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梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

お江炉BL小咄集 (3)

 お久しぶりです。今回で、とりあえず小咄特集はおしまいです。
 最後は名作かも??

 今回は危険は少ないので、オープンに。


◎蓮華(れんげ)

 かげまが、十死一生(生きる見込みのないこと)にわずらっている所へ、馴染みの和尚がたずねて来た。
 かげまは悦び、
 「私はおいとまごひでござります。あなたの仏さまにおなりになされますを、あの世で待っております」
と言うと、坊主は頭を振って、
 「おれは仏にはならぬ、ならぬ。おれは来世には、蓮の花に生まれるつもりじゃ」
 「ソレハ、なぜでござります」
 「ハテ、蓮華になって、おぬしが尻を抱いている気さ」


*解説的蛇足*
 こっ、このかげまくん、めちゃカワイくないですか!? 江戸後期のリアルな敬語がたまりませんッ!
 「あなたが仏さまになるのを待っています」というかげまに、和尚は「おれは、蓮の花に生まれ変わるつもりだ」という。なぜなら、仏は蓮華の上に座る、と言われているからなんですね。
 単純に考えると、煩悩大爆発の和尚の発言に苦笑いしてしまうところなんですが、表現にはユーモアがあふれていると思います。相思相愛なら、ちょっとしたセクハラ発言だってオッケーさ。かげまくんもうれしかったんじゃないでしょうか。
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お江炉BL小咄集 (2)

 今回もアレなんで、オトナの方のみご覧下さい。
 とっても短いですが、セリフに注目してみると良いかもしれません。


【“お江炉BL小咄集 (2)”の続きを読む】

お江炉BL小咄集 (1)

 お久しぶりです。このところ、多忙の為、週二回の更新がままになりません。くやしいです。
 というわけで、この『お江炉BL小咄集』は少し小出しにさせていただきます。そんなに量もありませんが、一つでも十分危険度高めなので……。


 さて、今回の小咄の題は「衆道」!!
 ちょっと間の抜けた念者さまがヤってくれました。

 かな~り生生しーので、オトナの方のみご覧下さい。
 今回は全文、原文のママでおおくりします。これぞ、大人の笑いです。 【“お江炉BL小咄集 (1)”の続きを読む】

お江戸BL小咄集 一

 今回は、「小咄」を集めてみました。「小咄」というのは、ちょっとしたシャレを利かせた本当に短いお話のこと。もっとも盛んだったのは江戸中期で、多くの小咄本が刊行されたそうです。
 大爆笑するか、ニヤリとするか、はたまた……?
 例によって、会話文は原文のまま掲載します(漢字改めアリ)。難解な語には( )で解説をつけました。


◎市松(『今歳花時』より)
 
 佐野川市松(1722~1762)を買って遊び、客が思うには、
 「さてさて、これほど高い物はないが、ここにいるうちばかりで、別れて帰れば、なんの変哲もないものじゃ(これっきりになってしまう)。
 どうぞ形見になるものを持って帰りたい」
 そこで、市松の尻に墨をつけ、菊座の所をはんこのように押して家へ帰った。
 それからつくづくとそれを眺めていると、女房が見つけて、
 「それは何ンでござんすへ」
と問う。
 亭主 「これは市松サ」
 女房 「ナニヤ唐松だものを」


*解説的蛇足*
 有名な歌舞伎役者・市松さんも、若い頃は買われる身。それでもさすがにお値段は高め。そうそう手の出せるものでもありません。
 今回のお客さんも、「市松を買えるのはこれが最後かもしれない……」そう思うと、名残惜しくなって、とうとう市松さんの菊座(いわずもがな)の拓本をとってしまいます!!(市松さん、よく許してくれたなぁ)
 その拓本を見た奥さんはこう言いました。
 「何言ってるの、"市松"じゃなくて、"唐松"じゃない」
 
 うっ、笑いたいけど笑えない。「市松」はおなじみのチェッカー模様。では「唐松」とはなんぞや。
 これが"唐松"文様
 これは一例なので、検索するともう少し違った柄の"唐松"も出てきますが、ようするに、松葉を円にしたような模様のようです。
 はあ、これが市松さんの菊ッ………、もう言いません;



◎手の節見(『和良井久佐』より)

 ある寺へ、上手な手の節見(手相を見る人・占い師)が来た。皆々が見てもらっているところへ、御物(ごもつ:和尚の愛童)と思われる、美しい小姓(=寺小姓・稚児)が出てきた。
 「私にも見ておくれ」
と、右の手を出したので、節見は
 「そちらをお出しなされませ。男は左でなければ知れません」
と言った。すると小姓は小声で、
 「一筋(銭百文のこと)上げやしょうから、こっちら見てくんな」


*解説的蛇足*
 手相を見るときの約束として、男は左手を、女は右手を見ることになっているそうです。また、女性は男性より筋が一本たりないと言われているそうで、そのあたりのシャレから、お小姓は「銭一筋(=百文)差し上げますから、女のように右手で占ってくれ」と言ったのでしょう。
 この子は、自分がこの寺において、「女であることを求められている」と分かっているのでしょうね。セリフは男の子っぽさ全開なのですが、あくまでも「女」を演じる。まさにプロです。


