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梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

『風流比翼鳥』 挿話の一

 今回ご紹介する『風流比翼鳥』は、三人の男が、男色好きと女色好きに分かれて、男色の是非について意見を戦わせる、という内容のお話でございます。
 「男色か女色か」というテーマを扱った作品は「男色女色優劣論」などと呼ばれます。このテのお話はたいていの場合、登場人物たちが、自分の押す色道の素晴しさを示すエピソードを紹介し、あるいは互いの色道の悪口を言って、相手を改宗させようとする、といった感じになっています。そして、そのほとんどが、女色側の勝利で終わっています(いや、別にいいんだけどサ)。

 しかし、この『風流比翼鳥』は少し違います。出されるエピソードは男色派も女色派も、男色にまつわるものばかり。そして最後は男色派の勝利という、まぁなんともスバラシイ作品なのでございます。

 そんな男色好きの作者が用意したエピソードとはどんなものなのか、ちょっとのぞいてみたいと思います。


◎『風流比翼鳥』 挿話の一(「嫉は同神前の絵馬」)
 *備考*
 男色派の「衆道には嫉妬や妬みがない」という意見に対する、女色派の反論。


 伏見の御香宮(ごこうのみや)は、絵馬を掛け、湯を捧げ祈れば、願いがかなうと言われている。それゆえ神前に、掛けられた絵馬の数は多く、つなぎ馬・引き馬・帆掛け舟、あるいは役者の姿絵・花鳥・草木、なかには美女や若衆の戯れ遊ぶ様子を描いたものなど、さまざまな絵馬があるという。

 寛文年中のあるとき、都五条辺りの商人(あきんど)が、奈良へ商売に行き通っていた。
 頃は九月の末、商人が奈良を出て京に帰ろうとしたところ、まもなく日が暮れてしまった。小倉つづみを越えて、伏見の里に着くと、はやくも人影はまれになり、狐火が山際にかがやき、狼の声が草むらに聞こえる。
 商人はなんとなく気味悪く思い、御香宮に立ち入り、夜を明かそうと拝殿に伏した。ひじを枕に、かすかなともし火の光を頼りにして、しばらくうとうとしていると、誰かが枕元に寄って来て、商人を起こした。 商人が起き上がって見ると、烏帽子をつけた男がいて、言った。
 「ただいまから、やんごとなき御方がここに来てお遊びなさる。少し傍らへ立ち退いて休みたまえ」
 商人は不思議に思いながらも片隅に寄ると、十五・六歳くらいの少年が、十二・三歳ほどの稚児を召し連れ、拝殿に登り、ムシロの上に錦の褥(しとね)を敷き、ともし火をかかげた。
 少年は酒肴を取り出し、かの十二・三歳の稚児を侍らせ、商人が隅でうずくまっているのを見ると、笑って言った。
 「いかに、そこにおわするは旅のお方であられるか。道に行き暮れ、かような所に夜を明かすはわびしきものと聞く。遠慮はいらぬ。ここへ来て酒をお飲みなされ」
 仰せを聞いた商人は嬉しく、恐れながら罷り出てかしこまった。
 上座の少人は
 「もっと近くへ寄って、おくつろぎなさい」
と、褥の上へ呼んだ。
 向かい合うと、その装いは、誠に唐土の董賢(とうけん)にも優れ、弥子假(びしか)が桃を食いかけて霊公へ奉った男色も、わが朝の在五中将が初冠した昔、光源氏の幼い顔も、かくやとあやしまれるほどである。
 「いかなる御方で、ここにいらっしゃるのか。私はどういう縁でこの座に連なっているのか。夢だろうか、夢ではないのだろうか……」
 商人は魂浮かれて、さらさら現実とは思われない。
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「極情の卦」(『野白内證鏡』より) 其の三

 *前回まで
 武家の若衆が、自分の恋人・団十郎との一時の情けを望んでいることを知った舞台子は、若衆の心ざしに打たれてそれを承知した。
 舞台子は義理堅い団十郎を納得させるため、若衆を侍に変装させ、「自分に恋慕する侍がおり、どうにか情けをかけてやりたい」と偽りをいい、団十郎の出方を窺った。


