徒然草其の一,二は、兼好法師自身のお話でしたが、今回は第九十段、稚児の話です。
大納言で、法印(僧階の第一位)になった者が召し使っていた乙鶴丸(おとづるまる)は、やすら殿(未詳)という者と親しい関係になって、常に行き通っていた。
ある時、乙鶴丸が帰ってきたのを、法印が「どこへ行ってきたのか」と尋ねたところ、「やすら殿の許へ、行って参りました」と言う。「そのやすら殿は、男か法師か(在俗の者か出家した者か)」とまた問われたので、乙鶴丸は袖をかきあわせてかしこまり、「さあ、どうでございましょう。頭を全く見ませんので」と、答え申し上げた。
どうして、頭だけが見えないのだろうか。
どうして頭だけが見えないんでしょうかね?頭を見たことがないってことは、顔も見たことがないということですよね。どうやって知り合ったんだ?しかも、やすら殿と乙鶴丸は確実にそういう関係にあるわけですから、コトをオコナう時、「暗闇で見えない」ということはありえても、さわることくらいできるだろ。少なくとも、髪の毛があるかないかぐらいは、なんとなく分かると思うんですが…。それすらも分からないような体…
いえ、なんでもありませんよ。あはは~。
やすら殿って、名前ですかね、名字ですかね。どういう漢字を書くのかもわからない。ひらがななのは、乙鶴丸くんがその漢字を思いつけないから…だったらすごく可愛いんだけど、そんなことまで考えてないだろうな、兼好さんは。
法印さまも、やすら殿が在俗か出家か聞いてどうするつもりだったんだろう。素直に「どこのどいつじゃ!」って聞けばいいのに。おそらく法印さまは、本当に乙鶴丸くんを「召し使っている」だけで、そういう対象としては見ていないんでしょう(お年寄りだと思うし)。乙鶴丸くんがやすら殿と付き合うのは、もう許しているけれど、彼を心配する親心から、そうやって聞いたんでしょう。敵対する寺の僧とかだったら大変だし。
なんだか、いろいろと謎の残る今段でしたが、一つ分かったのは、乙鶴丸くんのような、偉い僧に仕える稚児にも、寺を抜け出して誰かとお付き合いできる自由がある、ということですかね。うまく行ったのは法印さまの優しさも一因ですが、少なくともチャレンジすることはできる、と。稚児もがんじがらめじゃない、ということのようです。
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平安のプレイボーイといえば、光源氏と、在原業平かといわれる伊勢物語の主人公であります。
そんな女たらしのお二人にも、ちゃっかりBL話があるんだから、さすが(?)です。文武両道・男女両道、清濁併せ呑んでこそ大きな人間になれるのです(ぇ;)。
というわけで今回は「伊勢物語」(平安中期)、第四十六段です。
昔、男には、たいへん「うるはしき(親密な)」友人がいた。少しの間も離れず、互いに思い合っていたが、その友人が他国へ行ってしまうのを、とても悲しく思いながらも、別れてしまった。
月日が経って、その友人が送ってきた文に、
「会わないまま月日の経ってしまったことに、我ながら驚きあきれています。私をお忘れになったのではないかと、いたく嘆きに思い沈んでおります。世の中の人の心は、会わなくなると忘れてしまうもののようです。」
といってきたので、男はこう詠んで送った。
『目かかるとも思ほえなくに忘らるる 時しなければ面影にたつ』
(お会いしていないとは、私には思われませんのに。私にはあなたを忘れる時などありませんので、あなたが幻となって現れます。)
熱ーい、深ーい友情ですね!腐女子にゃ友情も愛情もおんなじだー!!偉い人も「これは男色譚だ」と言っておられます。
ふつう友人なら、「会えなくなっても、ずっと友達だよ」となるはずですよね!?それを、「私のこと、お忘れになったんじゃないですか…?」と涙ながらに手紙をよこす!絶対「男」、キュンとなっただろ!「可愛いヤツだ」と思っただろ!
