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梅色夜話

◎わが国の古典や文化、歴史にひそむBLを腐女子目線で語ります◎(*同人・やおい・同性愛的表現有り!!)

本朝御小姓列伝 五

 前回は仲良しさんな御小姓どうしの話でしたが、今回は、前回にまして「仲良し」な関係のおふたりが登場!一見の価値アリです。


 臼杵新助、筑前高祖(現・福岡県)へ押し寄り、攻めたたかふ事度々なり。
 一日の内、七度の槍を合わせ、原田(高祖城主)打ち負けて筑後へ引き退き、高良山に楯籠(たてこ)もる。豊後勢(臼杵氏)高良山へ押しよせ、遠攻にするところに、臼杵鑑連(新助と同一人物?*)が小姓に、芳野八郎、才覚ある者なりしが、縁者有るに依りて、高良山の法印が許(もと)へ立ち入りて逗留し、
 原田が寵愛の児小姓・染川十郎という者、原田が、青花という禿童を愛して、我が寵おとろえし事を、恨みける者有るを聞き立ち(聞き出し)、これと男色の因(ちな)み深くして、染川をすすめ、原田親種(**)をきらせける。
 高良山に居ける原田勢は、或いは討たれ、或いは散々に逃げ落ちぬ。

 高良山の城番には、田北刑部を籠めおかる。
 芳野八郎今度の忠節を、宗麟(大友宗麟:義鎮とも。九州の大ボス。臼杵氏が代々仕える)感ぜられける。
 染川も定めて御感に預かるべきとたのみおもひて、臼杵に従って豊後にぞ居たりける。
 相伝の(代々仕える)主を殺せし者なれば、宗麟是を挙用し給はず。
 是を悪しと思ふ者、一首の歌を書きて、十郎が宿の前にぞ立てたりける。

  うるはしくみを染川につつめども心はやまのかせぎなりけり
  (みを染川に=身を染革に、かせぎ=鹿の異称 …推測です;)

 この十郎、程なく大病をうけて死にけり。
 原田は勇将のほまれ有りしかども、禿寵愛によって、染川一人が恨みにて、不慮の災いおこれり。後人の亀鑑(かめのかがみ=手本)ならずや。


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 この「御小姓列伝」の趣旨は、古い文献に著された御小姓の逸話・挿話を、単なるBL・美少年の出てくる話として、面白がろうというものなのですが、あまり歴史的事実をないがしろにするのもいかんと思いますので、ちょっと臼杵・原田両氏について調べてみました。(参考サイトさま→http://www2.harimaya.com/sengoku/buke.html)

 (*)「臼杵新介」という人は、ある系図によれば「=鎮続」で、鑑連は、鎮続の兄・鑑速とともに、現地軍総司令官を勤めた人らしいです。しかしこの名前や関係も、伝えられた系図によってまちまちだそうなので、いったいどれが誰なのか、よくわかりません。歴史ってムズカシイ。

 (**)原田親種さんについては、「隆種のあとは四男の親種が継ぎ、惣領となり大友氏を仇敵として徹底好戦した。元亀三年(1572)、臼杵鎮氏と池田川原で戦いこれを討ち取った。ところが天正二年(1574)、立花道雪より了栄が池田川原の戦いの責任を追求されると、親種が父了栄に代わって詰腹を切った。」と書かれていました。え?十郎くんに殺されたんじゃないの?まあ、本文中にも「死んだ」とは書かれていないし、それじゃぁあまりにハズカシイので、「切腹」というコトにした、ということも考えられます。やっぱりムズカシイ;

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 歴史好きの人には怒られそうですが、ともかくこの話はこの話で独立して考えましょう!
 
