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梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

「諸法は喰に極るいく世餅」(『野傾友三味線』より)

 毎度、色遊びの一端を垣間見せてくれる『野傾友三味線』ですが、今回もなかなかよい史料になるお話だと思います。


◎「諸法は喰に極るいく世餅」

 (前略)
 ここに、血気盛りの所化(修行中の僧)がいた。もともと貧学の、窓のともし火の元で、『好色一代男』や『諸艶大全』などを繰り広げて、見たことのない世の中の色遊びに目をさらし、面白く快い巻々になぐさまっていることこそ、無分別の種となっているのだろうに。

 心は縁にしたがって移ろいやすいものだから、あらゆる色欲・男女の梅桜は、世にさかりを見せているけれど、金銀というものがなければ、ままにならない。……

 せめて目の正月(目の保養)として、出家に似合うように歌舞伎子を見て、この世の楽しみにすれば、わずかな芝居銭で事足りると思い定めて、山村長太夫のかわり狂言(前回の興行とは別の演目を行う)にかけ出して行った。
 鈴木平吉・水木竹十郎・荻野八重桐・袖崎香織。藤山吹の色をあらそうかのように、立ち並んでいるのにつけても、「いんつう(=お金)という一物がなくては、この世に住んでいる甲斐もない」と叶わない恋に打ちしおれていた。
 そこからかならず無常がおこるはずというところに、十二、三歳の若衆が、ひざの前で見物していた。
 たまたま後を振り向いたその美面には百の媚。舞台の野形とはくらべものにならないほどである。焚きしめた移り香に、芝居を見ても見られない。 【“「諸法は喰に極るいく世餅」(『野傾友三味線』より)”の続きを読む】
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「金龍山の舟催ひ」(『野傾友三味線』より)

 おひさしぶりです。今回も『野傾友三味線』から、少年役者とその「金剛」のお話です。
 
 今回は本文に入る前に、「金剛」についてすこしお話しさせていただきます。
 「金剛」とは、簡単にいうと、少年役者(舞台子など)の付き人のことです。身の回りの世話や外出の供が主な仕事で、役者の監視役もかねています。
 このように、表向きは役者に従う「草履取り」のようにも見えますが、実は、役者にお客を取らせるのも「金剛」であり、言葉遣いも対等で、むしろ「金剛」のほうが主人であるような場合もあるといいます。
 「草履取り」のようで「草履取り」でない、「草履」に似て「草履」ではない、「金剛草履(藁などでできた丈夫な草履)」のようだ、というわけで、彼らのことを「金剛」とよぶ、と『都風俗鑑』に書かれています。

 では、本文。




 (前略)
 大勢の役者たちが金龍山(浅草寺)のふもとから舟を浮かべて、宴を催し、夏の暑さを忘れていた。
 まず一艘の舟では、このたびの下り役者(上方から来た役者)が故郷の自慢話を始めた。京の涼みの川々の美しさを語り終わらないうちに、声をかけたのは遅ればせの舟の面々。山中九郎・村上善右衛門・鎌倉長九郎・富沢千代之介と外山かもん、そして大阪下りの藤浪幾之介である。

 
 この宴を催した大尽(お金持ちのお客)は、石町の七二という男である。二艘は並んでしらりと飲み明かしたが、残月(明け方の月)もつれなく見えて、朝めしの時分ほど気の乗らないものはないと、人々は宿へ帰っていった。

 ここに、藤浪幾之介(いくのすけ)という若衆は、色あって情け深く、それを好むという若衆にはないはずのことながら、恋知り(恋愛マスター)の習いで、床はしめやか(しとやか、上品)であって嫌な態度を見ることはない。
 男色に心有る客は、一度の逢瀬で、別れてもまた忘れることができなくなり、魂を残さずということがない。
 幾之介の金剛に、水月源兵衛といって、もともとは痩馬の口を取り、鑓の一本でも持って手を振っていたのだが、その頃から前髪(若衆のこと)に乱れ心を抱いていた。
 あるとき、緒柳春之丞という陰子に給料をつぎ込み、しかししがらみのない身であるのを幸いに、浮世の思い出に、芝居子の櫛扱いにでもなりたいものだと思っていたところ、ついにこの春から、幾之介の付き人となった。 【“「金龍山の舟催ひ」(『野傾友三味線』より)”の続きを読む】