友人の微妙な敬語にけっこう萌。男の返事は和歌なので、二人の立場がどうなっているのか分かりませんが、「男×友」でしょうな(プラトニックなんだろうけど)。
微妙な友情話でしたが、某大手少年誌Jとかでこんな話やったら、次の次くらいのイベントはソレばっかりかもなぁ~、という第四十六段でした。
(其の七からつづく)
菊之丞と若侍が、驚いて飛びのこうとするのを、八重桐は両手で押し沈めた。
「どうか騒がないでください。先ほど蜆を採ろうと中州まで行きましたが、酔いが強くて耐えられなかったので、小舟で帰ってきたところ、おふたりは閨の内。いぶかしくはあったけれども、邪魔をするのは…、しかし様子を聞かないのも…と、思って舟の向こうに身を潜め、一部始終聞いてしまいました。
蜉蝣やせみでさえ命を惜しむと言うのに、お二人の死を争うことは、本当に殊勝なことですが、閻魔大王が恋い慕いなさっていると聞けば、路考どのの事は、とても逃れられない運命です。
しかし、顔も見たことのない恋となれば、私を身代わりに立てて、路考どのを助けてください。」
「なぜ身代わりになるのか、不審に思っていらっしゃるのでしょう?路考どのはよくご存知のとおり、我が荻野の系図は、初代から父の八重桐に至るまで、代々の名女形でした。それが私が三つの時に父が死に、五つの時に母に別れ、孤児(みなしご)となったところを、父と親交のあった路考どのの父上菊之丞(初代、女形)どのが引き取って、我が子同然に養いくださり、小唄・三味線・舞踊から芝居の大事まで様々に教えていただきました。
師匠(初代菊之丞)は『幸い我が子もいないから、お前に家を継がせたいが、そうなれば荻野の名字が絶えて、先祖の跡を弔う人がなくなってしまうな。』と、私を八重桐の名に改め、あなたを養子にむかえて、この子を兄弟と思え、とよくよくおっしゃりました。
今不肖ながら三都の舞台を踏めるのは、生みの親にも勝る大恩であって、養い親として師匠としての並々でない情けのおかげです。
師匠は今わの際にも私を枕元に呼んで、『私ばかりか菊次郎(初代の弟)まで、名人の名を残せたから、死ぬ命は惜しくないが、心にかかるのは吉次(路考の幼名)のことだ。どうかお前が私に代わって、吉次を守り、二代目菊之丞といわせてくれよ』と涙を流しておっしゃった末期の言葉は心に深く染み渡り、『命に代えても後見して、名を上げさせて差し上げます。お気遣いなさらないで』と言ったのを聞いてにっこと笑いながらこの世を去っていかれた。いま思い出しても涙が出ます。
まだ幼少の路考どのをお世話したのは恩返しのため。父御に習った芸の秘伝も五年以上前にすべて伝授して、次第に路考の名が名高く評判になっていくのは、我が名を上げるより百倍も嬉しかった。評判を取るごとに師匠の位牌へ向かって自慢したのも、師匠の末期の言葉を忘れてはいない私のほんのちょっとの志だったのです。
しかし、今日のこの事情で、路考どのを死なせては、師匠への言い訳が立たず、瀬川の名も断絶させては希望に反します。私は死んでも、子どもがいるから、荻野の名字は絶えることはないでしょう。
【“根南志具佐(ねなしぐさ) 其の八”の続きを読む】
(其の六からつづく)
この浮世で、今評判随一の路考(菊之丞)のことを、望まない人などいるのだろうか。皆「よい器量だ」と言って、菊之丞の紋である結綿の紋を見るだけで、心が動いてしまう者も多い。それでも、いままで誰一人として菊之丞を手に入れる者はなかった。それなのにどういうわけか、この男が、俄かの出会いでこのように手に入れたのは、誠にこの道の氏神、至極の達人とも言うべきだろう。(前回のコトについて、セルフツッコミ入りました!!)
