梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

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本朝御小姓列伝~蘭丸特集~ 四

 『朝野雑載』収録の信蘭エピソードも今回が最後です。


 橘を多く台に積んで、森お蘭是を披露す。信長公御覧有て、
 「おらん、其方が力にてはあぶなし。倒るるな」
と仰せけるが、案のごとく、台をもちながら倒れたり。みかんも座中に散りければ、信長公、
 「それ見よ、我目ききは違はず」
とわらひ給ふ。

 其後、或人おらんに向かひ、
 「御前にてあやまちし給ひ、笑止なり(気の毒に)」
といひければ、おらんが曰く、
 「少しも迷惑せず。信長公あぶなしとおほせつるに、この台をよく持ちとどけぬれば、御目きき違ふ故に倒しなり。御座敷にてたほれたりとて、武道のきずにはならず」
と答えけるとかや。




 みかんを台に沢山つんで、信長さまの御目にかけるお蘭(何目的? 親戚から送られてきたんだな、きっと)。
 それを見た信長さまは、「お前の力ではあぶない。倒れるなよ」とお声をかけます。 えええッ、なんか優しーぞ!? 信長さまってそんなコト言う人だったのか? 「お前の力」って! お蘭の力知ってんのかッ!?
 …しかし、お蘭はやはり、みかんの積まれた台を持ったまま倒れてしまいます。信長さまは得意げに、「やっぱり俺の思ったとおりだ」とお笑いになりました(ドジっ子おらん萌?)。

 並みの人間なら、殿の御前で転ぶなんて、恥以外の何物でもありません。面目丸つぶれ。ですが、お蘭はそれよりも、信長さまの目利き(判断・予想)を実現させることを優先し、"わざと"倒れていたのでした。


 やはり蘭丸さまは、日本一気の利く御小姓だ!! でも嫌々仕えている、という感じがしないのがいいですね。思慮深くて、謙虚な部分もあるけれど、それがかえって自分にプラスの結果をもたらしてくれることを知ってるんでしょうね~。 もしかすると、すべては計算済みの行動なのかも知れません(小悪魔萌!)。


 さて、今までのエピソードを振り返ってみると、う~ん、信蘭ってなんというかツンデレ?、と思えてきました。みんなの前では、蘭丸に次々と試練を課す信長さまですが、それも愛ゆえというか、蘭丸をほめる口実というか……。
 蘭丸もそれを分かってて付き合って(あげて)いるような感じがします。ありきたりだけど、やっぱり二人の間には、特別な絆があると思いたいですね。
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本朝御小姓列伝~蘭丸特集~ 三

 今回の話もわりと有名でしょうか。お蘭第二段~


 信長公御座の間の窓に、衝揚の蔀(しとみ)あり。「是をおろせ」とおおせ付けらるる。
 おらん承り、小さき竹の杖を持ち、のびあがりて、蔀の上を捜し見るに物あり。高くふまえ物をして見ければ、大茶碗に水を入て揚げてあり。しづかに是をおろし、さて、衝揚の蔀をおろす。
 もしその心なくして蔀をおろさば、茶碗もわれ、水もこぼれて、不首尾なるべきに、念を入れたる故、あやまちなし。
 是はおらんをためし御覧ぜんとて、信長公のなされおかれたる事なりといへり。




 また出たよ、信長さまのお蘭試し!!
 蔀の上に水の入ったお茶碗をおいて、「蔀をおろせ」と命令する。普通は気がつかずに、水をこぼしてしまうところなのですが、お蘭は違う! 踏み台まで用意してしっかり上方確認。静かにお茶碗を退け、みごとに蔀を下ろしたのでした。

