昔、真言宗のえらいお坊さんが、恋を極めんとする健気な男に、衆道の極意いっぱいの、秘密の巻物を授けてあげました。
さて、ルンバのリズムは置いといて、『弘法大師一巻之書』第二回です。読めば心うきうき? (もしかしてこのネタ通じてない?)
◎児様見様のこと
(この章は、ちごの性格にあわせた攻め方を記したものと思われます)
一、児の物言いたる跡に心を留めて見るべし。
物いうこと静かなる児は情ある者なり。
かようの児には、いかにも真実なりをみせて、少しのことに恥じ入る振りをして尋常に膝(ひざ)によりかかり、そのまま気をとり、児の知るように衣装を剥ぐべき実なり。
「白雲のかかれる峰の岩清水ついには下に落ちにけるかな」
この歌のごとく、白雲の掛かれるほど高き山の峰の清水も、ついには滝となって下に落つるなり。
極意にとりては、いかに情なき児なりとも、こなたより仕掛くれば奉るものなり。* ……へ~……。
はッ!! あまりのことに言葉を失ってしまいました。
とりあえず、おしとやかなちごに対する攻略法のようです。
このタイプのちごには、とにかく誠意をみせて、ゆっくりと近寄る。ちごも気を許し始めたならば、
着物を脱がせ。
おおい! いきなりそこまでいくのか!! 確実に嫌われるぞ!
「児の知るように」とはどういうことなんでしょう? 脱がしますよ、と断りつつ、ということなのだろうか?
極意としては、自分から積極的に行動すれば、いつかはどんなコでもあげちゃう、ということみたいです。
一、大体情なき児あり。
かようの児にはうけつに(?)こなたより仕掛け、閉など探り懐に手を入れ、次第に尻の辺りに手をやり、その後衣装をはぎ受け、御(無?)詞にてするなり。
「直なれる杉の梢をながむれば風ふくたびになびきこそする」
この歌の心のごとく心直なる杉なれども、風強く吹けば杉なびくという心なり。* この段、不明な点が多いのですが、ワタクシの調査と勝手な解釈で考えますに、これはかなり鬼畜ですな。
冷たい稚児には自分からアタックし、閉(これは指似のことらしい)やら胸やら尻やらをまさぐったあと、着物をはぎ取り、無言で……!!!
ひどい!! 乱暴はいかんよ!! 確実に嫌われるぞ!!
でもちょっとぐらい強引にするのも、イイのかもしれない。
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九州に満尾貞友というお人がおりました。この方、「たまたま人と生まれて、衆道の極意を知らざるはまことに口惜しきことかな」とお思いになって、大乗院大師堂に毎日参詣したところ、七日に当たる夜、とうとう弘法大師さまが若僧のお姿にて現れたまい、「汝よくも心掛くるものかな、……汝ここに参籠せしこと感ずるに余りあり、汝に一巻の書を授くれば、以後他見するなかれ…」っといって、かき消すように行ってしまわれた。(出典:南方熊楠全集)
長い前説、失礼しました。とにかく、貞友さんの心意気に感じた弘法大師が、その極意を書き記した書をくださった、ということです。
「若僧の形に現われたまい…」というのも、ツボを押さえた演出ですが、さてさて、その書には、どんなことが書かれているのでしょうか。ああ、見てみたい!!
え?「他見するなかれ」? ああ、見てみたい!!
◎児様御手取り様のこと。
(この章は、さまざまな気持ちを、お稚児さまの手の握り方によって伝える、そういうサインを解説したものらしい…)
一、児の人指より小指まで四つ取るは、数ならねどもそなたのことのみ明け暮れ案じくらすという心なり。* ほう、ちごの人差し指から小指までの四本の指を握るのは、「さえない男ですが、あなたのことを一日中考えて暮らしています」という気持ちを伝えるサインなのね。
一、その時、児二歳(=ちご)の、大指を一つ残してみな取るは、数ならぬ私への御執心恥ずかしく存じ奉り、御志のほど承らんという心なり。* 今度はちごから。四つの指を握られたとき、相手の親指以外の指を握り返すのは(となりの人とやってみよう!)、「こんな私へ御執心とは、恥ずかしく思われますが、あなたのお心をお受けいたします」というサインだそうです。へ~。
一、児の人指、中指二つ取るは、お話申し上げたしという心なり。* ちごの人差し指と中指の二本を握るのは、「お話があります」というサイン。
一、その時、児扇の上に○(不明な字)を返し申すは、御話承らんという心なり。* 不明な字があって解読が困難ですが、手を握られている状態で、扇を取り出してどうこうすることが可能なのか? なんか雲行きが怪しくなってきた……?
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