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梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

軽口衆道往来~野郎&やろう~

 前回ちらっと話が出てきたので、今回は「野郎」エピソード三本立てでお送りします。

 その前に基本単語の解説。
 野郎→やろう。歌舞伎役者で、かつ色も売る少年のこと。幕府の方針により、役者になると少年であっても前髪を落とした。
 陰間→かげま。役者見習いで、色を売る少年。
 親方→おやかた。陰間や野郎の抱え主(雇い主)。
 花代→はなだい。役者や芸者などをよんで遊ぶ時の代金。

では、本題。


◎鹿の巻筆(「松本尾上狂歌」)
 役者・松本尾上(まつもとおのえ)は、もとは陰郎(かげろう=陰間)であった。先日十一月一日から、勘三郎芝居(=中村座)に出ている。
 まえまえから親しく尾上のもとへ通っていた客のところへ、その友人がやってきて、
 「今日は、尾上かたへ御こしあるまじきか。(今日は、尾上のところへお行きにならないのですか)」
というと、
 「いやはや、むかしのやうには参られぬ。位あがり給えば花代もあがるらめ。しかし、是を親方の方へおくりてたべ。
 (いやはや、昔のようには通えないよ。役者として格がお上がりになれば、当然花代も上がるだろう。だがともかく、これを尾上の親方へ渡しておくれ)」
と言って、狂歌を書いて遣わした。

 花代も高砂ならばこちはいや尾上のかねをもたぬ身なれば
 (花代が高いので、私はいやでございます。山のように高い尾上の花代を持っていない身なので。)

 親方は返歌を書いて送った。

 まずかひや前髪鬘ながき夜にあかつきまではかけてやろうぞ
 (そういわず、とにかく買ってください。前髪のかつらを付けさせて、十一月の長い夜に明け方まで続けて遊ばせてあげましょう。)


*このお話は*
 ジュニアのころから贔屓にしていた尾上くんも、十一月から本格的にデビュー。当然花代も高くなり、前々からのファンとしてはちょっと複雑な気持ちになります。それでも、事務所の方針は「まず買いや」。(この説明キケンでしょうか?でもN○Kでも若衆歌舞伎をJにたとえてたしなぁ)

*ポイント*
 歌舞伎界では、十一月から新年度が始まります。役者たちは人気や実力を考慮された上で、四つの大きな歌舞伎座に分けられ、そのクラス分けを公表するのが「顔見世」です。そのときに、見習い役者の陰間の中からメジャーデビューする子もいるわけです。 【“軽口衆道往来~野郎&やろう~”の続きを読む】
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軽口衆道往来~若衆さまも……~

 今回は若衆さまの本性を暴きます。


◎きのふはけふの物語(上・63)
 そそっかしい若衆、餅を召し上がるというときに、数多く食べようと思ってあまりにもあわてたので、のどにつまらせてしまった。
 人々は気の毒がって薬を飲ませても、のどを通らない。いろいろと言ううちに、天下一のまじない手を呼んだところ、まじないを行って、つまった餅はそのまま竜虎の絡み合ったような格好になって、三間ほど先へ飛んで出た。みんなが
 「めでたひ事ぢゃ。さりとては天下一程ある。(喜ばしいことだ。やはり天下一だけのことはある)」
というと、若衆はお聞きになって、
 「名人ではなひ。あつたら物を、内へ入るやうにしてこそ上手なれ。天下二でもなひ。(名人ではない。せっかくの御馳走を、中へ入るようにしてこそ上手なのだ。天下二でもない)」
と言われた。


*このお話は*
 若衆さまもお稚児さま同様、餅が大好きなんですね。できるだけ多く食べたい若衆さまの本音でした。

*ポイント*
 「まじなひて」。なにか不思議な力で餅を外に出したのでしょうか?超能力者みたいなもの?
 「天下一」は、織豊期に全国統一の世情を反映して流行した言葉なのだそうです。若衆さまの「天下二でもない」というセリフには、思わず、「あんたは小学生かッ!!」っとツッコミを入れたくなりますね。



◎きのふはけふの物語(上・58)
 ある人、若衆の御訪問を得て、
 「これは夢かうつつか、かたじけない事や。(これは夢か現実か。有難いことだ)」
と、いろいろとおもてなしをする。
 「御さかなも御座なけれ共、せめて御酒なりとも参らせたひ。(お肴もございませんが、せめてお酒だけでも差し上げたい)」
と言って、様々お勧めすると、草履取りの三八がまかり出て、
 「左様に酒な御しいなされそ。今朝もお里で、さけのみをまいりて、いまにお顔が赤ひ。(そのように酒をお勧めにならないでください。今朝も御実家で"さけのみ"をお飲みになって、今もお顔が赤い)」
と申した。


