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梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

武道伝来記 其の二 (前編)

 前回に引き続き、『武道伝来記』です。長いです。


 吟味は奥嶋の袴 意気地を書置にしる事 (巻五の二)
 村芝与十郎(舟改め)×糸鹿梅之助(奉行の息子)←若殿、新六(若殿近習)


 その昔、壱岐国に、糸鹿(いとが)梅之助といって、鄙にはまれな美しい少年がいた。
 この梅之助が深く思って交際している男は、村芝与十郎という舟改め(遠見番所役人か?)であった。
 与十郎は、身代(身分)は軽いけれども、水主・船頭に尊敬されながら、生まれつき見栄を張るところがある。
 「かつては筑前で五百石の領地を支配していた。筋目(家柄)も人に劣っているということはないのだが、悔しいことだ」
 与十郎はいつも、そのことを悔やんでいた。
 それというのも、彼の若衆の父親は、国の奉行職であり、恋の道のきまりだからといって、自分を梅之助の兄分だというのも、かえって情けなく、世間の思惑も心良くなかった。
 そうはいっても、恋の道には隔てがなく、ありがたいこと、嬉しいことに、一命を投げて年月を過ごしていた。

 
 さて国主の若殿は、ある時、梅之助をたったひと目ご覧になって、しきりに召しだされる由を、梅之助の父である内蔵(くら:名前です)に仰せ下されていた。
 内蔵はありがたく思い、お受け申し上げて屋敷に帰り、梅之助に「承知しなさい」と言うのだが、梅之助はそっけない返事をして、その夜も与十郎と語り合っていたのだが、若殿のお召しの話は出さなかった。
 このことを思い悩んでいたのは、もし召し出され、御傍近く御用を承ることになれば、与十郎は世間に対して、恋の道を欠くことになる。それが残念に思われたからであった。
 梅之助は考え抜いて、その翌日から病気と言いなし、部屋から外には出なかった。


 父親は困ってしまって、いろいろと慰めてみるのだが効果はない。若殿のご機嫌をお伺いするついでに、息子が病気である事を申し上げると、若殿のご機嫌はたちまち悪くなって、座をお立ちになってしまった。
 そののち、側近の十倉新六に「梅之助はすぐにはよくならないのか」
と問われた。
 新六は内心、梅之助に深く執心していた。かつて文を送ったところ、その返事に梅之助自身がやってきて、「念者がいる」という理由で断られたが、「言い出した一言を無駄にはしないでほしい」と申すと、「それ程のお気持ち、忘れません」というので、ほだされてしまった。
 その後、梅之助が勝島の入り江に小舟を浮かべ、その友には村芝与十郎を連れて魚釣りをする様子だったのには、合点がいかなかった。
 また、過ぎし月を見る晩に、浪都(なみいち)に三味線を弾かせて与十郎と夜更けまで私宅で語り合い、その後浪都を帰したあとは何をしていたのか……。
 このときから気をつけて見ていると、梅之助と与十郎が交際していることは間違いなく、なんとなく恨みを思い抱き、折をもって、話をしに参ろうと思っていたのだが、これを幸いにして、新六は梅之助と与十郎の事を申し上げた。 【“武道伝来記 其の二 (前編)”の続きを読む】
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武道伝来記 其の一

 このブログもお蔭様でそろそろ一周年をむかえます。
 それで今回は、原点に戻って西鶴の『武道伝来記』を紹介したいと思います。

 『武道伝来記』は敵討ちを内容とした浮世草子で、当時の実際に起こった事件に取材しています。
 敵討譚には、現代人には理解し難い部分もありますが、その分BLがドラマチックに描かれていると思います。




◎毒薬は箱入の命 人質は夢の内蔵の事 (巻一の二)
 後藤森之丞(29、鉄砲の上手)×橘山市丸(14、福島出頭の息子)


(前半あらすじ
 市丸の母は、産後の腹痛に悩み死んでしまった。夫で奥州福島の出頭(寵臣)・橘山形部は妻を愛しており、後妻を貰う気などはなかったが、数月経ったころ、女中の野沢と小梅というふたりの女が気になり始めた。
 小梅は形部の権威を笠にきて我が儘に振舞ったため、形部の寵愛は野沢に移った。それに嫉妬した小梅は、野沢やほかの女中を毒殺したが、ついには罪がばれて、酷刑を受けることとなった。)


