の前置き)


 殿様が氏神詣(出生地の守り神に詣でること)遊ばされ、六法の出所作(舞台に出る際の演出)がある。その後に引き馬の行列踊り。そのときの歌。
 [殿のお馬はさび月毛連銭あし毛鹿毛かすげ(以上馬の毛の種々)、しとしと打てばかけあがり、お江戸育ちのひげひげ男。お馬の口をしっかりと、つりりんつりりんひげ男。つりりん/\/\つりりん/\りん/\/\/\りんとはねたるいさみ馬。つなぎとめたよ恋のせき札]

 殿様 「皆々、大儀じゃ。休め休め」
 家来が手をつき、「まず殿様には神主方にて御休息」と言うと、歌が始まって、皆は舞台袖に入る。
 
 奴たちは景色をながめ、小姓の器量を噂する。
 「艶之丞(やさのじょう)がよい」
 「イヤおらは友弥どのにほれた」
と、いろいろ噂をしているところへ侍が出てきて、
 「なにをたわ言。御小姓の噂、今一言言ってみろ」
と咎めるので、奴たちは振り返りもせずに逃げて舞台袖へ入る。
 同時に「かんなぎ(神主や巫女)、お神楽~」と呼ぶ声がして、侍も脇へ入る。

 艶之丞が出てきて神前に向かい拍手を打ち、「主君国家太平御武運長久」と祈っていると、茶坊主の珍才が後ろに立って、艶之丞の袖を引く。
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狂言『八尾』

 最近キケンづいている当ブログですが、実在の人物を扱った次は、実在の(?)神仏を取り上げてしまおうと言うわけでして。

 今回ご紹介する狂言『八尾』の登場人物はかの有名な地獄の主・閻魔大王さまでございます。当ブログでは『根無志具佐』(平賀源内作)に続いて二度目のご登場。いっそう閻魔さまを好きになること請け合いです。


◎狂言『八尾(やお)』
 *本作品は狂言なので、人物の動作は地の文や()内に、囃子事は『』内に、セリフは 人物名「」 で表すことにします。*

 
 ある罪人が竹に文をさし、肩に担いでやって来る。
 『地獄へ落つる罪人を、誰かは寄ってせこうよ(誰が防ぎとめてくれるのか)』

 罪人
 「私は河内の国・八尾の者でございます。私は思いがけず無常の風に誘われ、今は冥土に赴くところです。(←狂言特有の自己紹介ですね)
 ともかく、そろりそろりと参ろうと思います」
 
 (歩きながら)罪人
 「まことに、まさか今などに死のうとは思わなかった。そうと知っていたなら後生を願おうものを、全く残念なことをした。
 しかしながら、八尾(大阪府八尾市)のお地蔵さまから閻魔王への御文があるし、きっと極楽へ行けるだろう。
 おや、歩いてきたら道のたくさんある所に出た。おそらくこれは、娑婆(現世)で聞いた、六道の辻であろう。これはどの道を行ったものか。ともかくここらで少し休んでから、時を見計らって(適当な時に)行こうか」

 罪人が休んでいる頃、閻魔王も六道の辻へ向かっていた。
 『地獄の主・閻魔王、囉斎(ろさい:托鉢)にいざや出うよ』
 
 閻魔
 「このところ人間が利口になって、八宗九宗に宗体を分け、極楽へばかりぞろりぞろりとぞろめくによって、地獄の餓死は大変なものだ。それで今日は、閻魔王自身、六道の辻に出て、いい(適当な)罪人でも通れば、地獄へ責め落とそうと思う。」
 
 『住み慣れし地獄の里を立ち出でて、足に任せて行くほどに、六道の辻に着きにけり』

 閻魔
 「急いだのではや着いた。クシクシクシ(匂いをかぐ擬態語。可愛!)イヤ、罪人が来たと見えて、人臭くなった。だがどこにいるのか分からん」

 閻魔王が罪人を捜していると、休んでいた罪人も立ち上がって

 罪人
 「さて、この道が良さそうだ。この道へ参ろう」

 歩き出した罪人は、閻魔王と鉢合わせしてしまった。閻魔ににらまれた罪人は、下を向いて震える。

 閻魔
 「イヤ、よい罪人がやって来た。急いで地獄へ責め落とそう。
 さあさあ、罪人よ。急げ急げ」

 閻魔は持っていた杖で罪人をいろいろに責め立てた。すると罪人は竹につけた文を差し出した。閻魔は思わず後ずさる。

 閻魔
 「ヤイヤイ、それがしの前に、にょろりにょろりと差し出す、それはなんじゃ(原文のママ。なんだこの面白いセリフは!)」

 罪人
 「これは八尾のお地蔵からの、閻魔王への御文でございます」

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