『風流比翼鳥』。最後はちょっと贔屓して、男色派の話を聞きましょう。テーマは「衆道の信」
◎『風流比翼鳥』 挿話の五(「心中は同和気知の根元」)
摂州難波津に、花村屋又六という男がいた。彼には兄弟の子供がいた。兄の亀之介は両の指に一つ増年、弟・又三郎は三歳で、いまだ乳を飲んでいるというのに、哀れや又六は風邪をこじらせ、無常の煙と消えてしまった。
又六の女房はひとかたならない思いに沈み、忘れることの出来ないはかない命も、二人の子供に隔てられ、若後家となってしまった。
さて、又六には近しい友人が二・三人いたが、その中でも松屋喜七とは特に仲が良かった。
その喜七は、亀之介の幼い身振りを可愛がり、行く行くは自分の弟(=若衆)にしたいと思っていた。だが仮初の戯れも、いつからか自然と真の知契となっていった。
そんなことは露も知らない喜七の家族は、
「喜七は若いから、いつまでもここに置いておくわけにはいかない。 あそこもここも、色茶屋で金を使わせようと、呂州(湯女)・白人(私娼)・茶屋女が人をたらして銭儲け。喜七が悪所に染まらないうちに、江戸へ行かせて潮を踏ませたら(困難を経験させたら)、末も良かろう」
と申し合わせて、喜七に東下りをさせるという讃談だった。
そんな中で喜七は、亀之介のことが悲しく、ああしようかこうしようかなどと、くよくよ思っても叶わぬことで、亀之介に念頃に暇乞いをし、
「どうかお変わりないよう」
と、涙ながらに江戸へ下った。
江戸では三島町でわずかな商いをして年月を送り、過ぎし難波のことを思い出していた。
そのころ又六の妻は、夫が残した酒商いを仕舞い、弟・又三郎を連れて近江へ引越してしまった。子を捨てる藪はあっても、身を捨てる藪はないとか、兄・亀之介はわずかな金を取って、道頓堀(陰間茶屋がある)に浮き身を流し、中村屋の抱えになしたのはかなしいことだった。
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武士ってぇのは、ふつうに刃物持ってるからコワイです。
そんなわけで、前回の続き。テーマは「衆道の義理」
*前回まで*
酒屋の若旦那・勘介と浪人の末息子・染五郎は二年間隠れて交際していたため、染五郎に恋焦がれる男は日に日に多くなっていった。
その後、染五郎が勘介との交際を公にすると、染五郎に執心していた浪人・彦八は、勘介に染五郎を渡すように迫り……
◎『風流比翼鳥』 挿話の四(後)
彦八のねだりがましい物言いに、勘介はむっとしたが、心を静め、
「いや、これは無体なご所望だ。私と染五郎とは深い契りを交わした仲、あなたへお渡しすることはできません。是非にご所望なら、腕先をもって進上申そう」
と言い終わらぬうちに、彦八は刀を抜き、肩先から胸の下まで切りつけ、止めも刺さずに立ち退いた。
染五郎は勘介のもとへ、所用のために来ていた。そしてこの様子を見て大いに驚き、
「念友の敵! どこまででも」
と、彦八を追った。
近隣の者も大騒ぎして、「そりゃ喧嘩だ」「門を打て」「棒だ! 熊手だ!」と我先に追いかけた。
そのなかに、大戸を持ち、染五郎にぴったりと付いて息を限りに追いかけて来る男がいる。これを見た彦八は、かなわないと思ったのだろうか、大橋から川の中へと飛び込み、向こうの岸へ泳ごうとした。
染五郎もこれを見て、続いて飛び込んだ。二人とも、水心(水泳の心得)はなかったが、命を捨てここを大事と、浮きつ沈みつ流れていった。