 臼杵vs原田の戦いが続く中、臼杵さんの御小姓・芳野八郎くんが、すごい情報を仕入れてきました。
 なんと、原田さんちの御小姓・染川十郎くんが、原田さんの寵愛が禿(かむろ)の青花くん(せいか、と読むのかな?)に移ったことを恨んでいるというのです。
 そこで八郎くんは、傷心の十郎くんに近づき、優しい言葉をかけて……。うひゃ~、ふたりの年齢は分かりませんが、これって世にいう「受×受」ってやつっすか?ちがう?
 主君のためとはいえ、失恋中の敵方の美少年をだますちょっぴり悪なお兄様v(ここはあくまで百合っぽくvv) しかも、「振った男を殺せ」とまでご命令!それを実行する十郎くんもすごいなぁ。そこまで嫌われたのか、原田親種…。美少年の嫉妬は恐ろしい~。
 そんなあくどい作戦を企てた八郎くんですが、敵を倒したことにはかわりないので、総大将の宗麟さまからほめられちゃいました。それを見た十郎くんも、臼杵の仲間に入ったことだし、宗麟さまにほめられるはずだと思っていたのですが、今まで仕えてきた主君を殺しちゃうキケンな子として、用いられませんでした。うーん、かわいそ;

 そんな十郎くんを哀れんでなのか、誰かが歌を残しました。本に注がないのでワタクシの勝手な推測を述べます。
 歌を要約すると、「どんなに美しく着飾った十郎くんも、心は山の鹿だ」ということでしょうか。歌で鹿といえば、恋をイメージさせる言葉です。牡鹿は鳴いて雌鹿を呼ぶんですよね。すると、「十郎くんは恋に飢えた子だ」とでも言いたいのでしょうか!?確かにそんな感じはしますが。

 十郎くんは、ほどなく病死してしまったそうです。どこまでも哀れな子;
 ハッピーエンドではありませんでしたが、今回の収穫は、御小姓どうしで衆道の契約をすることがあった、ということです!美少年カプも、なかなか耽美でいいじゃありません?
 そして、今回の騒動の一因(?)・「禿童」の青花くん。名前からして、武家に仕える子じゃないですよねぇ。禿ってやっぱりお殿様が愛玩なさる×××なのかしら?

本朝御小姓列伝 四

 今回は、時代物BL創作家さんにぜひ読んでいただきたい、そして自信をつけてもらいたい。そんなお話だと思います。


 高遠(長野県中部)の城にて、一同に一番乗りせし、山口小弁(こべん)、佐々木清蔵は、同年にて、十六歳なりしが、清蔵は、越中の国主・佐々木内蔵助成政という、大剛の大将の甥なり。小弁は、京都の賤しき者の子なれども、容顔美麗なる故に、禿(かぶろ)に召しだされ、後に児小姓となる。
 清蔵は、観世流の能をよくし、小弁は、小唄の名人にて、ともに寵愛浅からず。

 高遠にて、戸田半右衛門という大剛の兵を越え(討ち入る際に、ほろが戸に引っかかって倒れていたそうな。情けない;)、両人ともに、一番に乗り込み、殊にもぎ付け(敵の兜首を取ること)の高名して、武勇をふるえり。

 その趣を、信長公聞き召し及ばれ、高遠にて手柄ありし輩、戸田半右衛門(汚名返上!)、梶原仁右衛門、桑原吉蔵、各務兵庫、ならびに両人の児小姓、何れも召しだされ、御褒美、御感書(戦功を賞して与えられる文書)を賜る。
 まず、山口小弁を御前に召し、
 「この度高遠にての働き、希代の事なり。城介が目がねを違えず、一入満足なり」
と褒め給い、御手づから国久の御脇物に、御感書を添えてたまわる。
 次に佐々木清蔵を召し、
 「高遠の働き、骨を折れり。汝は大剛の内蔵助が甥なれば、手柄いたすはずなり」
と仰せられ、長光の御脇物を、御感書に添えて賜りぬ。

 ……

 かかるけなげの小弁、清蔵、惜しいかな、僅かに六十余日を経て、京二条の城に戦死せし事。
 されば二条の城を、明智が兵、囲みて、城介殿を殺し奉りし時、清蔵、小弁に向かいて、
 「素肌にては、思ふ様に働くことなるまじ。いざ、物の具して戦ひ、いさぎよく撃死せん。」
と言ふ。小弁聞きて、
 「もっともなり。さらば物の具の才覚すべし。」
とて、両人ともに城外にをどり出、難なく敵一人ずつ討ち伏せ、その屍を城内へ引き込み、甲冑を取りて著し、また討て出けるが、大勢に渡り合い、十六歳を一期として、終に晴れなる撃死をとぐ。これを見る人、みな涙をながして惜しみけるとかや。

