え~、「狗張子其の三(後編)」において、「地獄」について少し書きましたが、曖昧な記憶を頼りにしていましたので、ちゃんと調べました。
まず、「往生要集(おうじょうようしゅう)」とは。985年(平安中期)、源信(げんしん;恵心僧都)著。歴史の教科書にも、載っていました。
さて、地獄では、罪の重さや種類によって、様々な地獄が用意されています。
そのうちの一つ、「衆合地獄(しゅごうじごく)」に、「多苦悩処」という特別の地獄があります。此処こそ、男色にふけった邪な男の落ちる地獄なのです!
そこで待ち受ける苦しみは、というと、まず、男の前に、かつて関係にあった男が現れる(幻か?相手も地獄に落ちているのだろうか?)。その男を見ると、体中が、炎に包まれたかのように、熱くなり、近づいて彼を抱きしめると、体の器官すべてが、バラバラになって崩れ落ちてしまう…、らしいです。
しかしこれで、解放されるわけではない!!そうしていったん死んでもまた息を吹き返してしまう。今度は、恐怖心を起こして逃げようとするのだが、断崖絶壁に足を踏み外して墜落してしまう。そこへ炎を吹く鳥や狐が群がってきて、喰われてしまう、というから恐ろしい!
衆合地獄は、殺生、盗み、邪淫を犯した者が落ちる地獄だそうですが、そこに男色専用の地獄があるとは。しかし、こんだけ「恐ろしい地獄に落ちるぞ」って言っているのに、寺院における男色は収まらなかったみたいですね。それどころか、庶民にまで広まるし;そんな破戒坊主たちに拍手~!!
と、ここで、件の「剣の山」はどうなったんだとお思いでしょう。それについて、ちょっと言い訳させてください~;
【“BLは地獄作り!?”の続きを読む】
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このブログに、毎回のように出てくる単語、「若衆(わかしゅ)」。
「受」の少年、ということは分かっていただけたと思いますが、一口に「若衆」といっても、いろいろとあるのです。
普通、「若衆」といえば、単に「少年」、近世なら「元服前の少年」を意味します。しかし、古典BL文学の世界では、特に「武家の少年」をイメージします。そして、絶対に「美少年」。
しかし、「若衆」には、もう一つの意味がある!それが、「色を売る少年」です。
江戸時代には、そういう類の職業が、たッッッくさんあったのです!が(つまり、もともとは僧や貴族、武将だけの趣味だったのが、民衆に広まり、ものすごい人気を得ていた、ということである)、頂点にあるのは歌舞伎の女方(女の人を演じる役者)、若衆方(文字通り若衆の役をする役者)で、「歌舞伎子」とか、「舞台子」とかいう子たちです。
こういう子達をお金で買って、遊ぶことを「若衆買い」といい、その度が過ぎる人は、「若衆狂い」なんて言われてしまいます。
要するに、「若衆」には、普通の少年と、商売の少年がいる、ということです(しかし後者は「少年」とは限らない…)。
では、それをもっと細かく分けてみましょー。
【“若衆 (布教のために、語句解説をしてみむとす)”の続きを読む】
「犬枕其の一」からつづいています。今回も反転でやや裏的内容を、お楽しみいただけます…かな?
