前回は仲良しさんな御小姓どうしの話でしたが、今回は、前回にまして「仲良し」な関係のおふたりが登場!一見の価値アリです。
臼杵新助、筑前高祖(現・福岡県)へ押し寄り、攻めたたかふ事度々なり。
一日の内、七度の槍を合わせ、原田(高祖城主)打ち負けて筑後へ引き退き、高良山に楯籠(たてこ)もる。豊後勢(臼杵氏)高良山へ押しよせ、遠攻にするところに、臼杵鑑連(新助と同一人物?*)が小姓に、芳野八郎、才覚ある者なりしが、縁者有るに依りて、高良山の法印が許(もと)へ立ち入りて逗留し、
原田が寵愛の児小姓・染川十郎という者、原田が、青花という禿童を愛して、我が寵おとろえし事を、恨みける者有るを聞き立ち(聞き出し)、これと男色の因(ちな)み深くして、染川をすすめ、原田親種(**)をきらせける。
高良山に居ける原田勢は、或いは討たれ、或いは散々に逃げ落ちぬ。
高良山の城番には、田北刑部を籠めおかる。
芳野八郎今度の忠節を、宗麟(大友宗麟:義鎮とも。九州の大ボス。臼杵氏が代々仕える)感ぜられける。
染川も定めて御感に預かるべきとたのみおもひて、臼杵に従って豊後にぞ居たりける。
相伝の(代々仕える)主を殺せし者なれば、宗麟是を挙用し給はず。
是を悪しと思ふ者、一首の歌を書きて、十郎が宿の前にぞ立てたりける。
うるはしくみを染川につつめども心はやまのかせぎなりけり
(みを染川に=身を染革に、かせぎ=鹿の異称 …推測です;)
この十郎、程なく大病をうけて死にけり。
原田は勇将のほまれ有りしかども、禿寵愛によって、染川一人が恨みにて、不慮の災いおこれり。後人の亀鑑(かめのかがみ=手本)ならずや。
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この「御小姓列伝」の趣旨は、古い文献に著された御小姓の逸話・挿話を、単なるBL・美少年の出てくる話として、面白がろうというものなのですが、あまり歴史的事実をないがしろにするのもいかんと思いますので、ちょっと臼杵・原田両氏について調べてみました。(参考サイトさま→
http://www2.harimaya.com/sengoku/buke.html)
(*)「臼杵新介」という人は、ある系図によれば「=鎮続」で、鑑連は、鎮続の兄・鑑速とともに、現地軍総司令官を勤めた人らしいです。しかしこの名前や関係も、伝えられた系図によってまちまちだそうなので、いったいどれが誰なのか、よくわかりません。歴史ってムズカシイ。
(**)原田親種さんについては、「隆種のあとは四男の親種が継ぎ、惣領となり大友氏を仇敵として徹底好戦した。元亀三年(1572)、臼杵鎮氏と池田川原で戦いこれを討ち取った。ところが天正二年(1574)、立花道雪より了栄が池田川原の戦いの責任を追求されると、親種が父了栄に代わって詰腹を切った。」と書かれていました。え?十郎くんに殺されたんじゃないの?まあ、本文中にも「死んだ」とは書かれていないし、それじゃぁあまりにハズカシイので、「切腹」というコトにした、ということも考えられます。やっぱりムズカシイ;
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歴史好きの人には怒られそうですが、ともかくこの話はこの話で独立して考えましょう!
臼杵vs原田の戦いが続く中、臼杵さんの御小姓・芳野八郎くんが、すごい情報を仕入れてきました。
なんと、原田さんちの御小姓・染川十郎くんが、原田さんの寵愛が禿(かむろ)の青花くん(せいか、と読むのかな?)に移ったことを恨んでいるというのです。
そこで八郎くんは、傷心の十郎くんに近づき、優しい言葉をかけて……。うひゃ~、ふたりの年齢は分かりませんが、これって世にいう「受×受」ってやつっすか?
ちがう? 主君のためとはいえ、失恋中の敵方の美少年をだますちょっぴり悪なお兄様v(ここはあくまで百合っぽくvv) しかも、「振った男を殺せ」とまでご命令!それを実行する十郎くんもすごいなぁ。そこまで嫌われたのか、原田親種…。美少年の嫉妬は恐ろしい~。
そんなあくどい作戦を企てた八郎くんですが、敵を倒したことにはかわりないので、総大将の宗麟さまからほめられちゃいました。それを見た十郎くんも、臼杵の仲間に入ったことだし、宗麟さまにほめられるはずだと思っていたのですが、今まで仕えてきた主君を殺しちゃうキケンな子として、用いられませんでした。うーん、かわいそ;
そんな十郎くんを哀れんでなのか、誰かが歌を残しました。本に注がないのでワタクシの勝手な推測を述べます。
歌を要約すると、「どんなに美しく着飾った十郎くんも、心は山の鹿だ」ということでしょうか。歌で鹿といえば、恋をイメージさせる言葉です。牡鹿は鳴いて雌鹿を呼ぶんですよね。すると、「十郎くんは恋に飢えた子だ」とでも言いたいのでしょうか!?確かにそんな感じはしますが。
十郎くんは、ほどなく病死してしまったそうです。どこまでも哀れな子;
ハッピーエンドではありませんでしたが、今回の収穫は、御小姓どうしで衆道の契約をすることがあった、ということです!美少年カプも、なかなか耽美でいいじゃありません?
そして、今回の騒動の一因(?)・「禿童」の青花くん。名前からして、武家に仕える子じゃないですよねぇ。禿ってやっぱりお殿様が愛玩なさる×××なのかしら?