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 戦死した時のふたりは、「面に血をそそぎ、髪の乱れしを…」という壮絶な様子だったと、別の文献は伝えています。
 それほどまでに主君に忠誠を誓い、高名をあげた小姓のふたり。それが、ひとりは、越中国主の甥・佐々木清蔵くん。もうひとりが、京都の庶民(まさかそれ以下!?)の子・山口小弁くんであります。
 いやー、こういうことってホントにあるんですね。庶民の出にもかかわらず、その美貌で小姓にまでなった少年がいるとは!!!妄想かと思われたシンデレラストーリーは、実在するのですよ!んー、嬉しい。

 小弁くんは、はじめ「禿(かぶろ)」として、殿にお仕えしていたみたいですね。しかし、この「禿」というのがどういうものなのか、調べてみたのですが、よくわかりませんでした; 女の子で「禿」なら、遊女見習いなんですが、武家における「禿」とはいったい?まあ、なにやら色っぽいお仕事のような気がいたしますが…v

 清蔵くんは、さすがに名門の出で、戦においては信長さまも期待通りの戦いっぷり。その一方で、能の名手という風流人。正統派の御小姓ですv 小弁くんは小唄の名人なので、小弁くんの唄に合わせて舞を舞ったりしたのでしょうか。

 このように、かたやエリートかたや庶民という正反対のふたりですが、意外と仲がいいみたい!? 小弁くんが、禿から小姓になり、戦で手柄を立てられるようになったのも、清蔵くんというおね…いやお兄様が、武士のなんたるかをやさしく厳しく教えてくれたのでしょう(同い年だけど)。スールですな。
 最後の戦いのとき、しっかり鎧を装備して戦うことを、清蔵くんが提案しました。「素肌にては…」って、別にふたりともハダカだったわけじゃないんだろうけど(いや、それも大歓迎ですが)、小弁くんもその意見に従います。
 美少年どうし、仲良く高め合って一人の主君に仕える…。しかも、ふたりとも、同じように主君から寵愛を受けている…。このちょっと変わった三角関係が、不思議とラブラブにうまくいっている、というのがまたイイですねvv

本朝御小姓列伝 二(補)

 以前「本朝御小姓列伝 二」でご紹介した「時田鶴千世」くんのこと、覚えていらっしゃるでしょうか。今回はその彼について、別の文献がみつかりましたので、ご報告したいと思います!


 『朝野雑載』巻の七によりますと、家康公が遠州高天神の城を攻めたとき、城主・栗田刑部は幸若舞を所望し、家康公に命じられた幸若與太夫は、「高舘」を舞った…。ここまでは、「常山紀談」と同じですね。
 さて、舞が終わると、一人の武者が引出物をもって出てきました。彼は「赤根(あかね)の羽織」を着ていた、と書かれています。

 その翌日、高天神の城は落城し、軍士はことごとく討死にしました。先の使いに出た赤根の羽織の士も、城外まで働きに出て、討死にしたといいます。
 その後の首実検のとき、「生け捕りの者も見知らず、年の頃は十七、八ばかりにて、薄化粧してかね黒く(お歯黒のコトですね)、髪撫で付けにして、男女の差別更に見分けがたき首」がありました。
 家康公の仰せにより、その首の目を開いてみると、黒眼はあきらかで、男の首ということになった。その首こそ、「栗田刑部が寵愛せし稚児小姓、時田仙千代といいし者なりとかや」


 おや?時田くんの名前って、鶴千世じゃなかったの?うーん、どっちが正しいのか…。
 ともかく、時田くん新情報。年は十七、八!赤い羽織が印象的です。
 首実検のとき、生け捕りになった味方の武士にさえ、その顔が知られていなかった、時田くん。それって、栗田さまの秘蔵の御小姓ってコト?めったなことが無い限り、他の人には見せません!?さすが「最愛」の御小姓だけのことはありますね。
 首が女性かと思われたのは、もともとの美しさに加えて、お化粧をしていたからなのですね!戦いの日にも、ナチュラルながらしっかりメイクで出勤する心意気!!きっと、朝早起きしてメイクしたんでしょうね。み、見習わなくては…;

