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梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

本朝御小姓列伝~蘭丸特集~ 三

 今回の話もわりと有名でしょうか。お蘭第二段~


 信長公御座の間の窓に、衝揚の蔀(しとみ)あり。「是をおろせ」とおおせ付けらるる。
 おらん承り、小さき竹の杖を持ち、のびあがりて、蔀の上を捜し見るに物あり。高くふまえ物をして見ければ、大茶碗に水を入て揚げてあり。しづかに是をおろし、さて、衝揚の蔀をおろす。
 もしその心なくして蔀をおろさば、茶碗もわれ、水もこぼれて、不首尾なるべきに、念を入れたる故、あやまちなし。
 是はおらんをためし御覧ぜんとて、信長公のなされおかれたる事なりといへり。




 また出たよ、信長さまのお蘭試し!!
 蔀の上に水の入ったお茶碗をおいて、「蔀をおろせ」と命令する。普通は気がつかずに、水をこぼしてしまうところなのですが、お蘭は違う! 踏み台まで用意してしっかり上方確認。静かにお茶碗を退け、みごとに蔀を下ろしたのでした。

 う~ん、お蘭は毎回、蔀を下ろす度に、こんな念入りなことしてたんでしょうか。だとしたら、ものすごいお気遣いのお小姓ですが……。
 しかし、この文章全体からワタクシが感じ取ったイメージは、『失敗してびしょぬれになったお蘭をからかってやろうと、いたずらを仕掛けたものの、お蘭にバれ(たぶんウキウキが顔に出てたんだと思います)、「いや、お前を試そうとしたんだよ、ハハハ」と言い訳をする信長さま』でした。
 そもそも、お食事のお茶碗がひとつ足りないってところから、聡明な蘭丸さまは、お察しになっていたのだと思います。
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本朝御小姓列伝~蘭丸特集~ 二

 さきに管理人の歴史観について、某川柳をお借りして、お断りしておきたいと思います。

 「半ナマとは いとこくらいの 歴史萌え」

 というわけで、「歴史的にみてどうだ」とか「事実はこうだったとか」いう考証は三の次にして、妄想していきますので、ご了承ください。
 では、蘭丸逸話第一弾~。




 或るとき、信長公、爪を切り、小姓衆を召され、「是を捨てよ」とのたまひければ、「畏まり候」と申して、御爪を其のまま取りて立たんとす。
 信長公「先ずそれにおけ」と有りて、余の小姓衆を呼び給ひ、初めのごとくに仰せ付けられしかば、又右の小姓の仕方のごとく取りて立んとしけるを、又止め給ひ、別の衆を召さるる故、
 今度は森お蘭出けるに、右のごとく仰せられければ、御爪を一ツ一ツかぞえて見るに、九ツあり。今一ツ不足仕り候由、申しければ、信長公笑い給ひて、御膝の下より爪一ツ出し給ひ。
 さて、其の爪を持て立しに、人を付けて見せ給へば、安土の御城の門を出、紙に包みて堀の中へ入れ、帰りけるとぞ。




 (解説)あるとき、信長さまはお爪を切り、「これを捨てよ」と小姓たちに命じました。小姓たちが、ただ爪を集めて捨てに行こうとすると、信長さまはとどめて別の小姓に交代させます。
 そして蘭丸の番。蘭丸が集められた爪の数を数えてみると、九つしかない。「一つ足りませんが」というと、信長さまは笑って、膝の下から残りの爪を出したのでした。
 さて、信長さまの命で、爪を捨てに行く蘭丸の尾行をした人の話によりますと、蘭丸はその爪を、紙に包んで、城の外の堀に捨てたということです。

 なんて気の利く子なんだ、お蘭は!!
 かつて読んだ伝記漫画では、「切った爪が落ちていると危ないから」と言って残りの爪を捜し、掘に捨てた理由を「呪いなどに使われるといけないから」と同僚に説明していました。
 信長さまは、呪いなんて信じてないだろうけど、蘭丸の気配りには大満足のようですね。