「木挽の夕涼み」(『野傾友三味線』より)

 今回は短編。陰間を呼んでの一座でのお話です。


◎「木挽の夕涼み」(『野傾友三味線』より)

 良いことがふたつ重なる、ということは滅多にない世の中である。
 萩野沢之丞・谷島主水は、武蔵野の広い目から、名誉のしこなし(立ち振る舞い)者と我を折って、群集の眠りを覚まさせたものである。
 これを思うに、何事によらず、功を経ねば上手には至らず、上手になるころには歳をとってしまう。「面影がかわらないでほしい」を和泉式部が老をなげいたというのも、もっともである。「遠慮すべきこと、芸子の一座にて歳せんさく」と、古人のことばにもある。
 それで、二代前の中村数馬は、背は小さく、変わってしまった声を使わず、そもそも若衆方(若衆の役を演じる役者)となって、舞台を踏んだ三十三年の間、容姿がついに変わることのなかった子供であった。
 公界(くがい:デビュー)十二歳から勤めて、四十九歳の秋まで、孫ほどの歳の客にも抱かれて寝ていたのは、野郎(男娼)はじまって以来の例のない世語(うわさ話)となった。

 ここに、両国橋の花火見物に出て(夏の話です)、二・三人連れ立っている友人同士がいる。「この暑さでは、いつもの宿は堪えがたいだろう」と、誘う水にまかせて、木挽町(こびきちょう:芝居小屋が立ち並んでいた町)の裏筋にある、知り合いの亭主を訪れた。
 物好きがさまざま集まっている中に、庄一という男がいる。
 「どうだ、歳は十八・九までなら構わない。小作り(小柄)である男色が望みなのだが」
というと、主人は心得て、
 「花井品之丞さまといって、いまだ板付き(舞台子の中で上位の者)ではいらっしゃらないのですが、お年は十六・七と思うのですが、小作りで、十二・三歳のお可愛らしさです。この子にお決めなさっては」
と薦めた。 【“「木挽の夕涼み」(『野傾友三味線』より)”の続きを読む】

武道伝来記 其の三 (後編)

 (其の三・前編よりつづく)


 初茸狩は恋草の種 義理の包物心のほどくる事 (巻三の四)
 能登屋藤内(町六方)×沼菅半之丞(武家子息)←竹倉伴蔵(浪人)


 (伴蔵に脅された藤内は、大通りの真ん中で、涙ながらに命乞いした。)
 これほどに名を得た男伊達の藤内も、さすがに町人ではしかたがなく、胸には炎が燃え立ち、
 「怨みは半之丞。あの男と盃までかわしたというのは、思えば許せないことだ。
 世の思惑、人のあざけり……。生きていても甲斐はない。」
 藤内は、すぐに半之丞の屋敷に駆け込んで、半之丞にあうなり、事の次第を言いも果てず、脇差で切り付けるのを、半之丞はひらりとよけ、
 「そう言っても、それには事情があるのです。まず落ち着いて、話を聞いてください。」
と、止めるのも聞入れず、ひたすらに打つ太刀に、半之丞は右の肩先を負傷した。
 この騒ぎに、家老や家臣が走り出て、ふたりの間をさえぎった。
 家臣たちは、藤内を微塵に斬り砕き、「半之丞さまは深手のようです」と、みなで肩にかけて内に入った。
 藤内のことは、「慮外者(無礼者)ゆえ、斬り捨てに致した」と奉行所に断り、死骸は藤内の弟・藤八に引き渡すということで、おしまいになった。(このあたり、武家と町人との身分差ですね;)