折節、このごろ降り続いた大雨に水かさは増し、水勢は矢を射るようであった。それをどうしてこらえきれようか、二人はともに押し流され、あわれ彦八は、滄海の波に巻き込まれ、水の泡となって影も形も見えなくなってしまった。
後から飛び込んだ染五郎は、まだ沈んではいないが、すでに命も危うい状態である。そこへ、先の戸板を持った男が飛び込み、泳いできた。
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今回は男色派さんからエピソードをお話してもらいます。
曰く「やつがれが耳にはさんだ若道の、うまくやさしく有がたき、色のいきぢのおもしろきはなし」だそうです。
今回、登場人物が多いのでご注意ください。
◎『風流比翼鳥』 挿話の四(前)(「実は同義理一筋」)
花のお江戸に、若松屋定勘(じょうかん)という酒問屋がいた。定勘は若い頃から無駄食いせず、稼ぐに追いつく貧乏神もなく、次第に上々吉の酒屋となったが、浮世の無常は逃れられず、去年の秋、この世を去ってしまった。
しかし、その姉のおかんの次男・勘介が跡を残らず丸取りし、勘介は気ままな暮らしをしていた。
勘介はいまだ三八(3×8=24)にもならない若い男で、血気盛んな心から、「女房などはいやらしい見たくない、若衆に勝る楽しみはない」と女の肌にはふれず、男ばかりで過ごしてきた。
やがて勘介の弟分となったのは、筋目正しき浪人の末息子・染五郎という器量良しの分け知りな(粋な)若衆である。染五郎が十二の秋、玉祭り(盂蘭盆)のころから互いに惹かれあって、今は深い仲となった。
しかし染五郎が成長するにつれ、次第に見優る美しさに魂を飛ばし、よだれを流して恋い慕う者も多くなった。
その中でも、山中伝助・岡本彦八の両人は浪人であって、人々も下目に見ることはない。また、河内屋善七・井筒屋庄八・掛川屋孫市、彼らはみな染五郎に心を掛け、折があればお言葉に預かりたいと願う者たちである。
特に掛川屋孫市は染五郎一筋で、文も数々送ったが、一度も返事がなかった。孫市はしきりに恨みの波を蹴立て、ついに染五郎のもとへ詰めかけた。
「私より深く我が君を思っている者もいないでしょう。もし、私の上を越すような人がいるならば承って、その後は、私はもちろん、あなたに焦がれる余人の恋も制し止めましょう。正直に仰せ聞かせてください」
染五郎は落ち着いて、
「なるほど、あなたがお急きになるものごもっともです。しかし、私は若松屋勘介と睦まじくしております。はや二年になるところです」
と、わりなき情を知らせ、それから「必ず口外しないでください」と口を固めた。
孫市は横手を打って、
「それは深い挨拶(契り)で。今までは夢にも知りませんでした。私と勘介は逃れぬ仲、いつも色々と語り合っていますが、まったくそんなことは聞いたことがありませんでした。
ともかく、この上は誰にも口外しません。私の恋も思い切ります。しかしながら、この心に偽りがないことを、一生のうち命にかけて、一度はお目にかけましょう」
涙を流し、義理正しく思いとどまる心ざしは、町人には珍しいこと、後世の手本となるだろう。
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9月9日は重陽でした。いや、正しくは重陽ではないッ! 菊なんか咲いてないもんッ!