ほどなくふたりは起き上がって、なぜか分からないが(思わせぶり)、手などを洗う様子は、はなはだ心憎い。またもとの場所に座りなおして、酒を酌み交わす姿は、なんとなくはじめよりも、一段と打ち解けて見える。月もようやく差し昇り、舟の中は昼のように明るい。川風がそよと吹きわたって夏が去り秋が来たかのように感じて、なんとも興のある様である。
しかし、男は菊之丞の顔をつくづくと見つめて、はじめは物悲しげな様子だったが、しだいに耐えきれない思いが顔に表れて、涙をはらはらと流すので、菊之丞は男にすり寄って、
「どうしてそのように、物思いの様子でいらっしゃるのですか?」
と懇ろに尋ねた。しかし男は、さらにうつむいて、とりあえずの言葉もなく、涙のほかには返事もない。
菊之丞もこのままでは心が落ち着かないから、
「もしかして、私の心意気に、御心に染まないところがあるのでしょうか。このように打ち解けたのに、どうして隠し事をなさるのですか。」
と、憾(うら)んだ顔つきをするので、男は涙を押しぬぐい、
「それほどに深い貴方の心ざしをあだにして、黙っているのもつらいものです。こんなに厚い情の其の上に、『妾(わらわ)が心の気に染まぬか』との一言は、胸にこたえました。ですから子細を明かしましょう。必ず必ず驚かないでください。
私は実は、人間ではございません。荒波をくぐり、水底を住処と定める、水虎(かっぱ)というものでございます。」
そう聞くより菊之丞はあっけにとられてしまったが、どういう訳があるのだろう、と心を沈めて聞いていた。しかし、思わずぞっと寒気立ち、気味悪く感じてしまった。その気持ちをようやく胸に押し沈め、心の中で魔除けの呪文をとなえて、それでもまだ、子細を聞こうとしている。男は顔の涙を押しぬぐって、
「私がこのように、人間の姿となって来た訳をお話しましょう。実は故あって、閻魔大王があなたを深く恋い慕い、どうにか冥途へ連れて来い、と我等が領主・難陀龍王へ勅定がくだり、竜宮で色々と評議があったところに、この命にかけて申し上げ、ようやくこの役目を承り、どうにかあなたを連れて行こうと、忠義一筋で謀をしました。
乗り捨てられた舟を盗み、このような侍の姿に変じ、神変(不思議な力)で俳諧を吟じて近寄り、あなたを引っ立てて水中へ飛び込もうと、かねてから考えていたのですが、思わずも、あなたの器量に心迷い、無理な恋をいい掛けたところ、あなたの情も深く、睦言の中にまたの逢瀬を約束してしまいました。
その上は昨日まで企んでいたことも今日は変わって、あなたのために我が命を捨てる覚悟でございます。これから、私は竜宮へ帰りますが、菊之丞を取り得ること力及ばず、と申し上げれば龍王から罰せられることは決まっています。
【“根南志具佐(ねなしぐさ) 其の七”の続きを読む】
(其の五からつづく)
十五日…。隅田川は、川中も川岸も、夕涼みを楽しむ人々や商人・大道芸人たちでたいへんな賑わいである。
菊之丞たち4人は、用意した舟に乗り込んだが、みな役者であるから芸はもちろん珍しくもなく、にぎやかにするのも又うるさいので、静かに酒を酌み交わしていた。
一同はあそこへここへ、と漕ぎ回っていたが、騒がしい所を離れて遊ぼう、と舟を三叉(みつまた)というところへ漕ぎ寄せて、四方の景色を見渡せば、南は蒼海漫々として空と海との色がはっきりと判らない。西には箱根大山はかすかに、富士の山はくっきりと見え、近くには武蔵野に広がる人家、道ゆく人はただ蟻などが行き交うようにしか見えず、さながら仙境に入ったかのような心地がする。
しばらくは、静かに歌を詠い、香を燻(くゆ)らせて楽しんでいたが、さて中州のあたりへ行って蜆でもとろう、と皆は小舟に乗り移った。菊之丞は「私は考えかけた発句(俳句)があるから、後から行くよ」と言って、一人舟に残った。(菊のキャラが掴めないッ;)