 半之丞は、それほどまでの傷とも思わなかったが難儀して、しかし、九月十二・三日ごろより、験気(病気がなおるしるし)を得た。
 「よくよく考えてみると、藤内のしたことは、あまりに短気で、仕損じなさったとき、私が怪我を負わなければ、家来の手にかけて、みすみす殺させなかったのに。
 くやんでも仕方のないことだけど、去年の明日の夜は、ひそかにおぬしの部屋に連れて行かれて、自ら東の窓を開け、南面のすだれを巻いて、しめやかに語り慰み、二人の仲にかわす枕は、傾く月の桂ならでは、知る人もいなかった。
 籬(まがき)の菊の露を受けては、不老不死の仙薬を求めてでも、末永い契りを誓っていたというのに、思いのほかのうき別れ。その言葉も、もはや夢になってしまったんだ。
 この懐かしい(惹かれる・愛しい)心の中を、露もご存知なく、はかなくお亡くなりになった時は、さぞ私を恨んだことでしょう。そうではない気持ちが、とても望みどおりにならない浮世に、竹倉伴蔵の憎い仕業によって、まざまざこうなってしまった。
 死ぬときは一緒に、と思う人を、先に行かせてしまった始末。これはどんな因果がめぐって来て、いまの悲しみがあるのだろう。
 思えば、兄分・藤内殿の敵は伴蔵だ。しまった。遅れをとった。けっしてのがさぬ!」 【“武道伝来記 其の三 (後編)”の続きを読む】

武道伝来記 其の三 (前編)

 二年目そして、新学期初記事は引き続き『武道伝来記』です。


 初茸狩は恋草の種 義理の包物心のほどくる事(巻三の四)
 能登屋藤内(町六方)×沼菅半之丞(武家子息)←竹倉伴蔵(浪人)


 美作国、津山の古い城下に、沼菅蔵人という人がいる。その子息、半之丞は、並びない美少年で、春は限り短い桜をあざむき、秋は月が満ちるのを欠けると、彼を見て、思い悩まない人はいない。

 津山というところは、海が遠く、久米の皿山と評判の麓に、初茸(きのこの一種)がたくさん生えているのを、草分け衣を露にぬらし、城下の武士たちはこれに狩りをして、勤めの暇(いとま)をなぐさめ、折からのつれづれをもなだめていた。
 
 半之丞も、今日は霧が絶え間がちで、尾花(ススキ)を吹く嵐も静かなので、若党をわずかにめしつれ、ひそかに出かけた。(お忍びなのは城下のアイドルだからか?)
 編み笠を被き、姿自慢の色香をふくみ、嶺の紅葉を一枝手折らせ、渓(たに)に知り合いの草庵があるので、立ち寄って、しばらく安らいでいた。

 同じ家中に、国守に奉公を望む、竹倉伴蔵という男がいた。
 彼も、初茸狩りに誘われてきていたのだが、最前より、半之丞を見て恋沈み、跡を慕って、この庵までついてきたのだが、唐突に言葉をかけるべききっかけもなく、立ち尽くしていた。

 半之丞は、常々詩歌に心をよせ、この庵の僧と、「楓林の月」という題の心を、発句に詠み、二、三返吟じていた。
 その吟声の艶なるのを聞くにつけて、思いがいや増しになるのだが、伴蔵もかねてから、この歌の道を好む風流人であり、このような推量(おもいやり)は、高き賎しきを隔てない習いだから、「粗忽ながら」と即座に対句を詠み、数々思いをこめて綴った。

 半之丞が、
 「まあ、かたじけないお心ざし。どなたとは存じませんが」
と、頂戴なさるのをきっかけに、伴蔵は竹縁にねじあがって名乗りあった。しかし、恋の情をあらわにしては、心の浅ましさを見透かされるのも恥ずかしく、よいほどに挨拶をして帰っていった。

 その翌日。伴蔵はたまりまねて半之丞の屋敷へ見舞いにいった。
 折りをうかがい、伴蔵が自らの心底を語ると、半之丞は言った。
 「思し召しは大変ありがたく思われます。しかし、私のようなものにさえ、世話を焼く者がいる、と申しますとおかしな言い方ですが……。
 そうは申しましても、それほどのご深切、あまりに過分に思われますので、せめては」
と、交わす玉の盃には底意がないように(つまり、形だけで心は伴わない、という意味。伴蔵を傷つけないように振っているのだ)みえるのを、伴蔵は付け上がって、
 「お念比(ねんごろ)のお方はどなたですか」
と問う。半之丞は
 「これは異なことを、お尋ねにあずかっては大変困ります。わたくしのこれほどの気持ちに、そのお言葉は、ご自分様には似合いません。
 どんなに仰せられても、このことは申しません」
と、念者をいたわる心ざしである。
 その心は、顔に表れていて、伴蔵も強く言い切るには力なく、
 「お聞きしかかったうえは、お聞きしなければ気がすみません。ほかに知っている者に聞きましょう」
と言って、帰っていった。 【“武道伝来記 其の三 (前編)”の続きを読む】

一周年感謝”春”祭り!!