 小梅の弟に、九蔵といって、渡り奉公している男がいた。九蔵は小梅のことを聞くなり、姉の咎は問題にせず、とにかく敵は主人の形部であると思い込んで、福島までやってきた。
 九蔵は小間物の行商人に身をやつし、武家屋敷町に出入りするうちに、いつのまにか形部の屋敷の台所にも自由に入るようになった。
 
 その秋冬も暮れて翌年の二月の末、形部は花畑の菊を植え替えるといって、中間ひとりを召して庭に出た。
 それを見た九蔵は、このときをのがしてはならぬと、すばやく隠し持っていた刀を取り出し、こっそりと後ろにまわり、名乗りもかけずに太刀を降りあげた。
 太刀は夕日にうつって輝き、その影に驚いた形部はすばやく避けた。 九蔵が股へ切りつける間に脇差を抜き、打ちつけると、鬢先を着られながら、かなわないと思ったのか、逃げていった。

 その折節、市丸は、乳母に抱かれながら広庭に出ていた。
 九蔵は見るなり市丸を奪い取り、抱えたまま米蔵の中に駆け込んだ。しかたなく人質をとり、この幼い子を、すでに悲しい目にあわせようとしていた。
 乳母が悲しくて駆け寄ろうとすると、九蔵は
 「おのれら、近づくならば、この倅を刺し殺す!」
と言いながら、市丸の胸に刃を当てた。
 乳母は遠くから手を合わせて、私と取り替えておくれと、身をもんだが、九蔵はまったく聞き分けず、また、そのまま殺すこともしない。
 もはや逃れられず、天命を待つところに、家来の面々がみな、すごんで駆け入ろうとしたが、駆けつけた形部はそれを押しとどめ、しばし手立てをめぐらすのだった。 【“武道伝来記 其の一”の続きを読む】

弘法大師の教え!? 二限目

 昔、真言宗のえらいお坊さんが、恋を極めんとする健気な男に、衆道の極意いっぱいの、秘密の巻物を授けてあげました。

 さて、ルンバのリズムは置いといて、『弘法大師一巻之書』第二回です。読めば心うきうき? (もしかしてこのネタ通じてない?)




◎児様見様のこと
 (この章は、ちごの性格にあわせた攻め方を記したものと思われます)


一、児の物言いたる跡に心を留めて見るべし。
  物いうこと静かなる児は情ある者なり。
  かようの児には、いかにも真実なりをみせて、少しのことに恥じ入る振りをして尋常に膝(ひざ)によりかかり、そのまま気をとり、児の知るように衣装を剥ぐべき実なり。
  「白雲のかかれる峰の岩清水ついには下に落ちにけるかな」
  この歌のごとく、白雲の掛かれるほど高き山の峰の清水も、ついには滝となって下に落つるなり。
  極意にとりては、いかに情なき児なりとも、こなたより仕掛くれば奉るものなり。


* ……へ~……。
  はッ!! あまりのことに言葉を失ってしまいました。
  とりあえず、おしとやかなちごに対する攻略法のようです。
  このタイプのちごには、とにかく誠意をみせて、ゆっくりと近寄る。ちごも気を許し始めたならば、着物を脱がせ
  おおい! いきなりそこまでいくのか!! 確実に嫌われるぞ!
  「児の知るように」とはどういうことなんでしょう? 脱がしますよ、と断りつつ、ということなのだろうか?
  極意としては、自分から積極的に行動すれば、いつかはどんなコでもあげちゃう、ということみたいです。


一、大体情なき児あり。
  かようの児にはうけつに(?)こなたより仕掛け、閉など探り懐に手を入れ、次第に尻の辺りに手をやり、その後衣装をはぎ受け、御(無?)詞にてするなり。
  「直なれる杉の梢をながむれば風ふくたびになびきこそする」
  この歌の心のごとく心直なる杉なれども、風強く吹けば杉なびくという心なり。