頃は水無月の中の五日。陽は西に傾き、月は東に射し出でて、水面には小波(さざなみ)が立って涼しく、この頃の暑さも忘れるような、別世界に来たような思いがする。菊之丞は硯を取り寄せてこう書いた。
『浪の日を染め直したり夏の月 (夕陽で金色に染まっていた波が月が出て銀色に変じた情景。視覚からの涼)』
そう書いて、黄昏の気色をうまく表現できたかな、と独り笑みを浮かべて吟じ返していると、どこからともなく、
『雲の峯から鐘も入相 (聴覚の涼しさ)』
と、かすかに聞こえてくる。
菊之丞は不思議に思って「一体誰がこんなすばらしい脇句をつけるのだろう」とあたりを見回すと、一艘の小舟に舵取りもなく、若い侍がただ一人、笠を深々とかぶり、釣竿をさしのべて釣りに余念が無いようだった。
「それでは、さっきの脇句はこの人が」と思うと、彼の心ばえが奥ゆかしく、船端からつくづくと眺めていると、彼も振り向きこちらを見上げた。
その顔をよくみれば、年は二十四・五ばかり、色は白く清らかで、路考(菊之丞)を見てにっと微笑んだ。その面差しに、包みかねた恋心が顕れいる。胸には思いが増し、真正面から菊之丞の顔を見ることができずに水に映った面影をしばらく見とれているその風情。菊之丞も情のない岩木ではないから、自分を思ってくれる人を捨て置きがたく、しばらくじっと見つめていた。
【“根南志具佐(ねなしぐさ) 其の六”の続きを読む】
(其の四からつづく)
さて水府・竜宮城には、先ほどの閻魔大王からの勅命について評議のため、諸々の鱗(うろずく:魚類)たちが、列を正して詰め寄せた。そこで、龍王が仰せ出されたのは、
「我がこの水中界の主となり、多くの鱗を養っているのも、すべては閻魔大王の御恩である。なれば、このような時に忠義を尽くさずして、何時、御恩に報い奉ろうか。しかし、人界・水中界と、世界を隔ててのことであるから、容易く取り得ることもできまい。もし此の度の御用を仕損じたならば、我々は水中を離れて、いかなる所へ追い立てられるだろうか。須弥山にでも左遷となれば、道中で皆干物となってしまう。急ぎ菊之丞を召し取る思案をせねば。」
まず、最上席に座した鯨が、ゆうゆうと立ち上がって申し出た。
「仰せの通り、龍王様の御大事でございます。私めは不肖ながらも代々大家老の職を相務めまして、また家老の座に連なる鰐(わに)・鱶(ふか)たちとも、内々に評議いたしましたところ、まずは人間界の様子をよく知らなければ、謀も思いつかないだろうと存知付きまして、手下の者どもを忍びに遣わしました。これでおそらく様子は知れましょう。」
と、言いも終わらぬところへ、
「御注進!御注進!」
と、叫びながら一生懸命になってころころと転がりやってきたのは蜆(しじみ)であった。
蜆はペラペラと人間界での体験を語っていたが、そこへまっしぐらに拳螺(さざえ)が走ってきた。龍王は、普段は彼等のような下々のものの話などは直接お聞きにならないが、甚だ急ぎのことであるから、「人間界の様子はいかに」とお尋ねになったのだが…。
龍王は怒りを顕わにして、
「汝等はなんとして、このような役立たずどもを忍びにやったのだ!こちらの入用は、菊之丞の舟遊びの日限であるのに、そのことは聞かず、なんの役にもたたぬことばかりを、見て帰ったといって重大そうに申すこと、言語道断の憎いやつらだ!このような大事に魚らしきものを遣らず、拳螺や蜆を遣ったこと、もっての外の不届き!!」
と、鱗を逆立てると、鯨はヒレを動かし、