 う~ん、お蘭は毎回、蔀を下ろす度に、こんな念入りなことしてたんでしょうか。だとしたら、ものすごいお気遣いのお小姓ですが……。
 しかし、この文章全体からワタクシが感じ取ったイメージは、『失敗してびしょぬれになったお蘭をからかってやろうと、いたずらを仕掛けたものの、お蘭にバれ(たぶんウキウキが顔に出てたんだと思います)、「いや、お前を試そうとしたんだよ、ハハハ」と言い訳をする信長さま』でした。
 そもそも、お食事のお茶碗がひとつ足りないってところから、聡明な蘭丸さまは、お察しになっていたのだと思います。

本朝御小姓列伝~蘭丸特集~ 二

 さきに管理人の歴史観について、某川柳をお借りして、お断りしておきたいと思います。

 「半ナマとは いとこくらいの 歴史萌え」

 というわけで、「歴史的にみてどうだ」とか「事実はこうだったとか」いう考証は三の次にして、妄想していきますので、ご了承ください。
 では、蘭丸逸話第一弾~。




 或るとき、信長公、爪を切り、小姓衆を召され、「是を捨てよ」とのたまひければ、「畏まり候」と申して、御爪を其のまま取りて立たんとす。
 信長公「先ずそれにおけ」と有りて、余の小姓衆を呼び給ひ、初めのごとくに仰せ付けられしかば、又右の小姓の仕方のごとく取りて立んとしけるを、又止め給ひ、別の衆を召さるる故、
 今度は森お蘭出けるに、右のごとく仰せられければ、御爪を一ツ一ツかぞえて見るに、九ツあり。今一ツ不足仕り候由、申しければ、信長公笑い給ひて、御膝の下より爪一ツ出し給ひ。
 さて、其の爪を持て立しに、人を付けて見せ給へば、安土の御城の門を出、紙に包みて堀の中へ入れ、帰りけるとぞ。




 (解説)あるとき、信長さまはお爪を切り、「これを捨てよ」と小姓たちに命じました。小姓たちが、ただ爪を集めて捨てに行こうとすると、信長さまはとどめて別の小姓に交代させます。
 そして蘭丸の番。蘭丸が集められた爪の数を数えてみると、九つしかない。「一つ足りませんが」というと、信長さまは笑って、膝の下から残りの爪を出したのでした。
 さて、信長さまの命で、爪を捨てに行く蘭丸の尾行をした人の話によりますと、蘭丸はその爪を、紙に包んで、城の外の堀に捨てたということです。

 なんて気の利く子なんだ、お蘭は!!
 かつて読んだ伝記漫画では、「切った爪が落ちていると危ないから」と言って残りの爪を捜し、掘に捨てた理由を「呪いなどに使われるといけないから」と同僚に説明していました。
 信長さまは、呪いなんて信じてないだろうけど、蘭丸の気配りには大満足のようですね。

 それにしても、信長さまが、このようなテスト(?)を実施した意図が、イマイチよく分からないんですが……。どうみても、「やっぱりお蘭は、ほかの子とはちがうなぁ」と再確認して悦に入ることが目的としか考えられないッ!!
 鞘の刻み当てクイズの時といい、信長さまは、お蘭勝利の出来レースを設定するのが、お好きなんでしょうか。

本朝御小姓列伝~蘭丸特集~ 一

 1582……。「庇護は不(ひごはふ)満の明智かな」でおなじみ(?)の本能寺の変は、来る6月21日(旧暦2日)に起こりました。
 「本能寺の変」といえば、「信長」、「信長」といえば、われらが「森蘭丸」でございます(前シリーズと同じ始まり方だ…!)。

 というわけで、今回の「本朝御小姓列伝」では、森蘭丸をFeature!
 おそらくは、おなじみのお話と思いますが、『朝野雑載』よりの原文でお楽しみください。
 ちなみに、史実との考証などはあまりしない方向で進めますので、ご了承ください。





 まずは、導入として家族構成なんかを……。(有名だけど)