 次回は規約ギリギリ!? 「おエロBL小咄集」です。

「美少の剣術」(『萬世百物語』より) 後編

 前編のオチです。BL色は薄いですが、オチはちゃんとつけないといけませんから。


 (つづき)
 さて、友弥は隠しおおせたけれども、刀を忘れてしまったくやしさ。一家の帰館も口惜しく、どうしたらよいのかと嘆きあった。
 十左衛門は思案して、打つべき手立てがある、と言って、家を閉まって(店をたたんで)、友弥をつれ、はるか遠く人の知らない所に隠れ住んだ。

 それから十左衛門は、自分の弟を、小間物商いということにして、かの寺に出入りさせた。
 弟は心に思惑があるから、どんな無理な注文でも気にかけず、納所(会計などを行う所)小僧の機嫌をとり、下々の男にまで「良いやつだ」と思われるまでになった。寺の者たちは、後には心安く、「彼でなくては」ともてなすようになった。
 ある時、納所寮にて酒宴に誘われた十左衛門の弟は、酒を飲みながらわざと好事(色事)の話を出した。ついにかの友弥の物語になり、法師たちは「刀を落としてしまったのは、どれほど残念に思っていることだろうか」という。十左衛門弟が、
 「かの者、大方成し遂げたと心の中で喜び、刀の事も忘れはしなかったが、刀の"かね"がよくないゆえ、捨てていったのでしょう」
と不案内(事情がわからないこと)にそしると、法師は
 「いやいや、そうでもないようです。ここに、その刀がありますからご覧下さい。刀のことは何も知らない法師の目にも、素晴しいものに思われます」
と、櫃(ひつ)の中から取り出して見せた。
 友弥が語った刀にまがいなく、「ありかは見た、どうにかしなければ」と思っていると、別の客人が来た。寺中があわただしく騒いでいるのを幸いに、酒に酔って眠っているふりをし、人目をうかがって刀を盗み、商売道具も打ち捨てて跡形もなく逃げ去っていった。
 
 友弥は喜び、それから故郷に帰ったという。寺の法師たちは、のちのち刀のないのを見つけて腹を立てたそうだ。




 十左衛門さんの弟の活躍で無事に刀を取り戻し、めでたしめでたし。
 BL度は薄かったですが、弟さんが寺の人々に気に入られるまでの過程に非常に興味がわきました。単に商売上手なだけじゃあ……ねぇ?
 
 さて、前回から引きつづき、十左衛門さんに注目しましょう。なんと、友弥くんを逃がすため、自分の店をたたんで遠くの国へ! 弟を例の寺に潜入させたのも、自分は友弥くんのもとに残って、慰めてあげるつもりだったのでしょう。
 『武道伝来記 其の三』に出てきた念者さまの弟さんは、お兄さんの若衆さまにあまり好意を持っていませんでしたが、今回の十左衛門さんの弟さんは、二人の恋を応援しているみたいですね。お兄さんがどれほど友弥くんのことを愛しているか、知っているからでしょう。
 最後に友弥くんはお国へ帰った、ということですが、きっと十左衛門さんと弟さんもいっしょでしょう。三人仲良く義兄弟vv

「美少の剣術」(『萬世百物語』より) 前編

 今回は、「美少の剣術」という気になるタイトルをご紹介。GWとは一切関連ありません(負け惜しみ)。

 
◎「美少の剣術」

 昔、牛込(現・新宿区)のあたりに、名は忘れたが真言宗の寺があった。法位も高い寺であったので、繁盛も甚だしかった。それで浪人なども、ここをさすらいの寄るべ所として多く集まっていた。

 友弥という、年は十六歳、清らかな少年がいた。江戸は身を立てるところと遠国から上り、この寺に便りをもとめて滞在していた。
 また、もともと相知れる筋の唐物屋十左衛門といって、同じく牛込のあたりに住んでいるものがいた。友弥がまだ寺に移る前、十左衛門は友弥の美しい姿に惑い、ただにやまれぬ志を通し、一夜、二夜のむつ言もあっただろうか。しかし、友弥の身の上を考えると、このようなことをしているのは、友弥にとって良くないだろうと、十左衛門はよく堪え忍んでいた。
 友弥ばかりは、恋しい心で、町に出た折などは、しばらく会っていなかったことを懐かしみ、「おじの所に行ってきます」と言っては、人知れず十左衛門のもとを訪れるのだった。

 一年ほど過ぎたころ、園部団右衛門という浪人が、この寺から勤め先を世話してもらい、日ごろは剣術の師などをして、あちらこちらを駆け回っていた。つねに大口をたたいている男だったので、寺の者たちはなかば憎く思っていた。
 この団右衛門も、友弥に何度も言い寄ったのだが、受け入れるはずもなく、友弥がつれなく何気ない顔つきで、心ざしを二つにしない(浮気しないという意味?)のを、のちのちは腹を立て、
 「情けを知らない者は深山の木猿に違いない」
と言って、なんともやりきれない憎さ、人前でも友弥を「木猿殿ござんめれ」などと呼んでいた。 【“「美少の剣術」(『萬世百物語』より) 前編”の続きを読む】