(つづき)
徳之丞は卯月の初めより、なんとなく患い出した。様々に治療をしたけれども、まったく効目がない。
新五郎も、気を揉んで、いろいろな手当てをし、薬を用いるばかりでなく、神仏に願を懸け、祈りを捧げたけれども、とうとうその験はなかった。
今はもう、助かる見込みもなく、「その時」を待つしかなかった。親一族は徳之丞の手を握り、何をしようと思うこともできなかった。
そのとき、徳之丞はむくと起き上がり、苦しい中にも新五郎の手をとって
「末の露浅茅(あさじ)がもとを思いやる我が身ひとつの秋の村雨…」
と言うかと思えば、息はすでに絶え果てていた。
新五郎は悲しく、寂しく、心惑い、「すぐに跡を」と嘆いたけれども、それも叶わず、野辺の送りをして、徳之丞を墓へ埋葬した。新五郎はその墓の前で髻(もとどり)を切り、家にも帰らず、すぐに出家した。
「のがれてもしばし命のつれなくハ恋しかるべきけふの暮かな」
そう詠んで、足に任せて旅にでた。 【“狗張子 其の一(後編)”の続きを読む】
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