* この段、不明な点が多いのですが、ワタクシの調査と勝手な解釈で考えますに、これはかなり鬼畜ですな。
  冷たい稚児には自分からアタックし、閉(これは指似のことらしい)やら胸やら尻やらをまさぐったあと、着物をはぎ取り、無言で……!!!
  ひどい!! 乱暴はいかんよ!! 確実に嫌われるぞ!!
  でもちょっとぐらい強引にするのも、イイのかもしれない。 【“弘法大師の教え!? 二限目”の続きを読む】

弘法大師の教え!? 一限目

 九州に満尾貞友というお人がおりました。この方、「たまたま人と生まれて、衆道の極意を知らざるはまことに口惜しきことかな」とお思いになって、大乗院大師堂に毎日参詣したところ、七日に当たる夜、とうとう弘法大師さまが若僧のお姿にて現れたまい、「汝よくも心掛くるものかな、……汝ここに参籠せしこと感ずるに余りあり、汝に一巻の書を授くれば、以後他見するなかれ…」っといって、かき消すように行ってしまわれた。(出典:南方熊楠全集)


 長い前説、失礼しました。とにかく、貞友さんの心意気に感じた弘法大師が、その極意を書き記した書をくださった、ということです。
 「若僧の形に現われたまい…」というのも、ツボを押さえた演出ですが、さてさて、その書には、どんなことが書かれているのでしょうか。ああ、見てみたい!!
 え?「他見するなかれ」? ああ、見てみたい!!




◎児様御手取り様のこと。
 (この章は、さまざまな気持ちを、お稚児さまの手の握り方によって伝える、そういうサインを解説したものらしい…)


一、児の人指より小指まで四つ取るは、数ならねどもそなたのことのみ明け暮れ案じくらすという心なり。

* ほう、ちごの人差し指から小指までの四本の指を握るのは、「さえない男ですが、あなたのことを一日中考えて暮らしています」という気持ちを伝えるサインなのね。


一、その時、児二歳(=ちご)の、大指を一つ残してみな取るは、数ならぬ私への御執心恥ずかしく存じ奉り、御志のほど承らんという心なり。

* 今度はちごから。四つの指を握られたとき、相手の親指以外の指を握り返すのは(となりの人とやってみよう!)、「こんな私へ御執心とは、恥ずかしく思われますが、あなたのお心をお受けいたします」というサインだそうです。へ~。


一、児の人指、中指二つ取るは、お話申し上げたしという心なり。

* ちごの人差し指と中指の二本を握るのは、「お話があります」というサイン。


一、その時、児扇の上に○(不明な字)を返し申すは、御話承らんという心なり。

* 不明な字があって解読が困難ですが、手を握られている状態で、扇を取り出してどうこうすることが可能なのか? なんか雲行きが怪しくなってきた……? 【“弘法大師の教え!? 一限目”の続きを読む】

軽口衆道往来~お稚児さま特集~

 一週間ぶりですが、『軽口衆道往来』も、今回が最終回でございます。最後はこのシリーズの主役とも言うべき、お稚児さまの登場するお話を放出~。




◎きのふはけふの物語(上・10)
 山寺法師、さる御ちごにほれて、色々縁をたどって心中を訴えると、さすが、御姿に見合う御心はやさしくていらっしゃり、ある夜、こっそりと法師のもとへお越しになった。
 法師は、「これはありがたき事」と言って、夢中になってあわてたけれども、貧僧であって、何の御馳走のしようもない。
 せめてこれだけでもお慰みになればと思って、大唐米(たいとうごめ:粒が赤く、質の悪い米。しかし経済的)の飯を出したところ、御ちごさまはご覧になって、
 「是はうつくしき色や」
と仰せられた。その時三位(稚児の後見人)がまかり出て申し上げた。
 「たまさかの御こし、まことに身にあまりかたじけなく存じて、せめての御馳走にとて、染めさせ申したる。
 (思いがけないお越しが、まことにありがたく思われて、せめてもの御馳走にと、赤く染めさせられたのでしょう)」
 御ちごはお聞きになって、
 「げにも、さう見えて、大唐飯のやうな。(本当にそのようで、大唐飯みたい)」
と仰せられた。