ということで、10月30日の旧重陽にはなんか特別編でもやりたいな~と思ってます。只今誠意ネタ考え中……
*前回のあらすじ*
奥田何某は深い仲であった若衆・三之丞が他の男と一緒にいるのを目撃し、三之丞を振ってしまう。
その後、奥田は次郎八という美少年と念頃になるが、それを聞いた三之丞は怒りに狂い、寝込んでしまう。
ある夜、三之丞の家から火の玉が飛び出し、次郎八の家へ落ちた。火の玉は若衆の姿となり……。
◎『風流比翼鳥』 挿話の三(後)
次郎八はぞっと身震いし、
「誰ですか、気味の悪い。そこを立ち去りなさい」
しかし若衆は聞きもあえず、
「誰とはおろかな。人の恨みを受けた身で、名乗らずともおおかたはご存知の私ですよ」
次郎八はまったく動じず、
「人の恨みを受けた、とは身に覚えもありません。これは迷惑な。それではどういう恨みがあるのですか」
三之丞(←もちろん火の玉の正体)は押し返し、
「覚えがないとは腹立たしい。二世と誓った兄分をそなたに寝取られ、私が葎(むぐら:荒地の雑草)の這い回った宿にただ独り、泣き明かすとでも思うのか」
次郎八はなおも押し返し、
「何ですか、念者を寝取ったとは。なんとも面白みのない難題です。その方と私は手習いの朋輩。それをどうして隔て申しましょうか。
しかしながら、あなたのなされ方が良くなかったために、念者どのに見限られ、今私をお恨みになるのはおかしなことです」
三之丞は眼をいららげ、
「仕方が悪くて嫌われたなどと、口の過ぎた言い分! 弁に任せてどんなに申しても、もはや白状しないだろう。今打たなくては!」
するすると走り寄って打つ音に、門前にいた奥田は驚き、戸を蹴り破って立ち入ると、怨霊は去っていった。
次郎八の伯父・喜右衛門は戸の開いたのに目を覚ました。
「これは何事だ、騒がしい」
と、奥田を見つけ、
「これは一体。貴殿は何をしに来たのだ」
奥田は落ち着いて、
「これには色々と仔細があるのです。とにかく心許ない、次郎八はどこですか」
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男色派も女色派も、エピソードと主張がなんとなくかみ合っていないよーな気がする本作ですが、そんなことはどうでもいいんです。結末はすでに作者の中で決まっているわけですし。
では今回は女色派のお話を聞いてみましょう。テーマは「若衆の嫉妬」(また!?)
◎『風流比翼鳥』 挿話の三(「恨は同途中の魂」)
江戸は芝の傍らに、奥田の何某という男がいた。男は衆道の好き人で、近辺の若衆では、奥田に従わない者はいなかった。
そのなかでも特に仲の深かいのは、和泉屋庄蔵の一人息子・三之丞といって、意気地を磨く若衆であった。
ところが、奥田は悋気の深い(やきもち焼きの)念友で、あるとき、本間喜六という男が、三之丞に額を抜かせ(身だしなみ?)、そのうえ酒を呑んで戯れているのを見て大いに怒り、三之丞を睨みつけて
「今までの念頃は返す」
と、三枚も書いた起請文を浅間山の煙となし(燃やし)、理非も言い分も聞く耳を持たぬほど腹を立てたので、三之丞もなす術はなく、手持ち無沙汰になってしまった。
さてまたこの近辺に、平野次郎八という美少年がいた。まだ穂に出でる若草の根よげ(=寝よげ)に見ゆる姿に、奥田は心を掛けるようになったばかりか、神も仏も真実はこの君ゆえに拝むとは、まことに深い恋をしてしまったようである。
しかし、次郎八はいまだ二八(2×8=16歳)の児桜(ちござくら)のような身である。それでも、折るならば折られてみたい気なのか、実は奥田に情があるのか、奥田の目の前を通りかけた。「いい機会だ」と奥田は次郎八のお袖を捕らえ、
「あなた様を切々と拝見申し上げておりましたが、ついにお言葉に預かることもありませんでした。
私はこの傍らでちょっとした商売をして生きている男です。お立ち寄りくだされば、これほど嬉しいことはありません」
堅い挨拶をして、お手をじっと握り締めると、次郎八も名に負う分け知り(情を解することで名高い)であって、
「なんてかたじけないお言葉。たびたびあなたの御門を通ります私です。もちろん、きっとお訪ね申し上げます」
そう言って、手を握り返したので、奥田はわなわなと身震いし、忝涙(かたじけなみだ=嬉し涙)を落とした。
落ちた(もちろん奥田さんがオトした、という意)お若衆・次郎八は、念者を愛しく思い、それからは行きも帰りも奥田の家に立ち寄って、盃をするやら口を吸うやら、浅からぬ仲となった。二世も三世も変わるな変わらじ、と互いに書いた起請文には指から血をとり、入れぼくろをしたのも、みな次郎さまへ屈託であるが故である。
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さて、前回のつづきです。今にも死にそうな病に侵された主人公……、献身的に看病する恋人……、そんな二人を周りは誰も助けてくれない……、これ以上ないッてくらいのネタ満載ですが、結末やいかに!?