◎「極情の卦」(『野白内證鏡』より) 其の三
 団十郎はしばらく考えこんでいたが、
 「それはそれは、もっともらしいことを。何を言っている。そんなことは、次の変わり目の芝居にしろ。
 だいたい役者というものは、古道具と同じで、皆つくろい物であって、見る人をごまかす物だ。狂言(芝居)には作者があって、それぞれに義理をせめ、理屈を正し、せりふをこしらえてあるがゆえに、役目の俺たちはその通りに、家老の実事、濡れ場の心意気、衆道の詰め開き……、いやと言われぬようにしこなすのは舞台の上の所作であって、ひとつも真実なんてものはない。
 それを、素人の見物人は真(しん)にみなし、役者というものは情が深く、義理堅く、真(まこと)のある者とみなすとは、ずいぶんと騙されたものだ。
 世の中には、役者ほど自堕落(じだらく:ふしだら)で不心底な者はいない。おなえもそうだろうが、俺だって、仲間の若衆には何十人念頃しているか分かったもんじゃない。
 昨日まで兄弟分だと約束していた若衆を、きょうは取り替えて、早、昨日の若衆の悪さを言ってそしりあう。役者ほど水臭いものはない。
 おまえも、俺に改めて断る必要はない。五十人でも七十人でも勝手次第に念者をもてばよい。俺も今、木挽町と堺町に念頃する若衆が八・九十人はいるだろう。この一月に間にいろいろと換わったからはっきりしないが。

 こうした身持ちの俺たちを、作者のしてあてがう義理詰めの衆道の狂言など見て心を察し、念者にして欲しいと言って、最近も文を付けていらっしゃった若衆がいた。おそらくこの役者のつめたい心意気をご存知ないと見えて、気の毒なことだ。
 その若衆が、どうしてもとい言うのなら、会ってやって、地若衆(素人)の床の様子を見てから、仲間の若衆共へ話をして、慰みに笑ってやろうと思うが」
 団十郎が言うや、当の若衆はこらえかねて、編み笠を脱ぎ捨てて叫んだ。
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「極情の卦」(『野白内證鏡』より) 其の二

 *前回まで*
 市川団十郎の恋人である舞台子のもとへ、美しい若衆が訪ねてきた。
 若衆は「花代であなたの情を売ってください」と涙ぐむ。合点の行かない舞台子は、とのかくもその訳を尋ねた。


◎「極情の卦」(『野白内證鏡』より) 其の二
 「恥ずかしながら私、生国は芸州(安芸国)・広島の者。父親は長年、浪人し、私が幼少の時分に亡くなり、母の手で育てられました。
 姿もそれほど醜いと思われる程ではなく、この前髪姿を生かして奉公先を見つけようと、母に暇(いとま)を申し受けて、十四の春、国を立ち、ご当地(今回は江戸のこと)の知り合いのところまで参り、処々をお訪ねしておりました。
 すると、さるお屋敷から、"召抱えよう"とのお言葉。早速お目見えも済み、何事もうまくいって、殿様のご厚意をいただき、精一杯ご奉公いたしました。
 しかし、いつであったか、森田座の芝居を見物いたしましたとき、あなたは家老のご子息のお役目、市川団十郎どのは相家老として、互いに人知れず念頃なされる工面の芝居は、狂言(劇、つくりごと)とは思われませんでした。
 うっかり見とれて、自分にかさねて、真実と見なし、"あんな男を念友にしてこそ、この世の楽しみがある"と、それからは団十殿に思い染めて、あけくれ木挽町にかよい、同じ芝居を三十四・五度見て、帰ってはいっそう忘れがたく、大切なご奉公も身が入らなくて、自分の心であるのに、おろそかになってしまいました。

 ですから、この思いが晴れないうちは、ご奉公がおろそかになって殿様のご機嫌をそむくことになるのは知れたこと。その時はお手打ちにあわないなどということはないでしょうから、とにかく命のあるうちにこの切ない心ざしを団十殿に語り、不肖ながら若衆にしてもらいたく、先日、太鼓持ちの吉六を架け橋として、数通の文をおくりました。
 しかし、ついに一度の返事もなく、これは恋無常を芝居になされる、訳知りの団十殿には似合わないつらい人だとも思いましたが、聞くところによると、あなたと兄弟の契約をなさり、若衆さまへの義理があるということで、返事がないとのこと。それゆえ、ここに参ったのです。

 最前、お情けをご無心と申したのはこういう訳です。聞き届けられて、お情けに、団十殿をすこしの間お貸しなされて、この思いのお取り持ちを頼み入ります」
 若衆が涙を流して語ると、舞台子もともに涙ぐんだ。 【“「極情の卦」(『野白内證鏡』より) 其の二”の続きを読む】

「極情の卦」(『野白内證鏡』より) 其の一

 今回のお話は、少し長いですが、内容的にはなかなかのもんだと思うので、どうぞお付き合いください。
 ちなみに、今回は、原文中に主人公の少年(舞台子)の名前が出てこず、主語のない文章が多いですが、それでも読めちゃう日本語のズルさを堪能しつつ、お好きな名前を脳内補完していただければと思います。