*このお話は*
 朝っぱらからお酒をお飲みになる若衆さま。

*ポイント*
 「さけのみ」は、「米を発酵させて酒にし、しぼる前のもの」のことだそうです。およそ若衆さまにはふさわしくない、下品な飲みもの。それを朝から……、酒豪ですか?
 さて、それを念者さまの前で暴露したのは、草履取りの三八(さんぱち?)さん。若衆さまにも、お稚児さまと同じように、付き人がいらっしゃるようです。恋人の家に行くときも影のごとく付きしたがって行きます。それが当たり前の世界では、まさに影のように気にならない存在なのでしょうけど。 【“軽口衆道往来~若衆さまも……~”の続きを読む】

軽口衆道往来~おちごさまも男の子2~

 今回もお稚児さまの食生活~


◎きのふはけふの物語(下・25)
 あるちご、思いの外に餅を召し上がり、にわかに煩熱(熱に苦しむこと)してお困りになる。
 「ちと、うちのくつろぐやうに御薬を参らせう。(ちょっと、お腹が楽になるようにお薬を差し上げよう)」
というと、ちごは
 「薬や湯が口へ入るほどならば、また一つも餅をこそ食わふずれ。(薬や湯が口に入るくらいなら、もう一つでも餅を食べるのに)」


*このお話は*
 …まんまですね。

*ポイント*
 お稚児さまが苦しんでいれば、お薬を差し上げる。ただの食べすぎで、自業自得の腹痛なのですが、ちごは大切にされていたんですね。


◎きのふはけふの物語(下・26)
 延暦寺の小法師、御斎(おとき=朝食)がすぎて、山へ木の葉掻きに行くといって、御ちごさまの中食(ちゅうじき=昼飯)を膳棚に上げて置いて、その下に小法師の昼飯もおいた。
 さて、山から帰って見ると、御ちごさまの御膳もあがり(食器も片付いて)、自分の飯もない。不思議な事だと思い、御ちごさまに尋ねると、
 「まことに、お汁かと思ふて、あこが飯に打ちかけて食うた。(ああそれは、お汁かと思って、わたしの飯にかけて食べた)」
と仰せられた。


*このお話は*
 やっぱりまんまですね。

*ポイント*
 「小法師」は年の若い僧のこと。「木の葉掻き」は燃料にするための落ち葉を拾うことなので、この人は雑用担当の、位の低い僧なのでしょう。御ちごさまにもかなり気を遣わねばならない身分のようです。
 前回、稚児の食事は一日二回だといいましたが、ここでは朝・昼・夕の三食になっているようです。物語の成立が江戸前期なので、このころが二食から三食への過渡期だったのでしょう。
 さて、「あこ」です。「あこ」はもともと、目下の者やこどもを親しみをもって呼ぶ語でしたが、中世以降はこどもの自称になりました。まわりの人が「あこ、あこ」と呼ぶので、自分でも自分のことを「あこ」と呼ぶようになったのでしょうね。萌な一人称です。 【“軽口衆道往来~おちごさまも男の子2~”の続きを読む】

軽口衆道往来~おちごさまも男の子~

 今までは攻さんのほうに注目してまいりましたが、今回からは受さんにもスポットを当てて取り上げてみたいと思います。平生、文学の世界では、理想の美少年として神にも等しい扱いを受けているお稚児さま、若衆さまですが、花盛りの彼らはおよそ13歳から17歳。……食べ盛りなのです。


◎きのふはけふの物語(上・31)
 小ちご、親里からお帰りになって、そのまま小座敷へ腹をかかえてお入りになる。大ちごが気の毒そうな顔で近づき、
 「何と、御心あしきか。(まあ、御気分がお悪いの?)」
と仰せられると、小ちごは、
 「いや、道にて餅をしいられて、胸がやくる事、なにとも迷惑ぢゃ。(いや、帰る途中の家で餅を無理に食べさせられて、胸がやけること、なんとも困ったことぢゃ)」
とおっしゃる。大ちごは、
 「さてさて、その類火にあひたや。火元はいづくやらん。(そうかそうか、その火事を貰いたいものだ。火元(餅をくれた家)はどこだろうか)」
と申された。