 化粧といえば、昔の公家や武家の男性は、ふつうにしていたみたいですね。となると、そういう高家の少年たちは、いつからお化粧に目覚めて、誰から習うのでしょうか?お父さんのお化粧道具を勝手に使ってみたり、お父さんに教えてもらったり…だったらちょっとイヤかも(笑)。要調査項目です。

本朝御小姓列伝 三

 今回は、みんな大好き、私も大好き、忍者モノ!?
 いえ、小姓度も忍者度も薄いですが…(小心者;)


-氏郷、伊達家の刺客を免(ゆる)されし事-

 伊達政宗、蒲生氏郷(がもううじさと、信長・秀吉に仕える)の威に圧(お)さるる事を、心中に深く憤りて、氏郷を殺すべき事を思案して、数代家に仕へし者の子に、清十郎といへる十六才に成りける者、容貌勝れて艶(えん)なりしに、密かにたくめる事を語り聞かせ、田丸中務少輔(たまるなかつかさのしょう)が児小姓に出して奉公させられけり。
 「田丸は氏郷と姻家の親しみあれば、来られん時、便りを伺ひて(隙を見て)刺し殺せ」との事なり。

 清十郎が父の方へ遣わしける書を、関所にて改め見しより事起こりて、其の謀(はかりごと)の泄(もれ)たりしかば、清十郎を獄に押し入れ、此の事を秀吉に告ぐるといへども、秀吉遠く慮(おもんぱか)りて、強いて伊達家と和平せさせられぬ。

 氏郷、清十郎を呼び出し、
 「我、過ちて、罪なき義士を獄に入れ、辱を与へたるよ。其の君のために命を捨てて忠をいたす、賞するに余りあり。とくとく、伊達家に帰るべし。」
と、礼義正しくもてなして帰されけり。
 
 記せし書に、清十郎が姓をもらしぬ。をしき事なり。


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 なんとあの有名な伊達政宗さん、邪魔な氏郷さんを殺そうと、その姻家(縁組のある家)に刺客を送り込むことをたくらみました。
 そしてその刺客に選ばれたのが、顔立ちが「勝れて艶」な清十郎くん(16)!!
 「艶」ということは、単なる「可愛い」「美しい」と言うだけでなく、優雅であでやかで色っぽい少年、ということなんでしょうか!? そんな子が、いきなり「奉公させてください」なんてやってきたら、即採用ですよ!足許見るね、政宗さん。
 そうしてまんまと潜入に成功したものの、清十郎くんがお父さんに出した手紙が見つかってしまい、暗殺計画がバレてしまいます。そして、牢屋に押し込められてしまう清十郎くん!!キミには悪いけど、すっごく良いシチュだぞ。
 氏郷さんは、早速大ボスの秀吉公に報告。しかしさすがの秀吉公も、「美少年アサシン」と聞いちゃあ、憤る気も萎えちゃいます(妄想)。結局、蒲生氏と伊達氏は、和平を結ばされることになったのでした。(伊達氏が秀吉の傘下に入ったのが1590年なので、そのあたりの頃の話?)
 その後、氏郷さんは清十郎くんを呼び出し、その命がけの忠誠をお褒めになり、「罪無き義士」とまで言っています。しかし、そんなに「礼儀正しくもてな」すほど、清十郎くんは、悪事の手先ではありこそすれ、特に良いこともしていないような気が…。
 ともかく、無事に主君の許に帰った清十郎くん。めでたしめでたし…、の前にちょっと。蒲生氏とは和平にいたったけれども、当初の計画は失敗に終わっています。しかも計画がバレたのは、清十郎くんのせいとも言える。それなのに、のこのこと帰っていいものなのかな?いや、清十郎くんにおいては、不思議と絶対に叱られない気がするなぁ(笑)

 
 ところで、今回の政宗さんの戦略、これこそまさしく、「くの一の術」であります(と思います)!
 「くの一の術」というと、女性忍者の使う術、というイメージですが、本来は「女」をつかう術。すなわち、色気(性的魅力だけでなく、相手の"親切心"なんかも含みます)によって目的を果たす、というシステムの術のことです。だから、この術の直接的行使者は、女性でなく、少年でも良いのです。今回ような、武家への潜入・武将の暗殺といった任務では、やはり少年を使う方がやり易いですよね。ちなみに、「くの一の術」には、女装も含みます。