◎「極情の卦」(『野白内證鏡』より) 其の一
 
 この卦の現れたる美少年は、器量が良く、発明(聡明)で、気がさ(勝気)である。
 ある少年、諸芸未熟であった時分は、堺町で蔭子(かげこ)として勤めていたが、ある時若衆方(少年の役)として森田座の芝居に出てからというもの、その装いは誰よりも機転がきいていて、その上、万事を市川団十郎から教え込まれたため、武道のしこなしは殊更優れて、江戸の諸見物は、この子の噂のみになった。

 とりわけて衆道のたしなみ・情が深く、人の言葉を仇にはせず、世に名の出ない(噂にならない)程度に悦ばした男の数は数え切れない。
 それが、いつの頃か、団十郎と兄弟の契約をかわし、年月の心遣いは、それはそれは書に及びがたいほどであった。例えば、世間に知れて会うほどの大臣(金持ちの客など)は、勤めの身であるからしかたがないが、それ以外の浮ついた人間には、芝居の趣向は別としても、手を握らせることさえしない、と言い交わしたという。

 舞台子はこの心ざしを違えることなく、その後は金勤めの客さえも自ずと嫌になり、念者ばかりが次第にかわいくなり、大臣からの珍しい贈り物も手に取らなくなった。
 ただ団十殿へと心を運び、身にしみじみと愛おしくなって、少しの間も忘れることなく、わが身のためとなるお客をそこそこにあしらい、大臣共も「おもしろくない」と言って早々と帰るのを喜ぶや、団十郎のもとへ駆け出し、ふたり、あいやい酌で千話まじくらの酒事は、命を延る甘露の味わいがして、舌を打って楽しんでいた。

 ある時、この舞台子のもとへ、さるお侍さまがお忍びでやってきた。
 編み笠を深くかぶり、大小の刀は吉屋組風(江戸前期の某旗本奴組のように)に、無造作に差し、糸鬢(いとびん)の奴(やっこ)を一人召し連れている。手引きの太鼓持ちらしき男は、先立って舞台子にあらましを申してから表へ向かい、
 「幸い、主の若衆は宿におりますから、どうぞお入りください」
と奥に招いた。
 襟袖だちの木綿の袷を着た小坊主が、
 「ようお出でなされました」
と持ってきた盃を置いて、また勝手へ戻ると、侍は笠を脱いだ。
 笠を取ると、侍と思われた大臣は、あたりも輝くばかりの美童、脇詰の羽織を脱げば、当世の大振袖。これはまた芸子とは趣の異なる装いである。
 舞台子は肝のつぶれた顔つきで、最前の案内役の太鼓持ち・吉六を呼んで言った。
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「染井は俤の花畠」(『野傾友三味線』より)

 今回も不思議話。いつにもまして「やおい」な感じです……。
 ちなみに、今回のは、一人称形式で書かれているようなので、そのあたりご注意して読んでいただくと、分かりやすいと思います。(原文中に一人称が出てこないもんで……;)


◎「染井は俤の花畠」(『野傾友三味線』より)
 気の合う遊人を友としての遊山の帰り、染井に立ち寄った。花屋・伊兵衛の花壇の百華のさかりを臨みながら弁当の残り酒を開き、「菊の酒を遠慮することがあろうか」と、亭主も交えて飲み始めた。
 日は西山に近づき、この夕暮れの露がなお興を誘うところに、今は昔の伊藤小太夫(江戸前期の女形)にそのままの面影の若衆が現れた。
 白い袷(あわせ)に浅黄ちりめんのしごき帯(女の腰帯の一)、髪は官女のすべらかしのようにして、垣根に立ち安らぐ風情は、「これは」と目を留めて見るほど美しく、咲き揃う菊の花も気おされて、枯柴(かれしば)を眺めているようようだ。
 亭主にささやいて、
 「この美形は?」
と問うと、亭主は、
 「ああ、毎日夕暮れになると、どこからともなくいらっしゃるのだよ。供する人も連れ立つ人もいない。花の中を縦横に行き来して、消えるようにお帰りになる。ひょっとして化け物なんかじゃないだろうか」
と言う。座中は、眉毛につばをつけて(だまされないように用心して)、
 「古語にも『狐、蘭菊の草むらに隠る』と言うから、油断なさるな」
と言う。
 「たとえ化生の者だとしても、あれほど美しいものを放って置くわけにもいかない。ぜひとも酒を一つ勧めて、そのうえで口説き落とせたら、花畠の宿を借りて、一夜の仮枕……」
 「これは物の例(ためし)で、申すまではないが、尾にお気をつけて」
 そういう亭主と言い合わせ、持ち合わせた吸筒、花のもとのまじわり、「粗忽ながらこちらへ」と求めると、深く辞退することもなく、「かたじけない」と、えくぼに置き余る露は、花からこぼれるようだ。