「仰せは御尤もでございますが、遣わす者の詮議は致しましたが、他の者は水を離れて働くことができませんので、彼等を選び出したのです。ですが、御用に足らざりしこと、急度申し渡します。今一人、忍びに入れたのは、兼ねて上様もご存知の留守居役の鎌倉蝦でございます。年は寄っておりますが、才気煥発の者でございますれば、必ず聞き届けてくるでしょう。」
そう申し上げる折から、「鎌倉蝦、只今罷り候」と、腰をかがめて立ち出たので、龍王はご覧じて「様子はいかに」とお尋ねになった。
「さん候。私儀は堺町からふきや町・楽屋新道・芳町あたりへ入り込み、よくよく様子を承り候ところ、来る十五日、菊之丞をはじめとして荻野八重桐など、舟遊びに出る由、微塵毛頭相違なし。」
と、言葉少なに申し上げた。
【“根南志具佐(ねなしぐさ) 其の五”の続きを読む】
(其の三からつづく)
さすがの十王たちも手立てが尽き、この上は修羅道に落ちた軍師どもの知恵でも借りようか、と言う所に、末座から出てきたのは、人間の一生を見届けて、帳に書き記す横目役(監視役)の見る目という者であった。見る目は閻魔王の前に進み出て、
「方々の御評議はごもっともではございますが、これしきのことに修羅道へ人を遣わし、軍師どもを召されるのは、この界の恥辱とも申されましょう。その上、かれらの智謀計略で再び太平の地獄界が乱世となるやもしれません。
それより、私は人間の肩にいて、善悪をただすのが役目ですから、人々の思うことさえも、明白に知っています。菊之丞をはじめとして、そのほかの役者どもに、舟遊びに出る兆しがあることは、かねてから知っております。この隙に乗じてお謀りなされば、御手に入らないなどということは無いでしょう。」
と、申し上げた。
閻魔王はそれを聞くなりお悦びになり、
「それは好都合だ。水辺のことであるから、いそぎ水府(水神のいる所、竜宮城)へ使いを立てて、龍王を呼び寄せよ!!」
「畏まりました。」
そういって、数多の鬼のなかから、足疾鬼といって、一瞬のうちに千里を行き千里を戻る、地獄の三度飛脚が水府へ行くと、かれこれする間もなく、「八大龍王の惣頭・難陀龍王、参内!!」という声がした。
衣冠正しいその装いは、頭に金色の龍を頂き、瑪瑙の冠、瑠璃のえい(冠の付属物。漢字変換できないのよ;)、珊瑚琥珀の石帯、水晶のしゃく、玳瑁(たいまい:ウミガメの一種)の沓、異形異類の鱗(うろくず:魚類)どもが前後を囲んで、難陀龍王が参内した。
龍王らが御階(はし:庭から屋内への階段)の元にひれ伏すと、閻魔王ははるかにご覧になり、
「珍しや龍王。只今そなたを召したのは、この大王小恥ずかしくも、心を砕く恋人がいる。それが、南せん部州日本の地の、瀬川菊之丞という美少年である。これを我が手に入れんため、様々に評議したすえ、かの菊之丞、近日舟遊びに出るとの事ゆえ、水中はそなたの領分であるから、急ぎ召し取ってつれて来い。」
と、仰るので、龍王は恐れいり、
「勅定の趣、委細畏れ入り奉りました。わたくしの支配下の者どもは、鰐(わに)・鱶(ふか:サメのこと)をはじめとして、川太郎(河童)・川獺(かわうそ)・海坊主など、人を取ることには長けておりますから、この者どもに申し付け、すぐに召し取り差し上げて、大王さまのご心配をお安めいたしましょう。(イヤな部下たちだなぁ;)」
と、事も無げに勅答した。
これを聞いた閻魔王は甚だお悦びになり、
「それならば、菊之丞がくるまでは、奥の殿に引き籠って、天人ども三味でも弾かせて気を紛らわそう。この間にも罪人どもがやってくるだろうが、大抵罪の軽いものは追い返し、重い奴はまず、六道の辻の牢へ打ち込んでおけ。また、最前の坊主めは、菊之丞に身を堕落したこと、はじめは憎いと思ったが、俺の心に比べれば、若い者に有りがちなことであるから、再び娑婆へ返すがよい。