 
 森三左衛門可成は、江州堅田(ごうしゅうかたた:現大津市)にて、浅井朝倉と戦ひて撃死す。
 男子四人有り。嫡子は勝蔵長一、後に武蔵守と号す。次男おらん、三男お坊、四男お力と云う。
 お蘭は才智武勇、人にこえたる者故、信長公御寵愛浅からず、十六歳の時、五万石の所領を下され、若手ながら、よろづの御談合に加へられしとなり。





 特に説明はいらないでしょう。
 ここでも、男の子に対して、「お~」という愛称でよんでいます。為政者に愛される美少年に対する、敬意と親しみの表れですね。
 (以前にも取り上げましたので、参照してみてください

 
**余談**

 ある時、某新古書店にて、児童書の棚を物色していたところ(特撮絵本とかぬりえとか好き……)、『蘭丸、夢の途中』という、なんとも気になるタイトルが目に飛び込んできました。
 ぱらぱらとめくって読んでみると、内容は蘭丸を主人公とした、伝記とフィクション半々といった感じ。文章も挿絵も、正直言ってあまり萌ではなかったので、棚に戻そうと、本を閉じました。
 そこで何気なく、もう一度背表紙を開いてみると……。

 「贈.N君へ H15,4,× K資料館にて」

 達筆なボールペン字で書かれていました。
 350円。買いました。

 「歴史資料館」で、「森蘭丸」に関する「本」を、「上書き」付きで「贈られる」。
 なんという、文学的で耽美な世界!!

 しかし気になるのは、そんな名前まで書かれた本が、どうして新古書店なんかにあったのか、ということです。手放すべきよっぽどの理由があったのか……。

 それからしばらくは、資料館で、歴史家のおじさまから本を贈られるN君(もち美少年。おじさまはN君に「蘭丸のような子になってほしい」と思ってるのさ!痛)という状況を妄想しては、N君のその後に思いをはせる日々が続いたのでした……。


 本文より余談のほうが長くて、すみません;

本朝御小姓列伝 六

 お久しぶりです。パソコンがお釈迦になってしまったので、しばらくさみしい日々を過ごしていましたが、新入り(データ移行完了!)とともにこっそり復活させていただきます。

 それにしても、自分にとって、パソコンやネットがこれほど不可欠なものだったとは気がつきませんでした;いなくなって初めて気がつくものなんですね。
 というわけで、御小姓にとって最も大切なものとは?それを失った御小姓は?というお話はいかがですか?

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 石田三成が近臣、小幡助六信世と云ふ者有り。上野国の住人小幡上野介信繁が三男なり。
 立身を心がけ、十五歳の時、上州(上野の別称)より大阪へ登り、諸家の風俗を見聞す。
 其の頃石田は、秀吉公の御寵臣にて、日本一の大名にも、立身せんとの沙汰(うわさ)あれば、三成に仕へ、勤功をはげまんとおもひ、石田が家に知音(ここでは「知人」という意味でしょう)をたのみ、奉公を願う。
 この助六は、勝れたる美童なりける故、三成見て大ひに悦び、忽(たちま)ち召しかかへて寵愛尤も深かりける
 助六は、もとより才智備はり、忠義を専らとする者故に、三成段々とりたて、領地二千石を与へ、近臣の総頭を申し付くる。

 去程に、今度三成、大垣より関東へ出陣するにも、影のごとくに付き従ひ、忠戦したりけるが、三成敗北のとき、助六は敵大勢に隔てられ、三成を見失ふ。
 是によって、数万の敵陣を切りぬけ、主人を尋ねけれども、其の在所知れざれば、石山辺へのがれ行く。猶三成を覚束なく思ひ、彼方此方を尋ねける。

 其頃家康公は、江州大津の駅に御陣を居られ、今度謀反の張本人・石田三成、戦場を逐電し、其行方しれざれば、諸大将に仰せ付けられ、治部少輔(=三成)を捜されけるに、
 石山辺の郷民の内、かの助六を見知りたる者有りて、大勢をかたらひ、助六がしのび居たる家に、夜中にわかに押し込み、難なく生け捕り、大津の御陣へ連れ行き、
 「この者は石田殿の近臣なり。三成の行方お尋ねの為と存じ、搦め捕り候」
と申し上げる。
 家康公聞こし召され、神妙のよし仰せ出され、黄金二十枚、彼の郷民共に下されける。