 『梅色夜話』は本日で、開始一周年になります!!
 これもすべて、足を運んでくださるみなさまのおかげであると、感謝の気持ちでいっぱいでございます。

 さて、いままでに書いた記事も、90という数にのぼり、ちょっとごちゃごちゃしてきましたので、新しくwebページをつくり、過去記事を加筆・修正して、そちらに収めることにしました。
 いわゆるアーカイブス的なものですが、各文献の作者・出版年等を併記しましたので、各文献についてより詳しく知りたいという方は、足を運んでみてください。
 ブログの見方がよくわからない、という方もどうぞお気軽にお立ち寄りください。

 梅色夜話


 まだまだ至らぬところの多いサイトですが、ブログともども、よろしくお願いいたします。



 ではでは、そろそろ、一周年特別企画の方へ参りましょうか。
 しかし、これがまたしても、独りよがりでキケンな企画なんでございます。察しのいい方はもうお気付きでしょう。
 だって、正真正銘の”春”が来たんだもの!!


 恋のさくら並木で姿の花見。小鳥の艶声いとおもしろし。


 このお花見には、広いお心をお持ちのオトナの方のみ、参加OKということにさせていただきます。しかし、それではあいまいなので、
 「BL小説・BL漫画を一冊でも読んだことのある方」
は、いざ、ご一緒に参りましょう。おおむね、それと同じコトやってますんで。
 騒ぎすぎても、くれぐれも、通報しないでね。 【“一周年感謝”春”祭り!!”の続きを読む】

武道伝来記 其の二 (後編)

 (前回から続いてます。死にネタご注意!)

 吟味は奥嶋の袴 意気地を書置にしる事 (巻五の二)
 村芝与十郎(舟改め)×糸鹿梅之助(奉行の息子)←若殿、新六(若殿近習)


 桜の間では、女中頭・野沢の詮議がはじまった。
 「昨夜九つを過ぎたころ、南女中部屋の方に、あやしい男の姿を見たと告げる者があった。これを一つ一つ調べてみたが、別儀はないゆえ、そのままとなったが、
 今朝、夜明けのころに、梅の庭のしのび返しに、奥嶋にかた色の裏地のついた袴が掛かっていたために、今この詮議となったのだ。
 決して、ほかから来た者ではない。よってまず、当番の者から改めるという次第である。
 いずれも、袴に別儀はないか」
 野沢が言うと、田上がまかり出て、
 「この、共に当番を勤めた与十郎は、今朝、白衣(びゃくえ:袴を着けない着流しの格好)であったため、尋ねたところ、夜中から姿が見えない、と申しました」
 与十郎は這い出て、
 「まさにこれは、狐・狸のしわざと思われます。
 しばしの間の詮議に、誰ともはっりき分からないのでしたら、仕方のない成り行きですが、どうか、御了見をもっての御詮議をお頼み申し上げます。
 拙者がもし、不義の心があって忍び入ってとしても、袴を落としたままでここへ来るはずがありません。まったく身に覚えのないことでございます」
 与十郎が言い果てないうちに、野沢は
 「それならば、袴が見えない時には、すぐに調べないで、田上が気にかけるまで、隠していたということか。この言い訳はどのようにしても晴れるまい。
 あるいは、騒がしく、めんどうだという理由で調べなかったというなら、公儀に向かって、けしからぬ自分勝手。おのずと、其の方の落度は決まっている。そやつは、そこの二人の者に預ける」
と、座を立ちながら、
 「この上は、南の女中部屋にも、不義の相手がいるのだろう。これを糾明せねば」
と、言い捨てていった。
 
 野沢がこのことを若殿に申し上げると、若殿は、かねてからの企みがうまくいったとお喜びになった。
 そして、与十郎は、言い訳もなく、縛り首を打たれて、無常にも葉末の露と消えてしまった。 【“武道伝来記 其の二 (後編)”の続きを読む】