 それにしても、信長さまが、このようなテスト(?)を実施した意図が、イマイチよく分からないんですが……。どうみても、「やっぱりお蘭は、ほかの子とはちがうなぁ」と再確認して悦に入ることが目的としか考えられないッ!!
 鞘の刻み当てクイズの時といい、信長さまは、お蘭勝利の出来レースを設定するのが、お好きなんでしょうか。

本朝御小姓列伝~蘭丸特集~ 一

 1582……。「庇護は不(ひごはふ)満の明智かな」でおなじみ(?)の本能寺の変は、来る6月21日(旧暦2日)に起こりました。
 「本能寺の変」といえば、「信長」、「信長」といえば、われらが「森蘭丸」でございます(前シリーズと同じ始まり方だ…!)。

 というわけで、今回の「本朝御小姓列伝」では、森蘭丸をFeature!
 おそらくは、おなじみのお話と思いますが、『朝野雑載』よりの原文でお楽しみください。
 ちなみに、史実との考証などはあまりしない方向で進めますので、ご了承ください。





 まずは、導入として家族構成なんかを……。(有名だけど)

 
 森三左衛門可成は、江州堅田(ごうしゅうかたた:現大津市)にて、浅井朝倉と戦ひて撃死す。
 男子四人有り。嫡子は勝蔵長一、後に武蔵守と号す。次男おらん、三男お坊、四男お力と云う。
 お蘭は才智武勇、人にこえたる者故、信長公御寵愛浅からず、十六歳の時、五万石の所領を下され、若手ながら、よろづの御談合に加へられしとなり。





 特に説明はいらないでしょう。
 ここでも、男の子に対して、「お~」という愛称でよんでいます。為政者に愛される美少年に対する、敬意と親しみの表れですね。
 (以前にも取り上げましたので、参照してみてください

 
**余談**

 ある時、某新古書店にて、児童書の棚を物色していたところ(特撮絵本とかぬりえとか好き……)、『蘭丸、夢の途中』という、なんとも気になるタイトルが目に飛び込んできました。
 ぱらぱらとめくって読んでみると、内容は蘭丸を主人公とした、伝記とフィクション半々といった感じ。文章も挿絵も、正直言ってあまり萌ではなかったので、棚に戻そうと、本を閉じました。
 そこで何気なく、もう一度背表紙を開いてみると……。

 「贈.N君へ H15,4,× K資料館にて」

 達筆なボールペン字で書かれていました。
 350円。買いました。

 「歴史資料館」で、「森蘭丸」に関する「本」を、「上書き」付きで「贈られる」。
 なんという、文学的で耽美な世界!!

 しかし気になるのは、そんな名前まで書かれた本が、どうして新古書店なんかにあったのか、ということです。手放すべきよっぽどの理由があったのか……。

 それからしばらくは、資料館で、歴史家のおじさまから本を贈られるN君(もち美少年。おじさまはN君に「蘭丸のような子になってほしい」と思ってるのさ!痛)という状況を妄想しては、N君のその後に思いをはせる日々が続いたのでした……。


 本文より余談のほうが長くて、すみません;

謡曲『花月』 (後)

 古作能『花月』もいよいよ大詰めです。


**前回まで**
 旅僧を案内して清水寺までやってきた男は、話題の喝食・花月に、今度は曲舞を聞かせるようにいう。
 歌う花月をみた旅僧は……。


 旅僧
「ああ不思議だ。ここにいる花月をよくよく見れば、私がまだ出家する前に行方知れずになった子ではないだろうか。名乗って逢いたいものだ」


「もし、花月に申したいことがあります」

 花月
「何事ですか」

 旅僧
「あなたは何処の生まれの方でしょうか」

 花月
「私は筑紫の者でございます」

 旅僧
「それでは、なぜこのように諸国をお巡りになっているのですか」

 花月
「私は七つの年に、彦山に登りましたが、そのとき天狗に捕らえられて、このように諸国を巡っているのです」 【“謡曲『花月』 (後)”の続きを読む】

謡曲『花月』 (中)