◎有難く忝(かたじけな)きもの
若衆の心を、許さるる。
◎腹の立つもの
若衆の、人には恋ぶり。
◎きたなきもの
若衆の早くそ、同爪くそ(いや、別に若衆でなくとも…;)。
◎きれいなるもの
若衆の風呂あがり。
◎痛きもの
すばりの尻させ(またまた現実的な!)。
◎くたびるるもの
飽いた若衆の、ねんごろぶり(ひ、ひどい!あんまりだわ)。
◎とめたきもの
若衆の夜話の後(で、なにするつもりですか~?)。
若衆の大酒(若衆は酒を慎むのがたしなみだそうです)。
同くだり腹。
或る人のいはく、若衆の所に、腹の沙汰ハ、この道知らぬものの、書きたる験なり(ということは、下り腹でも大丈夫ってこと!?)。
【“犬枕(いぬまくら) 其の二”の続きを読む】
毛虫崇りをなす
(つづき)
同学の僧は、有快法師に近づいて言った。「なんと見苦しくも、執心が深いことと見える。そうでなくとも、生死の迷いは晴れがたいために、世々の聖賢でさえも恐れなさり、身命を省みずに修行して得道なさったのだ。そのほか、多くの修行者たちも、住処を離れ、山にこもって、或いは諸国を行脚して、煩悩を沈め、功徳を積み、悟りを得ようとしている。
それなのにあなたは浮世の恋慕に思い沈み、魔道に落ちて、永い迷いから抜け出せなくなっているなど、人界に生まれた甲斐もない。ただこの一念をひるがえし、狂気を止めてよく考えなさい。このままでは剣の山は近いですぞ!」
同学の僧がいさめると、有快法師は涙を流したが、「誠に有難いお言葉ではあるが、この業因はまったく解けることはなく、千度百度、心を返したが、返すことができないのは、仕方が無いことなのです。もはや命は永くないでしょう。受けねばならぬ輪廻の妄執は、きっと過去からの因果なのだ。柳岡甚五郎は生まれながらの怨家なのだろう。
たとえ死んで剣の山にのぼるとも、もはや是まで。日頃、同学の情けによって、今出て、この世の暇乞いをするのです。心ざしがあれば、跡を弔ってください。さあさあ、お帰りなさい」と、障子を引き立て、またもとのようにこもってしまった。同学の僧も仕方なく、涙と共に帰っていった。(抹香臭くてごめんなさい;ああ疲れた。)
そして7日後。有快法師は本尊の前で、打ち倒れて死んでいた。僧たちは集まって、野辺の送りをし、経を読み、念仏して弔ってやった。
その夜…。孫四郎は、夢ともうつつとも知らず、有快法師が閨(寝室)に入ってきた、と見えた。それから孫四郎は病にかかり、時々は高熱に侵されるので、親は医師を頼んでいろいろと治療をしたが、まったく効果がない。だんだんと身体は弱まり、ついに、いま息を引き取る、というとき、天井から「孫四郎どの、いざ…いざ…」という声が聞こえてきた。まさしくそれは、有快法師の声であった…。
【“狗張子 其の三(後編)”の続きを読む】
毛虫崇りをなす(けむしたたりをなす)
有快(元興寺僧)×柳岡孫四郎(12)
元和(1615~24)のころ、西国の侍、柳岡甚五郎某という武道に優れ、名声を得ている者がいた。しかし軍(いくさ)で負傷したために、浪人して、今は山城の国に住んでいた。
その子どもは、孫四郎といって、年はまだ12歳だけれども、性格はやさしく、同じ年頃の子ども達とは一緒に遊ぶことも無く、穏やかに育ち、手習いや読書に打ち込んで、どれも劣っているということはなかった。まわりの人々はみんなこの子をほめ、感心して噂したのだった。
しかも顔貌は美麗であって、ふつうの人よりもはるかに優れていた。「将来は出世して家も再興させるだろう」と、親もよろこばしく思っていた。
そのころ、有快法師は、都へ上るついでに知人のところへ寄ろうと、山城の里まで来ていた。そして孫四郎の姿を見初めてからは(唐突ですが…)、心はひたすらその子が忘れられずに、京へもいかず、しばらくこの里にとどまることにした。
それから、頼りを求めて孫四郎に、思いをしたためた漢詩と和歌を送ってやると、孫四郎は、幼い心にも「いとしい」と思ったのだろうか、その文を深く袂に隠し、返事をするその仕方も知らないながらに、朝夕、思い沈み、気持ちを歌にして詠んでいた。
有快法師は、この歌を伝え聞いてからというもの、心落ち着かず、そわそわとして、修行や学問のことはどうでもよくなり、人目も気にせず、孫四郎の屋敷のあたりをうろうろと忍び歩きまわっていた。(だんだん法師がオカシクなってきたよ~;)
孫四郎の親は、これを聞きつけて、情けも知らず腹を立て、「なんと憎い法師か!!孫四郎はまだ幼いというのに、みだりにそそのかして、いろいろとするなど、腹立たしい!わが子は決して門より外には出すな!!穏やかに育てば、どんな大名高家にも、仕えさせて、出世してこの衰えた家を再興させようと思っていたが、寺にこもって、稚児・喝食となり、後には乞食法師、腰抜け若党になるならば、生きていてもしょうがない。出世が叶わないなら死んだほうがましだ。その法師は、付近にも近寄らせるな!!」と躍り上がって怒鳴った。
【“狗張子 其の三(前編)”の続きを読む】
少年花魁だと~ぉ!?