 石燈に火を点じると、艶やかな夜の気色がいっそう興に入る。酒宴も佳境になり、亭主をはじめとしてみなを益体もないほど酔わせ、片端から潰し、かねて用意しておいた宿に誘った。
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「濡衣の地蔵」(『怪談登志男』より)

 今回も怪談です。「怪しい話」ということで……。


◎「濡衣の地蔵」(『怪談登志男』より)
 摂州大阪、西の御堂の東に、金剛丈六の地蔵がある。しかし、いつのころ、どこの冶工が鑄(い)たとも、誰が納めたとも知る人さえいない。
 衣体には緑のさびが生じ、最旧の像であるが、いつの頃からかこの像が、夜な夜な出てきて寺中を歩き廻り、あるときは庫裏に来て食事をするなど、稀有なことがさまざまに起こっているとうわさになっていた。

 そのころ、この寺には大勢の美童がいた。中でも犬丸という稚児は、特に優れていて、僧俗ともに心を懸けない者はいなかった。
 ある夜、この寺の人が、所用で御堂の後ろの小路を通ったところ、例の地蔵の台から、一人の僧が現れて、本堂の方へと向かうのが見えた。怪しく思って跡をつけてみると、僧は間毎の戸を開けて奥へと入っていった。
 このことをまた別の人に告げ、ともに起き出して窺ってみると、怪しい僧は、犬丸の閨(ねや)に入っていったようだった。
 この後も毎夜、僧が犬丸の閨に忍び入るので、上人(寺の高僧)はひそかに犬丸を呼んで言った。
 「お前のもとへ通ってくるのは誰なのか。包み隠さず話なさい」
 厳しく問われた犬丸はしかたなく答えた。
 「どのようなお人とは存じません。その人は幾夜か通ってきて、はじめのうちは、私も堅く防いでおりましたが、さまざまに詫び、いろいろに嘆かれて、ついには『お前の難儀ともなるならば、これを人に見せよ。誰もとがめる人はいないだろう』と言ってこれを……」
 犬丸は、錦の袋に入った、小さな厨子に入った守り本尊を取り出した。それを見るに、まさしく一山の棟梁、当寺の法王と仰ぎ奉る上人・平生尊信のまします所の本尊である。
 「さては例の僧は、まぎれもなく門主にていらっしゃるのか。なんとはしたないお振る舞いであろうか」と、寺中の役人も寝ずに遠見して、犬丸の部屋をうかがった。 【“「濡衣の地蔵」(『怪談登志男』より)”の続きを読む】

「××の密契」(『萬世百物語』より) 

 復活しました。とうとう8月ですね。暑いです。
 なので、今回もちょっと怖くて不思議なお話をひとつ。上記タイトルが伏字になっているのは、あまりにもあからさまだったためです; 誤解を招くといけないので自主規制。


◎男色の密契(『萬世百物語』より)
 丹波の国篠山高仙寺は、横川の鶏足院という天台宗の末寺である。
 その学徒に、兵部卿(軍部の長官)で律師の不聞坊という者がいた。彼は門弥という少年に、並々でない情愛を抱いていたが、住持(住職)の目をはばかり、気安く逢瀬を楽しむことも難しかった。
 それでも、思う心は浅いものではないから、夜がふけて、人が寝静まった後、門弥はたびたび不聞の寮に通い、下ひもをうち解き、暁は早く起き出して帰る、というのが常になっていた。
 不聞坊も、このような門弥の心ざしを見るにつけ、いじらしい情けに思いの火が焚き増すような心地がして、門弥のことを忘れる隙もなく、ため息ばかりついていた。

 ある夜、また夜が更けて門弥がやってきた。寮の戸が静かに音を立てるのも、人目を忍んでいるからだろう。
 不聞は宵から、何に紛れることなく、その行方ばかりを思い続けていたので、はやくもその物音を聞きつけ、出迎えた。
 「また今宵も、道の露を分け入り来てくださったのか。苦しさは、私の袖におきかえて……」
と侘びると、思ったとおり、「少しの間です」と言って、添い伏しなさろうとするうれしさ。思わず小篠の露も何ならずと戯れて、いつものごとく、しめやかに床に入った。 【“「××の密契」(『萬世百物語』より) ”の続きを読む】