*ポイント*
 自分に気の有る男がいれば、行って情けをかけてやる。美少年には、そういうお稚児さまであることが求められているんですね。  【“軽口衆道往来~お稚児さま特集~”の続きを読む】

軽口衆道往来~熨斗付の正しいねだり方?~

 一月前のバレンタインデーの時にも、念者さまは様々な贈り物をしてお稚児さま、若衆さまを喜ばそうとしました。
 そしてもうすぐホワイトデー。またまた念者さまがプレゼントをしなくてはならない時期がやってきました。「三倍返し」なんて言葉も聞きますが、ちょっぴり高価なものが欲しいとき、若衆さまはどうするのでしょう? そして念者さまの反応は?

 というわけで今回は、「熨斗付(のしつけ)」という、金銀類を薄く打ち延べたものをはりつけた刀剣の鞘をおねだりする若衆さまのお話。織豊期には、こういう飾り付けが大流行したそうです。




◎きのふはけふの物語(上・64)
 ある若衆、念者と寝て、明け方に身体を唾でぬらして言った。
 「さてさて、夢を見て汗をかひたる。(ああ、夢を見て汗をかいてしまいました)」
 「それはなに夢ぞ。」
と念者が尋ねると、
 「我等に、そなたから大なる熨斗付(のしつけ)をこしらへて、これをさせと仰せらるる。いやといふてかへせば、また無理にとらへて帯にささせらるる。何ぞとして是を返したいと思ふて、くたびれたる。
 (私にあなたから、すばらしい熨斗付を作って、"これを差せ"と仰られる。"いや"と言って返すと、また無理やりにつかまえられて帯に差させられるのです。どうにかしてこれをお返ししたいと思って、くたびれてしまいました)」
と語った。念者はこれを聞いて、
 「そうじて春の夢はあはぬものぢゃ。きづかひなされそ。(だいたい春の夢はあてにならないものだ。心配なさるな)」
と言った。


*このお話は*
 話の切り出しには「夢」を利用。「困ってしまった」と言いつつ、心の中では、「正夢にしてね」と祈っています。しかし念者さまは、すでに見破っていました。「春の夢は実現しないよ」と一蹴。余裕ですね。


*ポイント*
 あ、失敗しちゃった; この作戦は少々まわりくどく、たんなる夢の中での出来事として片付けられてしまう可能性が大きいようです。

 ならば、もっと直接的にねだってみよう!! 【“軽口衆道往来~熨斗付の正しいねだり方?~”の続きを読む】

軽口衆道往来~叶わぬ望み・切ない現実~

 ひなまつりは終わってしまいましたが、今回は「女の子」にまつわるお話をば。女の子はでてきませんが、BLとはいいがたい話なので御注意を。



◎軽口露がはなし(「小僧が利口で却ってめいわくといふ事」)
 去る寺に、うつくしいお稚児がいた。旦那(檀家の人)がいらっしゃって、小僧を近くに呼んで尋ねた。
 「あの稚児は、どなたの子なればあのやうにうつくしひぞ。」
 小僧は答えて、
 「あれは屋敷方のお子なり。ここの弟子に成りに御出で有る。(あの方は武家のお子です。ここの弟子になるためにいらっしゃいました)」
と言う。旦那は聞いて、
 「おれが思ふやうならば、あの稚児を女子にしてほしひ。(おれの思うようになるならば、あの稚児を女の子にしてほしい)」
と言うと、小僧が言うことには、
 「いづれ"人の目は九分十分"じゃ。沙汰はないこと、長老様も左様に御申しある。
 (何にせよ、誰の見る目も同じようなものだなぁ。黙っていてくださいよ。住職様もそのようにおっしゃられる)」



続いて同じ系統の話をもう一つ。

◎きのふはけふの物語(下・8)
 さる寺に参詣したさいに、美しい禿(かぶろ=禿髪にした子のこと)がいるのを見て、
 「さてさて、美しい御若衆かな。どなたから御越しぞ。(なんとも美しいお若衆だなぁ。どこの家からいらっしゃたのか)」
と問う。すると新發意(しんぼち=僧になったばかりの少年)が
 「あれは大阪浪人ぢゃ。」
と言う。
 「さう見えた。よひ子ぢゃ。さりながら、とてもの事にへ×をつけてほしや。(なるほど、良い子だ。しかし、いっそのこと女×をつけてほしいものだ)」
と言うと、新發意は聞いて、
 「長老様もさやうに仰らるる」
と言ってしまった。