今日、ワタクシは、驚愕と憤りと落胆を一度に感じました。そして決意しました。戯言ですが、ちょいと聞いてくださりませ。
ことの次第はこうです。本日の昼、ワタクシは古本屋に行って、いつものようにBL棚を物色していました。すると目の端に「腐○子○ら○た○」(一応伏字)という本がうつりました。内容はBL語や、創作のための様々なシチュの解説。
「ほう、こんなものも有るのか」と手にとってページをめくってみました。すると、そのシチュのひとつに「少年花魁」とあったのです。んん?と思いそのページを見てみると、それは吉原だの島原だのの遊里に身を置き、身体を売る少年の「遊女」、みたいなことが書いてあり、そのうえ「実在したかは不明」となっていたのです!!!!!!
まず、「少年花魁」が、歌舞伎若衆(色子とか陰間とか)でなかったことに驚き。つぎに、なんにせよ「不明」というままにして、よくしらべないで、想像で解説をしていることに憤り。最後にこの筆者また編集者までも、色子や陰間について知らなかったということに落胆。
実在してるよ!!吉原でなく「芳町」ニ!!花魁でなく、舞台子、陰子、飛子、時代をさかのぼれば能役者、寺の稚児、町の物売りにいたるまで古今東西キリが無いくらい、その種の仕事をしていた少年はいるんです。
そうか、知られてないんだ。そうなんだ…。森蘭丸に代表される「小姓」なんかは有名だけど、それ以外のところは(ブログタイトル下にも書いてるけど)、ホントに隠されているのね。これはみんな、政治が悪いんだぁ~!!
…失礼しました。ということで私は決意しました。
もっと布教活動します!!
これはまぎれもない歴史的事実で、文学に現れた文化なんです。しかも萌えれるんです(売春の是非とかは別としてですよ)。知らないのは損だ。
私自身も偶然この隠された事実を知っただけです。そして萌えただけです。まだまだ知らないことばっかりです。ああ知りたい。好色な人間です。
このブログを通して、できる限りの情報、作品例を発信します。めろめろの文章ですが、がんばります。
このブログが、時代ものBL作品を創作する貴女に、妄想とリアリティーを与えるものになることを願って。
ナマ言いましたが、これからもごひいきに、よろしくお願いします。
犬枕…「枕草子」よろしく、「物は尽くし」の書。近世前期。
つまり○○なもの、というテーマで、同種のものを列挙したもの。伝本四本のうち一つに、衆道についてたくさん書かれているのでその部分を抜きだして紹介します。
ちなみに、ちょいと春色な内容をお楽しみになりたい方は、反転してご覧下さい。(ようするに下ネタです。ご注意を!また、反転内容については注を付けませんのでご了承くださいませ)
これが当時の常識的な内容かどうかは不明ですが、はてさて。
◎うれしきもの
若衆のねんごろ状(ラブレター)。
◎したいもの
しり(あからさまやなぁ~)。
◎見たきもの
若衆の顔、
同尻。
ほれた若衆の心中、同文も。
◎つまるもの(くるしみ困ること)
誤るる身を、若衆の根問い。(根問い→問いだだすこと)
◎すぐれて、いらぬもの
すばり若衆の肌(肌がきれいなのはいらなくないと思うケド…)。
若衆好きの大魔羅(確かに;)。
◎ならぬそうで成るもの
主(ぬし)ある若衆(!!!)。
【“犬枕(いぬまくら) 其の一”の続きを読む】
男郎花(なんろうか)
洲河藤蔵(朝倉家足軽大将)×小石弥二郎(小姓)
越前の国、朝倉家の小姓、弥二郎は、容姿は非常にすぐれて美しく、知恵賢く、物静かで思いやりの深い、愛らしい者だったので、家中の人々はみな愛しい人に思っていた。
朝倉家の足軽大将藤蔵は、武道に優れたものであった。彼は弥二郎を思い初めていたが、思いを伝えることも出来ないとおもって、
身にあまり置き所なき心地してやるかたしらぬ我が思ひかな
そう思い続けて心を静めても、ただもう上の空で、どうしようもないのが、顔に表れてしまっていた。そこで、弥二郎と縁のある人に頼んで、文を届けた。
「芦垣のまぢかき中に君ハあれど忍ぶ心や隔てなるらん。
この思いを耐え続けるのならば、もう死ぬだけです」
こう書いて送ると、弥二郎は、これを読んで、限りなく心に染み、愛しく思われたので、返事の文の最後に、
「人のため人目を忍ぶもくるしきや身独りならぬ身をいかがせん」
と書いて送ってやると、藤蔵はますます心惑い、思い乱れた。今ではすっかり秘めた思いも表に出て、
「いかにせん恋ハはてなきみちのくの忍ぶばかりにあハでやミなば
もらさじと包む袂の移り香をしばし我が身に残すともがな」
と、神に誓い、命をかけて、書き使わすと、弥二郎にも深い恋心が芽生えた。
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