*前回まで*
話のテーマは「若衆の実(じつ:真心)」
病に侵された浪人・平内のため、若衆・吉三郎は家を飛び出し付きっ切りで看病した。しかし、平内の親類・友人は彼を見放し、蓄えてあった金銀も底を尽き、二人は家財道具を売り払って養生に努めた。
◎『風流比翼鳥』 挿話の二(後)
吉三郎の父親・清左衛門はこのあらましを聞くや否や、
「私の大切にしてきた一人息子を、わけの分からない浪人者と念頃させるのさえ気がかりなのに、その上悪い病人になっただと!
このままにはしておけんな。一家の面汚しめ」
大いに怒った清左衛門は吉三郎を呼び寄せ、その用を告げると、吉三郎は涙を流して言った。
「情けない仰せでございます。親たちに隠し、こうした不義をしたことは不孝の第一です。しかし一度言い交わした兄分ですから、今更悪しき病を受けたからと言って、私が彼を見捨てたならば、誰が彼を養うのですか。きっと一日もしないうちに死んでしまうでしょう。
いくら町人とはいえ、言った言葉もありますから、御勘当をこうむるとも是非はありません。私には彼を見限ることはできません」
吉三郎のきっとした言葉に、清左衛門もあきれ、
「いやはや、言語道断の憎い言い分。親と他人を思い変え、天命を免れると思うのか」
あるいは怒り、または嘆き、言葉を尽くして語る姿に、吉三郎も涙ぐみ、うつむいたままであったが、しかし念者を思い切る様子はなかった。
清左衛門はもはや腹に据えかねて、
「とかく秘蔵に思うゆえ、立たぬはずの腹も立つ。もう二度とこの家に出入りすることは許さん」
吉三郎を家から追い出し、それから親子の仲は不通になってしまった。
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今回は男色派の意見を聞いてみましょう。テーマは「男色における実(じつ)」です。
◎『風流比翼鳥』 挿話の二(前)(「情は同古今の誉」)
天和の頃、浅草のかたわらに、松本屋清左衛門という有名な紙問屋がいた。その一人息子の吉三郎は、本当にすばらしい美少年で、心は優しく、情も人より厚く、あらゆる事を憎からずこなす子であった。
二親の若盛りの頃まで髣髴とさせるほどの美形は、世界の恋のかたまりだと、噂を聞いた人々は寄り集まって取り沙汰し、老いたるは日ごろ願いし後生を忘れ、若きは月花によそえて深い思いを嘆くのも、それぞれの心遣いだと思えば健気に思われる。
およそこの子に心を懸けるものは、幾千万の数も知れず、日毎に店へ文を投げ入れ、あるいは人づてに心体を託つので、二親もこれには取り扱いに困っていた。
ここに高島平内という男、もとは身の上もそれほど悪くはない者であったが、盛者必衰の理のごとく、身上散々に落ちぶれ、今は召使いの家来もない。
されども極めての女嫌いにして、猫も女ねこならば内には入れず、さし樽の枕をたたいて、一杯の酒に一生を楽しみ、食い物があれば明日の蓄えもかまわぬといった暮らしぶりであった。
しかし、人の運命とは知れないもので、平内の弟・平助が身上に有り付き(武家に就職した)、時々の仕送りによって生活を立て直すと、だんだんと運に恵まれ、家来も大勢使うようになった。
そうするうち、例の煩悩が再発し、いつの頃からか吉三郎を見初め、静心なく人に仲立ちを頼んで文を度々送ったけれども、
『私ごときにご執心とは、もしや人違いではありませんか。ともかくもご心底がしかと見えませんので……』
それでもつらくはない返事に、平内は毎日のように願掛けをし、これには氏神も迷惑なさっただろう。
吉三郎も、
「浮き草の根のような有りがたいお返事。優曇華(うどんげ:きわめて稀な事のたとえ)」
と喜び、それからふたりは未来をかけて堅く契りを結び、おろそかならぬ仲となった。死しては九品蓮華の床の上に互い違いの手枕を、と浅からぬ挨拶(誓い)を交わし、意気地を互いに磨いた。
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