*このお話は*
 どちらも、「美しい稚児を女にしたい」と言うと、小僧や新發意が「長老さまもそうおっしゃる」と、口をすべらせてしまう、というお話でした。


*ポイント*
 まず注目したいのが、お稚児さまの出身です。一話目では「武家の子」、二話目は「大阪浪人の子」となっています。
 「大阪浪人」というのは、大阪の役(1614・1615)で豊臣方についた大名・武士が失脚したために浪人した人のことだそうです。彼らは再び仕官できる望みもなく、経済的に困っていました。
 すると、二話目の禿くんは、真剣に「仏弟子になりたいから」というよりも、食い扶持を減らすために寺にあずけられたような気がします。一話目の子にも、なにか複雑な事情があるのでしょう。

 次はセリフに注目。男のセリフから見るに、「美少年=武家の子」というイメージがあるみたいですね。やはり身だしなみに気を遣う余裕があったり、立ち振る舞いをしっかり習っているからでしょうか。

 
 さて、今回の重要問題は、「男の子を女の子にしたい」という願望についてです。
 同性愛と異性愛が共存する当時ですが、「同性はタイプじゃない」という人や、「美しいのはいいけれど、肌を合わせるのはいや」という人もいたというわけです。(逆に男色一本の人もいるわけですが)


 今回は「男」の側の意見でしたが、「少年」のほうにも「女の子ならば」と思うことがあるみたいです。
 例えば、春本『天野浮橋』には、客の僧が「女郎より陰間がいい」というと、陰間が
 「うそおつき。女郎は馴染みになると、請け出して一生夫婦になる。陰間は…(中略)…年明けて(年季が明けて)侍にでもなるか、用部屋(武家の使用人)にでもなるのがいい引きだ」
と、グチを言う場面があります。

 ここなんですね。「夫婦になる」。
 古今東西、異性同性問わず、好きあう二人が、社会で安定して生きていくためには、「夫婦」になるのが一番ということなのでしょうか。(歌舞伎『桜姫東文章』にも、稚児・白菊が恋人の僧に、女に生まれ変わって夫婦になろうという場面があったと記憶しておりますが……)


 ちょっぴり切ない衆道の現実でした。ああ~、引かないで~~!次回はきっと……純BLをッ……

軽口衆道往来~特殊事例?~

 *下ネタ警報発令中*

 タイトル通り、こんなこともあるのね~な事例を御紹介したいと思います。(ちと構成が苦しくなってきた…;)


◎鹿の子餅(「芳町」)
 鳶(トビ)の者、はじめて野郎を買った。床に入る時になって、若衆(野郎のことですね)に向かい、
 「モシ、ちっと大屋へでもあづけやせうか。」


*このお話は*
 「尻を大屋へ持ち込む」という成語があるそうです……。「尻を持ち込む」は、問題の処理を求めるとか、後始末を求めるとかいう意味ですが。ちょっと意味不明でしょうか。なにかエロチックな意味でもあるのか?

*ポイント*
 まあ、話の内容は置いといて、ここで言いたかったのは、陰間・野郎を買いにくるお客さんには、鳶職のにーちゃん(じゃないかもしれないけど)もいる!ということです。
 「はじめて買った」とあるので、滅多にはこないかもしれません。仕事があがって親方からぽんと気前良く給金をいただく、「今夜はパーッと」「おい、芳町にでも行ってみるか!」……そんな感じで興味本位で遊びに来たのかもしれません。それでもいいじゃないですか。中にはハマってしまったヤツもいたかもしれない。あの子会いたさに仕事に精を出す貧乏職人vvv 最近妄想づいてるなぁ;
 ちなみに「芳町(よしちょう)」は、陰間茶屋が多く立ち並んでいた場所です。 【“軽口衆道往来~特殊事例?~”の続きを読む】