以前「本朝御小姓列伝 二」でご紹介した「時田鶴千世」くんのこと、覚えていらっしゃるでしょうか。今回はその彼について、別の文献がみつかりましたので、ご報告したいと思います!
『朝野雑載』巻の七によりますと、家康公が遠州高天神の城を攻めたとき、城主・栗田刑部は幸若舞を所望し、家康公に命じられた幸若與太夫は、「高舘」を舞った…。ここまでは、「常山紀談」と同じですね。
さて、舞が終わると、一人の武者が引出物をもって出てきました。彼は「赤根(あかね)の羽織」を着ていた、と書かれています。
その翌日、高天神の城は落城し、軍士はことごとく討死にしました。先の使いに出た赤根の羽織の士も、城外まで働きに出て、討死にしたといいます。
その後の首実検のとき、「生け捕りの者も見知らず、年の頃は十七、八ばかりにて、薄化粧してかね黒く(お歯黒のコトですね)、髪撫で付けにして、男女の差別更に見分けがたき首」がありました。
家康公の仰せにより、その首の目を開いてみると、黒眼はあきらかで、男の首ということになった。その首こそ、「栗田刑部が寵愛せし稚児小姓、時田仙千代といいし者なりとかや」
おや?時田くんの名前って、鶴千世じゃなかったの?うーん、どっちが正しいのか…。
ともかく、時田くん新情報。年は十七、八!赤い羽織が印象的です。
首実検のとき、生け捕りになった味方の武士にさえ、その顔が知られていなかった、時田くん。それって、栗田さまの秘蔵の御小姓ってコト?めったなことが無い限り、他の人には見せません!?さすが「最愛」の御小姓だけのことはありますね。
首が女性かと思われたのは、もともとの美しさに加えて、お化粧をしていたからなのですね!戦いの日にも、ナチュラルながらしっかりメイクで出勤する心意気!!きっと、朝早起きしてメイクしたんでしょうね。み、見習わなくては…;
化粧といえば、昔の公家や武家の男性は、ふつうにしていたみたいですね。となると、そういう高家の少年たちは、いつからお化粧に目覚めて、誰から習うのでしょうか?お父さんのお化粧道具を勝手に使ってみたり、お父さんに教えてもらったり…だったらちょっとイヤかも(笑)。要調査項目です。
今回、ちょっとハードな描写を含む可能性があるので、あらかじめご了承ください。いえ、エロではないですが、…「首」とか平気ですか?
では今回も『常山紀談』から。
-栗田刑部幸若が舞所望の事
付時田が首実検の事-
東照宮(=徳川家康)、高天神の城(*)をかこませたまひ、柵を付けて固く守らせらる。城中後詰(ごづめ:応援の軍)を乞へども勝頼(=武田勝頼)出ず。糧(ろう)つきけり。
栗田刑部、使いをもって、幸若が舞(**)を一曲所望し、
「これを今生の思ひ出にせん。」
と申しけるを、東照宮聞こし召し、
「やさしくもいひけるよ。」
とて幸若に高舘(たかだち:幸若舞の一種)を舞はせらる。
栗田が最愛の小姓・時田鶴千世(つるちよ)といひし者に、絹紙やうの物をもたせ出して幸若に贈りあたふ。
其の後落城の時、時田討ち死にしけるを、首取りたれども、女の首なるべしと、人々疑へり。
東照宮、聞こし召され、
「眼をひらき見よ。女ならば白眼(はくがん)なるべし。」
と仰せ有りければ、ひらいて見るに黒眼(こくがん)あり。また幸若忠四郎も、高舘を舞ひける時見しりたれば、時田が首に定まりけり。
(*)現・静岡県掛川市→
参照 (**)幸若舞(こうわかまい)→中世芸能の一。曲風は男性的で、武家の世界を素材とした物語を謡う。
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残念ながらワタクシ、あまり歴史に詳しくないので、この合戦がどういうもので、栗田という武将がどういう位置づけの人なのか、ということもよくわかりません;とにかく「武田VS徳川」で、「栗田さんは武田側」ということは、理解できますが。
家康さまから城攻めにあい、大ピンチに陥った栗田氏。「もはやこれまで」ということで、幸若舞が見たいと頼みました。家康さまは、「殊勝なことをいうものだ」と感心なさって、幸若の舞い手に「高舘」を舞わせました。
そしてそのお礼なのでしょうか、栗田氏"最愛"の小姓・鶴千世くんに、絹紙のようなものを持たせて、舞い手に与えたのでした。うーん、「最愛」というのもなかなか出ないイイ言葉ですねv しかしつまり、「愛」な御小姓は、ほかにもいらっしゃるってコト!?
その後、壮絶な戦いが起き、鶴千世くんは討たれて、敵に首を取られてしまいました。そして行われるのが、「首実検(くびじっけん)」です。
首実検とは、討ち取った敵の首が誰の首であるかを検証すること。誰が誰を討ち取ったのか、ということは、恩賞や出世に関わりますし、身分のある人の首は、敵に送り返したりします。
そんな首実検の時、討ち取った数多の首のなかに、ひときわ美しい首がひとつ…。皆、女の首だろうと思いました。しかし家康さまの仰せのとおり、目をひらいてみると「黒眼」だった…。
むかしわたしが見た文献には、討たれる際、女は恐怖で眼をそらせてしまうから白眼に、男はしっかり前を見たまま討たれるから、黒眼になる、というようなことが書いてあったように記憶しています。(男尊女卑だ!とかは思ってても言わないでね~;)
ともかく、女と見まごう美しさと男の子らしい勇猛さを兼ね備え、主君に愛された御小姓・時田鶴千世くん(「お鶴」とよばれたんでしょうか?)。その首だけになった姿というのにも、倒錯的な愛おしさが芽生えてしまいます!