しかし、今後菊之丞を買うことは法度にいたす。弁蔵・松助・菊次(女形や若衆形の役者)などをはじめとして、湯島・神明(陰間茶屋のあるところ)にいたるまで、菊之丞以外の者を買うのは許可しよう。」
と勅定あって、御簾がさっとおりたので、龍王は水府へ帰り、皆々は退出した。
【“根南志具佐(ねなしぐさ) 其の四”の続きを読む】
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気が向かれたらどうぞ、押してやってください。
一応お礼画像として、挿絵をのっけてみました(全2種)。では。
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(其の二からつづく)
まことに、娑婆ではうつくしいもののことを、「天人の天下り」などというけれども、此処では、常にみる天人であるから、美しいとも思わない。路考(菊之丞のこと。菊之丞の俳名)と比べてみると、閻魔王の冠と、餓鬼のふんどしくらいのちがいである。聞きしに勝る路考の姿、古今無双の器量であるなぁと、十王をはじめ、見る目・かぐ鼻(閻魔庁で人の善悪を判断する者)、其の外その場にいた牛頭・馬頭、阿防羅刹まで、感じ入る声は止むことがないので、閻魔王はしらずしらずに目を開き、絵をご覧になった。そして。
この上もなく艶やかなその姿に閻魔大王の心は動いた。はじめ笑っていたことなどはどこへやら、ただ呆然と抜け殻のようになって、思いがけず玉座から転げ落ちなさったので、みなは驚き抱き起こしさしあげた。
閻魔王はしばらくして正気を取り戻しなさって、ため息をほう、とついた。
「さてさて、みなの見る前で面目もないことではあるが、俺は思わずも、この絵姿のみやびやかであるのに迷い、この心をつくづくと案じてみると、古から美人の評判というものの数々あるなかでも、路考に並ぶべき人はいない。
西施のままじり、小町の眉、楊貴妃の唇、かぐや姫の鼻筋、飛燕の腰つき、衣通姫(そとほりひめ)の衣装の着こなし、すべてをひっくるめたこの姿!唐・日本の地にこのような者は二度と生まれはしない。俺はこれより冥府の王位を捨てて、娑婆にでてこの者と枕をかわさねば、王位の貴さもなんになろうか!!」
と、取り乱して、浮かれでようとなさったところに、宗帝王が駆け出て御袖を取り押さえて渋い顔をして申し上げた。
「これはけしからぬお振る舞いでございます。わずか一人の色に溺れ、この冥府の王位を捨てて、娑婆で人間に交わりなされば、地獄極楽の政を行うものもなく、善悪を正すところもなくなってしまいます。このような貴き御身を、野郎買い(若衆を買って遊ぶこと、人)と成り果てなされば、地獄極楽の破滅は瞬く間におこるでしょう。そのようなことにお気づきなさらぬお年でもありますまい(いくつなんだろう?)。
また、譬え当世の流行にしたがって、蝙蝠羽織に長脇差、髪を本田に結って、銀ぎせるをもって、野郎買いに見せかけても、もてる御顔ではいらっしゃらないでしょう。そのお姿で娑婆をぶらつけば、すぐに怪しい奴、と召し取られて憂き目を見るのは分かりきったことです(けっこうひでぇこというな)。
これでも、御得心なければこの宗帝王、御前にて腹かっさばき申しあげます。ご返答を!」
と、諌めるところに、平等王がしづしづと立ち出て申し上げた。
【“根南志具佐(ねなしぐさ) 其の三”の続きを読む】
(其の一から続く)
具生神が坊主の減刑を伺うと、閻魔王は以ての外とお怒りになり、
「いやいや、あの者の罪は、軽いように見えるがそうではない。だいたい、娑婆に男色というもののあること自体、俺には全く合点がいかない。夫婦の道は陰と陽で自然であるから、もっともなことであるが、同じ男を犯すことは、決してあるべきでない。