*このお話は*
 小ちごがお餅をたくさん食べて帰ってきたので、大ちごはうらやましく思ったというお話。
 「胸がやける」=棟が焼ける。そこから、「類火」や「火元」という縁語が出てきます。

*ポイント*
 小ちご、大ちご→稚児の中でも、年下の方が小ちご、年上の方が大ちごです。小ちごは、5,6,7歳くらいの幼い子供を指すこともありますが、普通は年下ならば年齢は関係ないみたいです。
 この話では、むしろ小ちごの方が大人びていて、大ちごの方が食いしん坊みたいですね。



◎きのふはけふの物語(上・37)
 三井寺の法印が、雨中の退屈をまぎらわそうと、「二度物思ふ」という題を出して、「これで一首づつお詠みなさい」と、二人のちごに仰せになった。

 大ちご
 春は花秋は紅葉をちらさじと年に二たびもの思ふなり

 小ちご
 朝めしと又夕めしにはづれじと日々に二たびものこそ思へ


*このお話は*
 「二度物思ふ」と言う題で、二人の稚児が歌を詠みました。年上の稚児はお年頃なので風流な歌を、年下の幼い稚児は、毎日必死に食事を確保する心情を詠みました。

*ポイント*
 小ちごの歌から、なんとな~く稚児の生活が垣間見える気がします。きっとごはん時になると、我先にと給食のおじちゃんのところに駆けつけるんでしょうな。で、ちょっとでも遅くなると、もうナイ。食いっぱぐれてしまうわけです。いえ、妄想ですが;
 しかしこれだけは言えます。稚児の食事は、一日二回! 【“軽口衆道往来~おちごさまも男の子~”の続きを読む】

軽口衆道往来~喜ばれるおくりもの~

 ☆歴史的美少年同盟のしろさんが、管理人のやんちゃなリクエストに応えてくださり、『秋夜長物語』の桂寿くんを描いてくださいました!同盟のTopページで出迎えてくださいますvv 幸~。☆


 お久しぶりでございます。この2週間、数字とアルファベットの世界を泣きながらさまよっているうちに節分も終わり、世間ではバレンタインデー週間に突入。近年ではもはや、「女の子どうしお歳暮を贈り合う日」と言っても過言ではないかと思われます。
 というわけで今回は、お稚児さま・若衆さまへのプレゼントをテーマにお送りしようと思います。



◎きのふはけふの物語(上・59)
 ある若衆に貧僧が惚れこんで、恋文も数え切れないほど送った。しかしそのうちに、かの若衆は、さる大名にも惚れられてしまった。大名は藤原定家卿直筆の色紙を、習字の御手本にといって若衆にお贈りになった。貧僧はこれを聞いて、負けじと思い、弘法大師のお書きになった般若心経の三行ほどの断簡を、探し求めて差し上げた。
 また大名の方から、刀・脇差を、金銀の飾りをたくさん付けた、いかにも立派な作りにしてお贈りになった。貧僧はこれを聞いて途方に暮れてしまい、この返答に、剃刀(かみそり)などを送って済むわけがないと思い、

 何事も人にまけじと思へども黄金刀で手をぞつきぬる
 (黄金刀=黄金作りの刀&金の力、手をつく=傷つく&あやまる)

 この歌を詠んで贈り、やがてあきらめてしまった。


*このお話は*
 貧乏な僧が、恋敵の大名とのプレゼント合戦に破れ、若衆への思いをあきらめてしまったというお話でした。

*ポイント*
 以前、「源信直筆の書をプレゼントする」という話を紹介しましたが、有名人の書というのは、美術品やコレクションとしての価値のみならず、習字を必修科目とするお稚児さま・若衆さまにとっての教科書として、実用性も兼ね備えておりますので、贈り物としては大変素晴しいと思います。
 刀も、武家の若衆さまにはふさわしい贈り物ですが、金銀の飾りの付けられたものは、実用的ではありませんね;大名さまがどれほどこの若衆さまにお惚れになっているかはよーく分かりますが。
 大名まで虜にする若衆さまがどんな方なのかも気になりますが(それより一国の王が一般人の美少年に打ち込んで、高価な贈り物をしていることのほうが問題だろうか。家臣たちはハラハラしただろうなぁ。)、金と権力を前にして、傷つきひれ伏してしまった坊さまがかわいそうでなりません。金銀の効果は分かりませんが、若衆さまが大名のお召しを断ることはできないだろうし…やはりあきらめが肝心!?「何事も人に負けじと…」その心意気は素晴しいです! 【“軽口衆道往来~喜ばれるおくりもの~”の続きを読む】