 その後件の囚人を御前へ召して、三成が行方を御直に尋ね給ふ。
 助六、庭上に跪(ひざまず)き、ちっとも臆したる気色なく、つつしんで申し上げるは、
 「某は石田三成が家来、小幡助六と申す者なり。治部少輔が居所をよく存知候へども、年頃身を安楽に置きし事は、悉(ことごと)くみな主人三成が恩顧によるところなれば、今更其厚恩を忘れ、主人の在所を申し上げん事、勇士の本意にあらず。この上は、拷問を仰せ付けられ、その後首をはね給ふべし。」
と、憚るところなく申し切りて、二度お答へをも申さざりければ、家康公聞こし召され、
 「忠義武勇を兼ね備えたる士なり。尤も精兵と謂ふべし。治部少輔が行方をしるならば、主人の先途を見届くべきものなれども、しらざる故に別離せしならん。
 たとひ三成が在所を知りたりとも、この者に於いてはいふべからず。何ぞ拷問に及ばんや。凡そ大将たらん輩は、かかる忠臣は憐憫(れんびん:情けをかけること)して置くべき事なり。
 早く彼がいましめの縄を解きて、その死刑をなだむべし。」
とのたまひ、忽ち赦免を蒙(こうむ)りぬ。

 助六、御前を退出しけるが、それより近辺の寺院へ行き、住持の僧に対面して語りけるは、
 「某、石田殿の家人小幡助六と申す者なり。敵に生け捕られ、既にちゅうせらる(殺される)べきところ、不慮に一命をたすけられ、此処まで来たり候ひぬ。
 しかれども、いささか思ふ仔細あれば、ここにて腹を切べし。死骸をかくしてたまはれ。」
と云ふ。
 住持驚き、しばらく抑留せんとひしめきけれども、力に及ばず忽ち自殺しける故、かの僧、大津へ赴き、右の次第(今は上ですね;)を言上しければ、家康公其皆を聞かせ給ひ、甚だおしませ給ひしとかや。


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 冬休みスペシャルで文章が長いです;ここまでお読みくださった方、お疲れ様です。

 助六くん(いや、"さん"かな?小姓というより近臣ですし)の三成殿を思う愛の深さ…、感心しますね。そしてその大事の主人を失った不安・焦り・悲しみ…。強がってはいても、その目の奥で震える心を、家康公は読み取ったに違いありません。
 なんといっても、取り立てられる前から、この人にお仕えしよう!!と心に決めていた人と、目の前で引き裂かれてしまったのですからね。
 「三成を覚束なく思ひ…」の、「覚束ない」という言葉には、「不安だ」という意味のほかに、「逢いたい」という意味もあります。そう思うと健気さ倍増vv

 一度は捕らえられた助六くんですが、許されて生き延びることができました。にもかかわらず、すぐに自害してしまったのはなぜなんでしょうか。武士として、辱めをうけたから?それとも、魂となって愛しい主人に逢いにいくため?助六くんの思う仔細って、なんだったんでしょうね。

 さて、これほど一途に思われていながら行方をくらましたままの殿・三成さんですが、彼も美少年好きだったとは、意外に初耳でした(私だけ!?)。美童を、「見て大いに悦び」、「たちまち召し抱えて寵愛」するなんて、あからさま過ぎるぞ!!
 っと叱ってやりたいところですが、彼は歴史において、わが故郷をすこ~しだけ有名にしてくれたお方の一人なので、許しますv
 ここから見えるあのお城にも、二人がやってきたのかしら…そしてねんごろ…(戦後の再建だけど;)と妄想する郷土偏愛者です。
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