 さて、この文章の筆者・湯浅常山は、清十郎くんの名字が分からないことが残念だ、と言っていますが、そのせいもあってか、この子なんだか、武士の子!って感じがしないんですよね~。「家臣○○の子」でなく、「家に仕えし者の子」ですし、どことなく垢抜けない感じがします。妖艶な美少年なのに、初々しいッてトコロがイイんだな、きっとvv 刺客に任命されて、そして他人の家に小姓として奉公させられることになって、清十郎くんはどう思ったのでしょうか…。

本朝御小姓列伝 二

 今回、ちょっとハードな描写を含む可能性があるので、あらかじめご了承ください。いえ、エロではないですが、…「首」とか平気ですか?

 では今回も『常山紀談』から。

-栗田刑部幸若が舞所望の事時田が首実検の事-

 東照宮(=徳川家康)、高天神の城(*)をかこませたまひ、柵を付けて固く守らせらる。城中後詰(ごづめ:応援の軍)を乞へども勝頼(=武田勝頼)出ず。糧(ろう)つきけり。
 栗田刑部、使いをもって、幸若が舞(**)を一曲所望し、
 「これを今生の思ひ出にせん。」
と申しけるを、東照宮聞こし召し、
 「やさしくもいひけるよ。」
とて幸若に高舘(たかだち:幸若舞の一種)を舞はせらる。
 栗田が最愛の小姓・時田鶴千世(つるちよ)といひし者に、絹紙やうの物をもたせ出して幸若に贈りあたふ。
 其の後落城の時、時田討ち死にしけるを、首取りたれども、女の首なるべしと、人々疑へり。
 東照宮、聞こし召され、
 「眼をひらき見よ。女ならば白眼(はくがん)なるべし。」
と仰せ有りければ、ひらいて見るに黒眼(こくがん)あり。また幸若忠四郎も、高舘を舞ひける時見しりたれば、時田が首に定まりけり。

 (*)現・静岡県掛川市→参照
 (**)幸若舞(こうわかまい)→中世芸能の一。曲風は男性的で、武家の世界を素材とした物語を謡う。


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 残念ながらワタクシ、あまり歴史に詳しくないので、この合戦がどういうもので、栗田という武将がどういう位置づけの人なのか、ということもよくわかりません;とにかく「武田VS徳川」で、「栗田さんは武田側」ということは、理解できますが。

 家康さまから城攻めにあい、大ピンチに陥った栗田氏。「もはやこれまで」ということで、幸若舞が見たいと頼みました。家康さまは、「殊勝なことをいうものだ」と感心なさって、幸若の舞い手に「高舘」を舞わせました。
 そしてそのお礼なのでしょうか、栗田氏"最愛"の小姓・鶴千世くんに、絹紙のようなものを持たせて、舞い手に与えたのでした。うーん、「最愛」というのもなかなか出ないイイ言葉ですねv しかしつまり、「愛」な御小姓は、ほかにもいらっしゃるってコト!?

 その後、壮絶な戦いが起き、鶴千世くんは討たれて、敵に首を取られてしまいました。そして行われるのが、「首実検(くびじっけん)」です。
 首実検とは、討ち取った敵の首が誰の首であるかを検証すること。誰が誰を討ち取ったのか、ということは、恩賞や出世に関わりますし、身分のある人の首は、敵に送り返したりします。
 
 そんな首実検の時、討ち取った数多の首のなかに、ひときわ美しい首がひとつ…。皆、女の首だろうと思いました。しかし家康さまの仰せのとおり、目をひらいてみると「黒眼」だった…。
 むかしわたしが見た文献には、討たれる際、女は恐怖で眼をそらせてしまうから白眼に、男はしっかり前を見たまま討たれるから、黒眼になる、というようなことが書いてあったように記憶しています。(男尊女卑だ!とかは思ってても言わないでね~;)
 
 ともかく、女と見まごう美しさと男の子らしい勇猛さを兼ね備え、主君に愛された御小姓・時田鶴千世くん(「お鶴」とよばれたんでしょうか?)。その首だけになった姿というのにも、倒錯的な愛おしさが芽生えてしまいます!
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