唐土にも、はるか昔から男色というものが存在して、書経(儒教の聖典五経の一)には、『頑童(がんどう:受少年)を近づく事なかれ』と戒め、周の穆王が慈童を愛したために、菊座という名が始まり、彌子暇・董賢・孟東野の類、
また日本では、弘法大師が流沙川(中国白河の支流)の川上で、文殊菩薩と契りをこめてから、文殊は支利菩薩の号をとり、弘法は若衆の祖師と汚名を残し、熊谷直実は、無官の太夫敦盛を須磨の浦で引っこかし(
こかして弄したという意味だそうです)、牛若は天狗に締められ(
おかされという意味だそうです)、真雅僧正の業平、後醍醐帝の阿若(くまわか)、信長の蘭丸、其の名も高い高尾神護寺の文覚は、六代御前(平維盛の長子)にうつつをぬかし、いらぬ謀反を進めて頼朝の咎めを受けたために、娑婆では『尻が来る(悪事・事件の責を負う)』という言葉が生まれたという。
但馬の城之崎、箱根の底倉へ、湯治する者の多いのも、みな男色のある故である。昔は坊主ばかりがもてあそんでいたから、『痔』という字はやまいだれに寺、と書くのだ。しかし、近年は僧俗おしなべてこれを好むこと、甚だ以って不埒の至り。今より娑婆世界にては、男色を止めるように、厳しく申しわたせ。」と勅命なさった。(ああ、疲れた;)
みな「はっ」と仰せを申しうけたが、十王のなかから、転輪王が進み出て申し上げた。
【“根南志具佐(ねなしぐさ) 其の二”の続きを読む】
「復活したでなぁ~ッ!!!(名古屋弁)」
皆様、お久しぶりです。無事(そうでもないけど)、終わりましたので、今日から復活させていただきます。よろしくお願いします。
それから、日記ブログを作りました。↑のセリフについて興味ある方は
こちら。(どんな興味やねん)
さて、夏ですね。ですので平賀源内先生の『根南志具佐(根無草)』を取り上げようかと思います。前編は宝暦13(1763)年刊、後編は明和6(1769)年刊の談義本だそうです。かなり長い上に、源内先生の社会風刺なんかも混じっていて、ちょっと読みにくいので、面白いところだけをかいつまんでお届けしたいと思います。どうぞお付き合いくださいませ。
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宝暦13年、水無月のころ。荻野八重桐という女形が、隅田川で溺死した。人々は様々に噂したけれど、それと定まったことを知っている者はいない。
さて、この世でもない世界の、極楽と地獄の真ん中に、閻魔大王とおっしゃる、やんごとなき御方がいらっしゃる。閻魔王宮は、昔はそれほど忙しくなかったが、近年(もちろん江戸時代です)は人の心もねじれ、日増しに罪人の数は多くなって、少しの暇もないのだった。
そんな中、また一人の罪人が、獄卒どもに引っ立てられてやって来た。閻魔大王が、はるかにご覧になると、年の頃は二十歳ばかりの僧であった。色白く痩せた体に、手かせ首かせをはめられて、腰のまわりには何であろうか、ふくさに包んだものをくくりつけている。
「此の者の罪は」
閻王がお尋ねになると、側らから、倶生神(ぐしょうじん:閻魔王庁の使臣)が罷り出て申し上げた。
「この坊主は、南せん部州大日本国、江戸の学徒僧でございますが、江戸堺町の若女形、瀬川菊之丞いう色若衆の美しさに魅せられて、師の僧の身代(財産)をかすめとり、錦の戸帳(仏を安置した厨子にかけるとばり)を古道具屋に売り飛ばし、行基作の弥陀如来は質屋に入れ…、しかしついにはその悪事が露顕して、座敷牢に押し込まれたということです。
【“根南志具佐(ねなしぐさ) 其の一”の続きを読む】