 今回の『花月』シリーズは、日本古来の演劇の面白さや、謡や台詞回し(訳しちゃうけど;)の美しさを味わおうという、純粋な気持ちに、美少年趣味をプラスしてお届けしようと思っているので、BLや男色とはちょっと言いがたいものになっております。そこらへん、ご理解していただいて、お楽しみいただければと思います。
 しかし、男色研究の第一人者であらせられる某先生が、「男色文献」としてご紹介なさっているので、なんらかの男色趣向はあるのではないかと思われます。それを発見するつもりで、さて、続きを見てまいりましょう。


**前回まで**
 息子の失踪を機に、仏道に入った男(旅僧)は、清水寺へ参詣しようと、都へやってくる。途中出会った男から、不思議な喝食・花月の話を聞き、ともに清水に向かった。
 清水には、弓矢を持った花月がいた。男は花月に、歌を歌って見せるように言い、花月は小歌を歌った。


 男
「あれ、ごらんなさい。鶯(うぐいす)が花を散らしていますよ」

 花月
「本当に、鶯が花を散らしていますね。私が射て落としましょう」

 男
「急いで射てください」

 花月
「鶯の、花踏み散らす細脛(ほそはぎ:細いすね)を、なぎ払う大長刀があるはずもなく、花月の身に敵(かたき)もいないので、太刀かたなは持っていない。
 弓は的を射るため、そしてこのような落花狼藉の小鳥(しょうちょう)をも、射て落とすために持っているのだ。
 異国の養由(ようゆう:楚の弓の名人、養由基)は、百歩に(ももふ;百歩はなれて)柳の葉を垂れて、百(もも)に百矢(ももや)を射るに外さず(百発百中)。
 私もまた、花の梢の鶯を、射て落とそうと思う心は、その養由にも劣らないだろう」


 
 あら、面白や。
 それは柳、これは桜。それは雁がね、これは鶯。それは養由、これは花月。名こそ変はるとも、弓に隔てはよもあらじ。
 いで物見せん鶯、いで物見せん鶯とて、履いたる足駄(あしだ:鼻緒のある履物)を踏ん脱いで、大口の稜(そば:着物の端)を高く取り、狩衣の袖をうつ肩脱いで、花の木陰に狙い寄って、よっ引きひょうど、射ばやと思へども、仏の戒め給ふ、殺生戒をば破るまじ。 【“謡曲『花月』 (中)”の続きを読む】

謡曲『花月』 (前)

 謡曲、すなわち「能」であります。
 能というと、ちょっと難しいイメージもありますが、もともとは庶民の娯楽のお芝居です。能が芸術といわれるようになるのは、世阿弥さんが、貴人の目にも堪えうるように試行錯誤したからであって、それ以前は、一般の人々が、「おもしろい」と思うものを見せる、そういう性格のものであったように感じます。

 さて、今回の『花月(かげつ)』は、そんな世阿弥以前の古作。いちおう、父子再会という筋書きになっていますが、美少年の喝食(かっしき:禅寺における稚児のような存在)・花月が、歌って踊る、むしろ花月(役の少年。現行では、喝食面の大人の方がやるみたいですけど)を愛でるのが目的の作品です(←あくまで主観!)。

 というわけなので、このお話は、花月の容姿や、しぐさ、声をぞんぶんに想像してお楽しみくださいv
 *()内は舞台上の演出。





 風に任する浮雲の、風に任する浮雲の、泊まりはいずくなるらん。

 旅僧
「私は、筑紫彦山(現福岡大分県境)のふもとに住まいます僧でございます。
 私が出家する前のことです。子供がひとりおりましたのを、どこへともなく失ってしまいました。それで、これを出家の機縁と思い、このような姿となって、諸国を修行しているのでございます」



 生まれぬ先の身を知れば、憐れむべき親もなし、親のなければわが為に、心を留むる子もなし。千里を行くも遠からず、野に臥し山に泊まる身の、これぞ誠の住処なる。

 旅僧
「さてさて、急いできたところ、はやくも都に着いたようだ。
 まずは噂に承る清水寺に参り、花でもながめようか」
【“謡曲『花月』 (前)”の続きを読む】